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TSUBASA OMORI|1st. SOLO EXHIBITION 【Φの箱庭】

先日、
TSUBASA OMORI | 1st. SOLO EXHIBITION
【Φの箱庭】@Gallery Klyuch
2024.4.27-29 の3日間にわたる会期が幕を閉じました。

TSUBASA OMORI | 1st. SOLO EXHIBITION
【Φの箱庭】@Gallery Klyuch

1日目、2日目と連日25名以上の皆様が足を運んで下さり
3日目は記名をする合間もないくらい、
入れ代わり立ち代わり観に来て下さる方々がいらっしゃって
沢山の方にご来場賜りましてありがとうございました。

個展開催当日までのあいだ、初個展でわからないことも
何度もやりとりにご丁寧にご対応下さった
東京・清澄白河 Gallery Klyuch 担当の薬真寺様、
当日、お店の営業でお忙しい中にも関わらず
快く写真撮影を賜って下さった Le bois のスタッフの皆様、
搬入日前日と会期終了後の撤収作業を手伝ってくれた両親、

また、遠方の方々からのお祝いのメッセージであったり、
素敵な贈り物を頂いたり、この3日間は心の底から
関わり合いを持って下さった 皆様からの愛のおかげで
1st. SOLO EXHIBITION【Φの箱庭】を実現できました🌱

【Φの箱庭】初日
【Φの箱庭】2日目
【Φの箱庭】最終日
個展初日前日搬入日に @kyun_rait さんから頂いた宇宙船のようなペヘロミオイデス🪴
@mii.4041 さんから差し入れで頂いたオールグルテンフリー ヴィーガン対応のお菓子🍪
初個展初日にご来場下さった皆様から頂いたお祝い品💐
皆様からのひとつひとつ愛を感じるプレゼント🎁をありがとう🥹🙏✨️どれもひとつひとつ幸せでした💞
色をイメージして選んでくれた 彩り豊かな花束たち💐

今回、"なにものでもない なにものにもなりうる いのち"
という【Φ】をひとつのつながりとして、
全部で"19"の絵を個展空間内に展示するに至りました🖼

ほとんどの作品が開催月の一ヶ月間で生まれてきました



"19"という数字は、数秘術で言うところの
"1"+"9"="10" "1"+"0"=【Φ】というこれまた
後から気が付いて、まさに偶然のシンクロニシティでした。

※後日談になるのですが、実は持ち運んできてはいるけれど
最初は置くことを躊躇していた絵があったのですが、

(というのも、今回の絵はほとんどこの一ヶ月間で生まれた
タイムリーなエネルギー間で描いていったものだったので
数年前に描いた絵とエネルギー間が異なる気がしたため)

個展会期の朝にふと、空間全体を見回した時に
この個展の導入部分の動線のところに置きたいと感じて
自分がはじめて自分の描いた絵を世の中に放つことになった
想い入れのある【WINGS】という作品を席に座らせて
全体で"19"という数になったのでとても自然な流れでした。

2022年4月 東京・神田神保町で行われた
#第四回文房堂アワード で ターナー色彩賞に選出された
【WINGS】


実は今回の初個展のテーマである【Φの箱庭】もですが、
今回の個展会場としてレンタルさせて頂いた
Gallery Klyuch との出逢いも含めて全てが動き出したのが
昨年末に偶然、Gallery Klyuch のインスタアカウントに
フォロー頂いてその時に一目惚れしたのがきっかけでした。

僕が今のアートのベースとなるアルコールインクアート
そのアートに出逢ったのが2020年。
(それまではこれといって昔から絵を描くのが好きだった、
とかまさか自分が今の状態を全く想像していませんでした)


丁度その時期は沖縄移住をしていたタイミングでしたが、
個展を開催するというひとつの夢を抱き、開催する空間を
その時も探していたのですが中々見つかりませんでした。

というのも、僕自身が幼少期から物心がついてきて、
自分の夢や目標ややりたいことが見つからなかった時期
漠然とそれが具体的に何か、というのは明確ではないけれど
「いつか自分が本来の自分であれるような、
自然体であれるような、居場所のような空間をつくりたい」
という想いだけは確かに、ずっと心の中に抱いていました。

でも、それがカフェなのかはたまたどういう空間なのか、
(ここではあえて、目に見える世界のことを"外側の世界"
目に見えない世界のことを"内側の世界"と表現します🌎)
自分の外側の世界で探して見つけようとしても見つからず
自分の内側の世界へどんどん深く深く潜ってゆくなかで
ようやく昨年、「大森 翼」という存在がより見えてきて
そのタイミングで現れたのが Gallery Klyuch でした。

はじまりの空間との出逢い

東京・清澄白河にあるカフェ&雑貨【Le bois】

Gallery Klyuch は東京・清澄白河にある
カフェ&雑貨【Le bois】さんの店内2階のギャラリー。


まず最初にギャラリーのある場所である「清澄白河」
という街を知り訪れた時に「ここしかない」と感じました。

「清澄」という"清く澄む"という文字から伝わるクリアさ
「白河」という"神聖・純真・始まり・流れ"を感じる
「清澄白河」の街の空気感がまさにそれを表現している点

古くからの伝統的な風景と最新のトレンドが共存する
(深川江戸資料館や清澄庭園などの街並みがありながらも
東京都現代美術館やアートや近代的なカフェが増えている)
どちらかを排除しようとするのではなく、
別の言葉で代用すると「過去」と「未来」が共存する
「現在」の【3】つのトライアングルをひとつに感じる
全体をつなぐようなエネルギーが空間に流れている点

Gallery Klyuchがある住所が東京都江東区の「三好」
という【3】という「三位一体」や「三種の神器」など
「成功・繁栄・誕生・幸運・完成」などの象徴としての数
その空間に位置していることからピンと来ていました。

そして、意味を調べれば調べるほど繋がっていきました。
ギャラリーのある一階の雑貨&カフェ【Le bois】
この【Le bois】とは仏語で「小さな森」という意味。

「森」の英語である「forest」という字は元を辿ると、
実は「扉」を意味する「dhwer」を語源としています。

また「森」は「杜」とも表現され、「杜」というのは
神社のような神聖なご神域を囲むように生えていたり、
神秘的なものを隠すように、まるで宇宙のような
(「木(氣)」という字が「3」つトライアングルのように
組み合わさってつくられている漢字でもあるため)
そういう存在だと個人的には認識・解釈しています。

【Gallery Klyuch】の【Klyuch】は露語で「(扉の)鍵」
そして、映画「すずめの戸締まり」を見た方はおそらく
聞き覚えのある「要石(かなめいし)」の意味があります。
「要石」は「欠けてはならない重要なキーストーン」です。

自分自身の目に見えない内側の世界と目に見える外側の世界
どちらもつながっているとしたら、まさにこの空間は、
表面的な捉え方をわかりやすくすれば、
「Le bois(小さな森)というお店の中に入り、
奥の方へ行くと階段があり、その階段を登っていき
Gallery Klyuch(重要な扉の鍵)をひらいて入ると
そこにあるのは【Φの箱庭】という個展空間が広がる」
という意識ではそういう導線を辿っていくのですが、

これは同時に「自分自身の小宇宙の森を入ってゆくと
そこには奥へと続く階段があって、
その階段を登っていくと"自分自身の神聖な領域"
"自分自身の純真な まさに自然であれるような空間"へ
そこをつなぐ重要な扉の鍵をひらくと"わたし"と出逢う」
そんな内なる体感や体験を 潜在的な意識では
そういう導線を辿るということ とリンクしています。

今回の初個展の空間のタイトルでもある【Φ】には
後ほどまたここにも書かせて頂けたらと思うのですが、
ひとつに【扉の鍵穴に鍵をいれている】という
自分自身の本来の扉を開く、という動作の形にも類似して
どんどんと色々な根が深い領域では繋がっている、という
あらゆる点が交差しては形を帯びているような感覚でした。

【Le bois】では豊富な種類の観葉植物がお出迎えしてくれます🪴
店内はまるで秘密基地のような全体的に落ち着く空間
店内奥には洞窟味のあるテイストの美しい空間

【Φの箱庭】とは?

初個展【Φの箱庭】
【Φ】とは?

【Φ】きっとこのかたちと出逢う機会があるとしたら、
数学の授業とか宇宙の研究をしていて...とかなんだと思う。

【Φ】とは一般的には空集合の数学記号
空集合とは、いかなる元(要素)ももたない集合のこと。

とはいえ、僕自身この【Φ】の意味を調べた時は「?」が 深い海の中で酸欠状態になった時の泡の如く浮かび上がり、
(高校時代に数学があまりに苦手分野すぎて、常に赤点で補習授業の常連になっていたくらい、頭の中に入ってこない)

逆にその作用なのか、感覚的にこの【Φ】を受け取った時、
"なにものでもない、なにものでもなりうる存在"という
いのちそのもの 無限の可能性 をこのかたちから感じて、自分自身が創造しようとしている世界 と重なる感覚でした。


僕自身、実はこのかたちとはじめて出逢ったのは思い返せば、人生で一番最初に購入したCDが「硝子の少年」くらい
好きなアーティストである「KinKi Kids」がリリースした
「10ve in the Φ」という曲に出逢ったのがはじめましてでした。

それでもその時は【Φ】が意識に留まるようなことはなく、風の流れの如く去り、今の今まで記憶の片隅で風化していたんです。それが、昨年、"羽田空港との再会"を皮切りに、急に掘り起こされ、目の前に突き付けられ、自分自身の中の奥底にある感覚が呼び起こされたような衝撃でした。

ここで言う、"羽田空港との再会"とは昨年の祖母の死が関係しています。祖母の実家のマンションからはよく羽田空港の飛行機が見えるところで、一昨年から昨年にかけて、祖母の生前度々実家に訪れる回数が増えて、そのタイミングで羽田空港付近に、羽田イノベーションシティと呼ばれる未来の宇宙の玄関のような先駆けの施設が現れ、僕の名前には「翼」という「羽」と「田」があることからも親近感が湧いていました。そんな時に偶然、羽田イノベーションシティのホームページにあった空集合の記号と時を経て再開したことでした。

絵や言葉、絵と鑑賞者を通して共創される空間、それがひとりひとりの【Φ】に触れるような、

あの時思い描いていた「いつか自分が本来の自分であれるような、自然体であれるような、居場所のような空間をつくりたい」その空間に見立てた【箱庭】という言葉を組み合わせたのが【Φの箱庭】のはじまりでした。

この空間を創造するにあたって、【箱庭】ということで今年のお誕生日の日に、第二次世界大戦中から戦後にかけての混乱期に芸術家・岡田茂吉が手がけた庭園、箱根の強羅にある神仙郷へと足を運んできました。

岡田茂吉は生前、"日本は世界の公園であり、日本の公園が箱根で、箱根の公園が強羅で、強羅の中心が神仙郷であるから、神仙郷こそ世界の真の中心ということになろう" という言葉を遺しており、世界平和を希求し、「地上の天国」を表現するための空間として、神仙郷をつくったとされている。

【箱庭】の文字をよく見ると、『箱』という文字は『竹+木+目』『庭』という文字は元を辿ってゆくと『二(土)+ワ(場)』前者は宇宙、後者は地上 を個人的には感じ、『箱庭』は目に見えない・目に見える をつなぐ空間 を感じる。
(箱庭療法という言葉があるように"見立て"という側面がある)

自分自身を通して何かを生み出そう・何かが生まれ出る ということがあるのなら、まずはそのエネルギーを自分自身が体験・体感することがはじめだと考えているので、その点で芸術家・岡田茂吉が創り出した空間に触れられることは今回の空間を創造する上でもなくてはならない存在だったと思う。

【Φの箱庭】の空間と作品について

【Φの箱庭】の空間と19点の作品

今回、初個展【Φの箱庭】の空間と19点の作品について
実はほとんどの作品が個展の会期スタートの4月に入ってから描かれたものであり、

この中でも一番規格が大きいサイズであるF40号の絵(1000×803)×2枚については、個展初日前日の搬入日の前日である、3-4時間の間で一気に集中して生まれてきたものだった(頭の中では、え?間に合うの?明日には搬入だよ?まだ描いていなくて平気なの?みたいな声も聴こえるなかで必ずこのタイミングで生まれる、という謎の根拠の無い自信の中で揺れ動いていました🤣)

当日の空間の絵などの配置に関しても、前日搬入日までイメージしていたものがあったのですが、実際に搬入をしてゆくなかで、そのイメージとはほとんど変わり、下記の画像のような箱庭図へと変容していきました。

【Φの箱庭図】
大森 翼 |TSUBASA OMORI on Instagram: "Φ 初個展【Φの箱庭】会場風景 𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧 ⁡ この度、東京・清澄白河にある GALLERY KLYUCH(@gallery_klyuch)にて 初個展【Φの箱庭】を開催させて頂く運びとなりました。 ⁡ "なにものでもない なにものにもなりうる いのち"をテーマに 箱庭に見立てた空間の中、"Φ"の絵を展示させて頂きます。 ⁡ "Φ"を表現するにあたって、自分自身の生命(姓名)である「大森 翼」を生成する主なエッセンスとしてある「大森(大自然・大宇宙・氣(木・樹・生)」「翼(空・天・自由・矛盾)」 その姓と名のあいだをつなぐ絵が自然と生まれてきました。"Φ"とは一体、何なのか。 自分自身の"Φ"に還る空間を是非体感しにいらして下さいね。 ⁡ ⁡ ◆日程 ⁡ 2024年4月27日(土) open 11:00-20:00 2024年4月28日(日) open 11:00-20:00 2024年4月29日(月) open 11:00-18:00(最終日のみ 18:00 close) ⁡ ※入場無料 ※作家全日在廊 ⁡ ⁡ ◆会場 ⁡ GALLERY KLYUCH(@gallery_klyuch) ∟カフェ&雑貨「le bois(ル・ボア)」店内2階スペース ⁡ 〒135-0022 東京都江東区三好3-1-14 東京メトロ半蔵門線/大江戸線「清澄白河駅」 B2出口より徒歩6分/東京都現代美術館より徒歩4分 ⁡ ⁡ #清澄白河 #清澄白河カフェ #清澄白河散歩 #個展 #個展情報 #東京都現代美術館 #アルコールインクアート #art #tokyo #alcholinkart" 47 likes, 0 comments - lmda_wing on April 28, 2024: "Φ 初個展【Φの www.instagram.com

自分自身の中でどんな意図で絵が生まれ、絵の配置だったり、空間が創造されたのか、もちろん、自由に感じ受け取ってほしい、鑑賞者に身をゆだねたい、というのが大前提ではあるため多くを語ることはしませんでしたが、


会期が終了した今だからこそ、また異なる世界の見え方が生まれるきっかけになればと思うので、このnoteに記していければと思います🕊️🪽✨️

①誓書

個展空間入口すぐに置かれた【誓書】

今回、個展空間入口すぐの空きスペースに
六角形の台とその上に六角形のタイルプレートを配置し、
その上に【誓書】と呼ばれるノートを配置しました。

この【誓書】は今回の個展を開催することが決まってから、日々風のように運ばれてきて、水のように流れては消えてゆく、まるで雲のような色々なインスピレーションや言葉たちをただただ殴り書きで記したり、かたちのないような絵で描いたり、ありのままの数ヶ月間の思考を無造作に表現したものです。かたちになるまでのプロセスであったり、その過程やストーリーを遺していたものではあるけれども、足を運んで下さった方がパッと何気なくページを開いた時に目にする言葉を受け取って頂けたら、という、ある意味鑑賞者に身をゆだねたひとつの作品でもありました。

【誓書】をひらく人もいれば、おそるおそる捲る人もいたり、真剣に1ページ1ページ読んで下さる人いれば、何気なくひらいたページを写メる人もいたり、特に多かった反応としては「これはなんの紙なんですか?」という中々見ない紙についての質問でした(笑) たまたまAmazonで見つけたインドの水彩紙で製作されたノートだったのですが、表紙には大きな木が描かれている点も今回の個展空間における大事なつながりでした。

パレット代わりに使用した六角形のタイルプレートと【誓書】

ちなみにこの【誓書】の下に置いた六角形のタイルプレートについては、絵を描く上でのパレット代わりに使用していたものです。これまでの色々な絵が生まれるまでのプロセスや層が積み重なって生まれた色をひとつの作品としてこの空間のはじまりの位置に配置したかったのもあり(偶然、レンタルスペースで貸出されていた六角形の台とおなじ六角形のタイルプレートだったのも運命的でした)、気が付けばまるでそれは大きな木が立っている草原のような役割を果たしていました。

②X GENE

【X GENE】
【X GENE】のキャプション

何のために生まれてきたのか。
何のために今、ここにいるのか。
自分にはいったいなにができるのだろう。
自分とはいったい何者なのだろう。
何者でもないのかもしれない。

とにかく自分探しをしていた 20代前半。
20代前半というよりもずっとそうなのかもしれない。

これといって得意なこともなく、秀でた才能だってない、
「自分にはやりたいことがない」それが口癖だった。
だから必死に探していた。自分とは一体何者なのか。
そんなどこか「自分」という揺るぎない点を探していた。
揺るぎない「自分」を創り出せば、「自分」がこの世界に存在しているような 存在してもいいような そんな気がした。

でも、出逢う人が変われば、いる環境が変われば、出逢う景色が流れれば、出逢いによって、その瞬間の「自分」という存在は常に変化してゆく。あなたがいるから、わたしを感じられる。常に流れゆく線と線が 交わり クロスした瞬間に生まれるかたち。

であい は あい とであうこと。どんなであい も わたしのかけがえのない一部。であえなかった であい も かけがえのないわたしの一部。

これといって得意なこともなく、秀でた才能だってない、
「自分にはやりたいことがない」それが口癖だった僕は
唯一自分自身の中であたりまえと自然にしていることがあった。僕が今こうして絵を描いたり、絵を通して活動していることへとつながる原点、それが「聴く」という行為だった。

人の悩み・抱えているもの・感じていることを「聴く」
そんな「聴く」という行為から、いつの間にか「聴く」ということは自分自身の一部を「知る」ということだと気付いた。どんなであいも 自分自身のあいとであう かけがえのない一瞬だ。だから、存在しているだけで誰もが誰かの あいにであう 人生を創造する役割を果たしている。

今回の個展もこれまでの人生に関わってくれた すべてのであいのおかげで生まれたものだ。ひとりでは決して完結できなかった物語の間(あいだ)。間にも「あい(だ)」という音がある。人間は「ひと(は)あい(だ)」と書く。

常に毎日、あたらしいものとであう。であう僕らは毎日、気が付かないあいだに生まれ変わっている。昨日と今日は違う。死んでは生まれ変わっている。生きている間に色んな自分にであいたい。まだ見ぬ自分を知りたい。クロスしたところに新しいいのちが生まれる。この作品とクロスするところにひとつの作品を置きました。

③生の咆哮

【生の咆哮】
【生の咆哮】のキャプション

この絵が生まれたあとで、この絵に教えられたことがあった。いや、思い出させられたことがあった。

曖昧で矛盾だらけで そんなこの生を 力一杯叫ぶこと
【咆哮】は、"獣が激しい勢いで叫ぶこと"という意味を持っているけれども、ここでの咆哮は、どちらかと言えば荒々しい叫びではなく、"心の奥の奥の奥から 湧き出るような怒りの叫び"。怒りというのはイライラやムカムカなどの怒りではなく、創造のエネルギーを生み出す本当の怒りだ。それは赤でも青でもなく、例えるなら白の炎のような怒り。

そんな生の咆哮は、強さと優しさを持っている。生の咆哮は生の抱擁だった。この絵を感じた時に、ひとつのたましいを地球を世界をまるで抱きしめているかのような、本当の強さの中には優しさを感じられ、本当の優しさの中には強さを感じられる。ひとつの統合。陰と陽。曖昧さや矛盾を抱き抱えて、真実を叫ぶ いのちそのもの。

④粉宙石

【粉宙石】
【粉宙石】のキャプション

本展の中で唯一、直前までタイトルと言葉が思い浮かばなかった作品。というのも、この絵のエネルギーだけどことなく他とは違う異世界から紛れ込んだかのような、あきらかに予定調和ではないものが流れ込んできたかのような、不思議な感覚から生まれたかたちだったからです。

生きていると思い通りにならないこと、予定調和ではないこと、突然の出来事がまるで突如現れた隕石のように目の前の景色を一変させてしまうことがあります。その衝撃は「ありえない」という一言で片付けるには片付けられないくらい、壮大なほどのインパクトが放たれる。でもきっとそんな予定調和ではないことすら、全体で感じた時には、調和であったりする。つまりは、その出来事を通して、どんな世界をまた新たに創造していきたいか。大事なことは、その出来事を通して感じた体験を未来にどう生かしてゆくか、つないでゆくのか。

自分の世界には今まで存在していなかったかのような異物のようなものが現れるのは怖かったりする。なぜなら、今までの世界が壊れてしまうような気がするから。今まで、がなくなるように見えてしまうから。でも、本当はなくなったりはしない。その異物は新しい世界を創造するためのきっかけに過ぎないのかもしれない。僕たちは知らないことを恐れるけれども、知らないことを知りたがる。未知で新しいものを本当は心の底で望んでいたりする。変わらない中でも変わってゆく景色を見つめていきたい。

この作品は偶然絵の具がだまのようになり、まるで石のようなかたちが生まれました。紛れ込んだ宇宙の石のように。

⑤光芒体

【光芒体】
【光芒体】のキャプション

絵の具のついた筆を地層を何層も描くように
繰り返しこだまするように歩かせる中で生まれた作品。

【光芒】とは、"光のすじ、一閃"
僕たちは体(からだ)という空の肉体という器でありながら
そこに光芒、つまり一閃を注ぎ込んだような存在。
光芒体なのではないか。光芒だけでは足跡は残らない。
目に見えない足跡はあるが、その足跡は目には見えない。
足跡が残るのはそこに肉体があるから。
そして、きっとこれはわたしという泡沫の夢なのだろう。
この肉体の電源がきれるまでの。
電源が切れた時、この世界の映像は真っ暗になる。
元は真っ暗な世界なのかもしれない。その中の光芒体。
それぞれが一閃のように光放っているからこそ見える世界。

⑥葆光園

【葆光園】
【葆光園】のキャプション

葆光とは、「光をつつみかくす」などを意味する言葉で
中国の古典「荘子」に由来するとされています。

人間の知性は、これ以上知ることができないという所に達し
はじめて極めたということができる。言葉として聞こえない言葉、道として見えない道を知ることができるだろうか。もしそれができれば、それは自然の境地である。そこではいくら注いでも溢れることなく、いくら酌みだしても尽きることない、この境地が葆光である、とされており、絵が生まれたあとになぜかこの言葉にはじめて出逢い、紡がれた言葉が【葆光園】という言葉だった。ここで言う【園】には、【たましいのふるさと】という意味があります。

この文章にある「東雲」とは「東の方角=夜明け=東雲=しののめ=篠の目」という意味を含んでいますが、篠の目とは、日本古来の家の丸窓で使われているような 篠竹で編んだ格子状の網目からのつながりでもあります。

地元には「東雲」と名前がつくお店があり、小さい頃から親しみのある言葉だったこともあることから、このタイミングで掘り起こされ、つながったことに腑に落ちることもありました。

【苔】を彷彿させるようなイメージのあるこの絵は、実は制作過程の中で【苔】のような素材を使用し、支持体に接着させようとスプレーのりを使い試みたのですが、上手くそれが定着せず、そこからテクスチャーなどのモデリングペーストを使い立体的に付着させながらも、絵の具やアルコールインクを使い、着色したことでスプレーのりの影響もあり、【苔】に水滴が残るような、乾燥している部分と濡れているような部分の両側面を偶然演出することができました。

⑦花信風

【花信風】
【花信風】のキャプション

花信風とは、"花が咲いたことを知らせてくれる風" のこと。
花が風を信じる のとおなじように 風が花を信じている。
風は、僕にとっては身近な存在だった。
はじめてアルコールインクアートに出逢った時も、
「風で描く」という表現にリンクし共鳴するものがあった。

優しくてあたたかく頬を撫でるように吹き抜ける風もあれば
目の前の視界を一瞬で奪うほどの荒れ狂う風もあるし、
重い足取りを後押ししてくれるような軽やかな風もあれば
行く先々を阻むように抵抗するような向かい風もある。

その時々の一瞬一瞬の風の流れは自由な偶発性もありながら
どこか決まったかのように取り巻き 運命を運んでゆく。

アルコールインクアートは伝わる風の波長や波動を感じて
色が滲み、広がり、時に色どうしが混ざり合い、
そして、色を変えて、思いもよらないかたちがあらわれる。
それはまるで生命のような人生のような縮図を想起させる。

花信風とは、"花が咲いたことを知らせてくれる風" のこと。
花が風を信じる のとおなじように 風が花を信じている。
花開く未来を信じて、その未来へ運んでくれる祈りの風。

⑧久遠の蔦

【久遠の蔦】
【久遠の蔦】のキャプション

久遠とは、"遠い過去または未来、永遠" のこと。
過去も今も未来も 全部自分自身の中にすでにあるもの。

両手と両翼、大地と空、不自由と自由、
目に見えるものと目に見えないもの、それは一見、相対するように見えてひとつにつながっている。

【蔦】はくさかんむりに鳥と書くけれども、地上から生えて空へと限りなく伸びてゆくその様はまさに【蔦】というかたちを表現している、のと同時に天と地、その間を感じる存在。個展空間には【三碧の羽根】という作品の近くに、その【蔦】を配置し、ひとつの作品だけではなく、あらゆる空間の中にある別の作品にもつながるような、ひとつの糸(意図)を感じて欲しくて、ひとつの作品だけで物語が完結しないような、至るところにその糸をつなげていました。

【三碧の羽根】近くに配置された蔦

⑨沙羅双樹

【沙羅双樹】
【沙羅双樹】のキャプション

【沙羅双樹】とは、「平家物語」の冒頭で出てくることが有名な"淡い黄色の花を咲かせる樹木"のことで、「平家物語」ではこの沙羅双樹の花の色が一瞬のうちに変わることを、"この世のものは絶えず変化していつまでも存在するものではない、という「無常」のたとえ"として用いられている。

生きていると出逢いもあれば別れもある。どんなに大切な存在だったとしても、変わりゆく日々のなかで一緒にいられる時間は永遠ではないことに気付く。まるでひとつの物語の作文のように区切りや句読点が訪れる時、それは次の世界への改行のための終わりだ。だからといってそれがなくなるわけではなくて、いくら改行しても物語の一部だ。ただ、ここから先の物語はいくらでもつくりだすことができる。

【沙羅双樹】は古代文明における神話学の時代から「復活・再生」の象徴としても「生命の木」に分類されていたという。どんな時でもまた生まれ変われる。自分が自分のことをあきらめさえしなければ。

⑩未来木

【未来木】
【未来木】のキャプション

【未来木】【みくるぎ】(望んでいた未来の氣がくる)
という祈りのなかから生まれてきたかたちでした。

【未来】という字のなかにはよく目を凝らして見ると、
「木」という字があることに気が付きます。
大地に芽が出て、根を張り、幹が育ち、枝葉が広がって、
種をつける、そんな字の流れからも、未来というのは木そのものでもあり、人の一生にもつながる言葉なのだと知りました。【未来木】の中には「木」という字が3つあります。

この【未来木】の文章のなかには、「横たわっていた時間の針が0へと還る 一本の未来木は 祈りの恵みをいっぱいに…」という表現があり、横たわっていた時間の針が0へと還る=横たわっている砂時計(永遠・止まっている)が0時の方向へと還る(縦になる・動き出す)という意図を含んでいて、後々⑮の作品にもつながることになるのですが、個展空間内にも横たわっている砂時計を⑭の作品の前に配置していました。

♾の形のように配置された砂時計

⑪水鏡の華

【水鏡の華】
【水鏡の華】
【水鏡の華】
【水鏡の華】
【水鏡の華】のキャプション

【水鏡の華】【水鏡】という言葉は、"水面に物の形が映ること"というところから、"水がありのままの物の形を映す"という意味を含んでいます。そして、【華】という言葉は【花】という漢字の源流であり、"ありのまま美しく咲き誇る花(華)"といのちの姿を重ね合わせて、生まれてきたのが3つの【水鏡の華】という作品でした。

この【水鏡の華】という作品が生まれた時にこれまた不思議なご縁で茶人で有名な千利休のひとつのエピソードを知ることがありました。そのエピソードとは、とある茶席の場で花入(花瓶)がある限り、花を入れるのは常識だとされていたのにも関わらず、花入に花を生けずに、「花入の口まで水をいれておきましたので、これをご覧になりながら皆様の頭の中に花を入れて、私のたてる茶を飲んでいただきたい」と言ったという内容でした。

それは内側の感じ方や想像(創造)の力に、その自由なこころのあり方を心得ていた千利休だったからこそ、行動にうつすことができたのだ、と、まさに現実も自分自身の感じ方や想像力(創造力)によって変化してゆく、ということが【水鏡の華】から受け取ったメッセージとリンクして驚きました。

個展空間では、目に見えない心の動きから目に見える世界が変化するということや、作品自体の見え方が変化するということを体感して頂けたらと思い、「覗き込んだ世界は」という文面にもあるように作品の近くに鏡を配置し、言葉と同じ動作をすることでどのように感じるか、という意図を張り巡らしていました。

鏡に映る【水鏡の華】

また、今回の個展会期期間を通して、会場に足を運んで下さった方々が「この絵とてもきれいですね✨️」「この絵とてもかわいいです✨️」など肯定的な言葉掛けのエネルギーを注いで下さったおかげで、【水鏡の華】もすくすく育っていき、初日と比べて最終日にはあきらかに放たれる輝きのオーラが別格で、「愛は育ててゆくもの」だと見せて頂きました。

絵だけではなく、自分自身への肯定的な言葉掛けのエネルギーもすればするほど、どんどん愛は育ってゆく、放たれる輝きのオーラも変化していきますね🌸


⑫三碧の羽根

【三碧の羽根】
【三碧の羽根】キャプション

実は今回の作品全体ほとんどが意図せず【3】という数字につながるような絵だったのですが(絵のタイトルが漢字三文字だったり、シリーズで生まれてきた絵が3つだったり)この絵も【三碧の羽根】という言葉が降りてきました🪶

【三碧】とは、運勢判断でいうところの九星のひとつ。
三碧木星という言葉を一度は耳にしたことがあるひともいるんじゃないか、と思います。三碧は星では木星。木星は「成長や発展、幸運を促す星」とされていて、碧には「王(玉)+白+石」という漢字の組み合わせからも、「白く光り美しく輝くたましい」という意味を含んでいます。

生きていると色々な思考が雲のように流れていき、時にその雲が霧や靄のように目の前の視界を見えなくしてしまうような時がある。過去のことを悔やんでみたり、未来のことを心配してみたり、そんな中でもやっぱり深いところではずっとこう感じている。

ほんとはね、ただ自分でいたい。ただそれだけなんだ。過去・現在・未来すべてが今にある。だからこそ、今この瞬間、純粋な自分自身でありたい。ありのまま。あるがまま。

個展空間内には、個展初日前日にふと置きたくなった鳥のいない鳥籠を。ひらいた鳥籠。そこから先の世界は鑑賞者のイメージに託して。この物語の続きを想像してほしい💭

(となんかそれっぽいことを言っているけれども、実のところ家で偶然この鳥籠が昔から置いてあることを知って。ただ、鳥はそこにはいなくてあったのはあくまで鳥籠。先述した【水鏡の華】の時の千利休のエピソードともつながるけれども、目に見えるものだけに囚われずに、想像力から創造する世界を自由に感じて欲しい、という想いがありました)

鳥不在の鳥籠
普遍的な美の象徴であるオーバル(卵)の中に【三碧の羽根】

⑬幻日

【幻日】
【幻日】のキャプション

【Φの箱庭】のメインキャプチャー画像にあるⅠの部分に使用したのが、こちらの【幻日】という絵。後ろの0の部分に使用したのは次に記載する【零命】という絵でした。

【幻日】とは、"太陽とおなじ高度の太陽から離れた位置に光が見える大気光学現象" のこと。通常、約22度離れたところに条件によっては白く見えたり、虹に見えたり、太陽とおなじような光のかたまりのようなもの。

"22"という数字が指し示すのは、"自分自身を信じるこころを持ち続けることが奇跡を起こす"というメッセージ。

この世界で誰もが知っている 目に見えている太陽ではなく、自分自身の真実を見つめてゆくなかで現れる「内なる太陽」それこそが【幻日】であり、【現実】だということ。

目に見えている太陽はキラキラしてまぶしくて、誰もが憧れを抱き、その太陽を目指したくなる。けれども自分自身にとっての本当の太陽でありたいと思うのなら、自分自身の真実を見つめてゆくこと。「内なる太陽」があることを思い出した時、すでに探さなくてもあったということに気が付いた時、目の前の景色に日が昇ってゆく。目醒めてゆく。

幻日】の象徴でもあるプリズムを作品の前に配置していました。見る角度によって虹が【幻日】の中に現れる瞬間がありました。

【幻日】の前に置かれたプリズム

⑭零命

【零命】
【零命】のキャプション

零はレイ。レイは光。零は光だ。
零命は夜明けの、黎明へと共鳴する、生と死のサイクル。
終わりは分断でもなければ別れでもない。
日が沈んでは日が昇るように、いのちは生まれ変わってゆく。見えなくなってもそのつながりは生き続けている。

個展空間では、"生まれ変わり"を示唆するシンボルとして
零命の絵を遺影のように見立て、煙のない線香を手前に置いた。まだこの世に生きているからこそ、煙はつけなかった。

010 "DON'T FORGET YOUR ORIGINAL SPIRIT" の文字

零命という絵と言葉が生まれてすぐに、
生と死の狭間、死に近いところに深く深く潜った感覚になった。病んでいる とか なにかつらいことがあった とか
そういう次元にあるところじゃない 消えてしまってもいい
この世よりあの世の方が 自分自身に近いのではというような感覚。深く深く深く潜った先に戻ってこれなくなりそうになったのははじめてだった。

この世とあの世の境界線が意識的になくなるとはこういうことなんだろうか、と。テレビでよく俳優さんが口にするようなある役柄に入り込みすぎて実際に戻れなくなるような。そこにチャンネルを合わせなかったら生まれてこなかっただろうと思う。

⑮♾

タイトルもキャプションも付けなかった作品

今回の個展空間のなかで一番の規格の大きさで、一際目立っていた作品。当初は2つで1つというかたちを描くのではなく、1つ1つ全く異なる絵を描こうというイメージだったのですが、個展開催日が近くなるにつれて、ふと2つで1つの絵を描こうとお風呂の湯船に浸かっている時に閃き、2つで1つの今のかたちになりました。

この絵を描き始めたのは、実は個展搬入日の前日。その日は事前の準備等もあり、実質3.4時間しか時間はありませんでした。それまでの時間は他の出展する絵が終わらない限りは大きな絵には移れない感覚があり、最後の最後まで真っ白のキャンバスのまま部屋に置かれていました。

最初は真っ白のキャンバスを真っ黒に塗るところからでした。何も考えずにただ無心に… ただ塗っているだけで涙が訳もなく流れてきました。そこからは何を描くか、全くイメージを頭の中に浮かべるということはなく、ベランダに2枚のキャンバスを立てかけて手が動くままに描いていきました。完成した絵は一体なんなのか。この絵のすべてを鑑賞者に身をゆだねることにしました。

個展がはじまると不思議なことが立て続けに起きました。足を運んで下さりこの絵と空間を体感してくれたひとが、この絵に関するメッセージを伝えてくれました。

「なんかこの置いてある砂時計のかたちとこの大きな絵のかたちそっくりじゃない?」そう伝えてくれた女の子がいました。たしかに。横たわって置いていた砂時計のかたちと、この2枚の絵はかたちがつながっているように感じました。

別の方がこう伝えてくれました。「この絵を縦にしてみてみると一本の大きな木に見える」その時、あらゆるものがひとつにつながったような感覚がありました。⑦の【花信風】も⑩の【未来木】にも偶然そのようなメッセージを意図したものを示唆していたのに気が付いたんです。

砂時計を縦にして動かすと一本の大きな木が現れた

そして、この大きな一本の木を見た時に、個展空間におなじように大きな一本の木が描かれているもの、とつながりの糸がリンクしているのに気が付きました。それはこの個展空間をかたちづくる原点となった【誓書】の表紙でした。

そして、この【誓書】の中のページをふと捲ってみました。
自分でもとにかく浮かび上がったものを忘れないように殴り書きしているので、何を書いていたかほとんど憶えていなかったんです。その時にこの木は何だったのか、その木のことについてあの時の自分が伝えてくれました。

【誓書】に殴り書きされた【ユグドラシル】の文字

そこには、【ユグドラシル】【世界樹】という文字があるのを見つけました。ユグドラシルとは、北欧神話に出てくる架空の木で、世界を体現する巨大な木のこと。世界のすべて(この世もあの世も、神や妖精、邪悪なものなどのすべて)が存在する宇宙樹とも呼ばれるもので、そんな世界そのものを表現したかたちだったのだと。この絵が描き終わった時、自分の中でひとつの大きな使命を終えたような、やり遂げた感覚がありました。この絵を描くことはたましいとの約束だったような。ひとつの約束を果たせた感覚があったんです。

初個展の会期を終えて

人生何が起こるかわからない。何が起こるかわからないからこそ自分を生き続けることで見えてくる景色がある。

小学生の頃の夢は「ジャニーズに入って両親をハワイへ連れてゆくこと」だった。大学生の頃の夢は「俳優になること」だった。それから、生きづらさを感じるようになり、自分らしくいられるような居場所を求め始めた。そして、カフェで働くようになった。日雇いのアルバイトや派遣のお仕事で寮住み込みのホテルスタッフもした。夜勤のカラオケで働いたり、日々その日暮らしをする中で、空間が自分にとって大きな割合を占めていることを感じ、ハウスメーカーの営業職につき、住まいに携わるようになった。だけれども、職場の雰囲気を感じ、精神を壊し、鬱と診断された。人生が終わったと思った。なぜ、自分が鬱になったのか知りたかった。自分の一度きりの人生、自分らしく生きたいと誓った。貯金も将来もなにもない、なにも見えない真っ暗闇の中、自分の足で
ただ歩きたいと何もない自分に何ができるのだろうと考えた。唯一自然としていたことが「聴く」「受け入れる」ということだった。そこから、SNSを通して、色んな悩みや吐き出す場のない人たち、生きづらさを感じている人たちの話を聴くという一歩から始めた。そんな中で「自己肯定感」という言葉に辿り着いた。「ありのままの自分を受け入れる感覚」、「ありのまま」とは一体なんなのか。自己肯定感カウンセラーという心理カウンセラーの資格を取得し、目に見えない自分自身の内的世界、心理、精神世界のこと、あらゆることを学びながら、カウンセラーとしての活動をしていた。そんな時に芸術療法(アートセラピー)に出逢い、目に見えない内的世界がアートを通して目に見える形として表現されることで、純粋な自分の本音や望みや想いに気付くようになった。衝撃だった。アートは目に見えない世界と目に見える世界をつなげてくれる糸のような、わたしとわたしが出逢う、愛を伝えてくれるような、愛に触れさせてくれる存在だった。そのタイミングで沖縄に移住することになった。沖縄に移住して数ヶ月後、利き手を怪我することが起きた。普段使わない手を使うようになり、その頃にオラクルカードに出逢った。より感覚的に内観するように、感性が蘇ってくるにつれて、偶然【Pinterest】というアプリで目に止まったのがアルコールインクアートの絵だった。それが僕がはじめてアートに出逢うまでの流れだった。ここには書ききれないけれども、日々生きることを通して、僕はやりたいこと、これだと思えるものに出逢えた。でも、出逢わせてくれたのは、今まで出逢ってくれたみんなの存在があったからで、どんなにどん底にいても光を感じさせてくれるひとが存在が、ひとりでもいてくれたこと。そのおかげで今まで生きてこれたし、今の自分がある。何が起こるかわからない、そんなわからないなかでも自分の選択を信じる勇気。いや、そんな綺麗事じゃない。いつも目の前に用意されているのは進まないとわからないような道ばかりだった。正解がわかるから進むのではなく、進んだ先にそれが正解だったと後から気付く。

今回の初個展もそうだった。手を動かしてゆく中で、その瞬間瞬間で生きてゆく中で、あとからその絵のことや言葉のこと、空間全体に張り巡らされた糸(意図)のつながりに気が付かされる。答え合わせはいつも先ではなく、後からついてくるものだった。

この3日間本当にあの空間に意識を繋がれているような感覚だった。自分の中での個展はすでに始まる前に終わっていた。あの最後の大きな絵が書き終わった時に、今持てる全てを出し切った感覚だった。あとは足を運んで来てくれるひとたちにみんなにすべてをゆだねるだけだった。だから、あの3日間あの場所に立っていられたのは、あの場にいてくれるみんなのエネルギーや存在のおかげだった。個展最終日が終わったあと、帰り道あまりに意識がもうすでに途切れていたので運転をしていたけれども、意識がここになかった。生きて帰ってこれたのはあの時運転を代わってくれた父親のおかげだ。今回、事前の搬入も両親が手伝ってくれたものだった。父親は僕が絵を描くこと、今の仕事をすることに、完全な理解はなかった。だけれども、いざという時にいつも応援してくれていた。完全な理解はなくとも、お前の個展に一体誰が来るんだ、という言葉を口にしながらも、個展空間の絵の配置やレイアウトに一番せいを出していたと思う。常に不安定で変化の多い自分を なにより見守ってくれていた両親には本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。

何が起こるかわからない、未知な領域へと一歩進むことは知らないからわからないから怖いことでもあるけれども、その先に進んでみると、自分でも想像しなかったような、想像を越える景色や体験をすることができる。目の前の景色が真っ暗闇の時、何が起こるかわからないから怖いという意識から現実を創造するのか、何が起こるかわからないから楽しいという意識から現実を創造するのか、で大きく変わってくる。

今回の初個展を終えて、また次の個展を空間を創造したいという想いが景色が見えたきた。いずれはホテルや旅館、空間をプロデュースするような絵画制作や、会社の理念やその人の信念をひとつの絵に可視化しつなぐようなこともやっていきたい。

この場を借りて、あらためてここまで文章を読んで下さり
そしてつながってくれて本当にありがとう。

初個展【Φの箱庭】新作品の原画販売

最後に、、、今回の初個展【Φの箱庭】で展示していた
新作品の原画販売を下記のサイトで掲載しています🎨🖌✨

どの作品も唯一無二の生命を込めたものになります。
今回の作品はどれもが"なにものでもない なにものにもなりうるいのち"という自らの無限の可能性に触れるようなエネルギーが込められた「生」を感じるものになっています。

オンラインショップで購入可能なので、ぜひピンと来た方はお気軽に wingevers@gmail.com 又は@lmda_wing までメッセージを頂けましたら幸いです✉️🕊️🪽

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