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川が汚いのは悪いことなのか? ~途上国の「環境」を考える~

これはJICAでの派遣が決まった後にある、
職種別の事前技術補完研修で聞いた話。

技術補完研修は、派遣前に職種別に行われる
職種に関する事前の研修。
環境教育は私の隊次では2週間、東京で行われました。

私は環境教育隊員ですが、お恥ずかしい話決まった段階では全く知識・経験がなく、この研修で多くを学ばせて頂きました。


「川が汚いのは悪いことなのか?」
この問いかけに対して、どう考えるでしょうか。

「そんなの悪いに決まってる!
 綺麗な透き通るような川で、魚がいっぱいいる川の方がいいに決まってるじゃん!」
私はその時に思いました。
それは途上国と呼ばれる国でも、全世界変わらずもちろん同じだろう。そう考えていました。

その答えは「その国の状況による」です。
そして環境問題を考えるにあたっては、国の状況によってそれぞれの段階があるのです。




環境VS健康 健康が優先されるという視点

「川が汚いのは悪いことなのか?」
この答えは「状況による」です。
ここでいう状況とは何なのか。

川が汚いことは、一見するとただ手放しで悪いことだというように感じます。
ただそれが途上国の下水や住環境が整備されていない場所においては、
ある意味良いこと(健全なこと)になります。

例えば水道や下水設備が整っていない場所において、
糞尿や生活排水はどのように処理するのが適切なのでしょうか。

水道の設備がなかったとして、
川で髪を洗ったり、手を洗ったりすることは良くないことでしょうか。
下水が整ってなかったとして、
糞尿をそのまま川に捨てるのは良くないことでしょうか。

地方では未だに当たり前の様に川で洗濯をし、シャンプーをして体を洗います。


環境のことを考えれば、シャンプー・石鹸を川に流す事は生態系の破壊に繋がります。
糞尿を川に流せば臭いし、もちろん川は汚染されます。
一方で手洗いをしなかったり、糞尿を近くの空き地に捨てれば、
それは逆に感染症やそれらを媒介する虫たちの発生の温床となります。
そこで出てくるのが「健康」という視点。

まずは自分の身の回りの清潔を保つこと。
自分の体→部屋→家→その近所…
自分の住環境の清潔を保つことがまず第一。
手はしっかり洗い、糞尿は川に流し、ごみは住環境から遠ざける。
それらをしっかり行って初めて「健康」が保たれます。
「健康」を保ち、少しでも死のリスクを減らすことがまず第一に重要なこと。
そのような状況で「環境」に対する意識などは二の次でいいのです。

マカッサル市内。奥の家から出ている管からはおそらく生活排水がそのまま流れ出ています。



日本でも昔はそのような状況で、川も汚かったようですが
下水が普及してくると、それに反比例して
川がきれいになっていったそう。

私は正直この話を聞いた時に、何だかすごく納得がいって。

不勉強で情けないのですが、そんな状況を想像もしていませんでした。
だからそんな視点が全くなくて。
健康VS環境という構図は自分の中ではすごく大きな発見でした。
(そんなの当然じゃん!と言われてしまうかもしれませんが)



環境VS企業 公害問題に学ぶ

ここからは私が勝手に考えている事です。
次に出てくるのが「企業」との対決。
「健康」に関してはそれぞれの家庭の中の話。
上記のような途上国では「健康」がまず第一です。

もう少し発展すると出てくるのが「企業」との対決。
ある程度国が発展(産業も発展)していくと、
なんの配慮もなく(というよりも無自覚の場合が多い?)経済活動を行い、
環境に大きな影響を与えていきます。
その中で人間の生命に関わるような問題が出てきます。

例えば日本の公害。
公害は1878年の足尾銅山鉱毒事件から始まったと言われています。
当大鉱脈が発見され、東アジア最大規模の銅の産地となるも、
精製時に発生するガスや排水に含まれる鉱毒によって
周囲の木や稲は枯れ落ち、川の魚も大量に死んで、
近くのいくつかの村は廃村に追い込まれる。

1950年代になると水俣病を始めとするいわゆる4台公害が世間を騒がせ
それらを契機に公害対策基本法が制定、追って環境庁が設置され
法という形で環境が守られる体制が出来ていきます。

自身の「健康」がしっかりと守られる様になり、産業が発展する段階に来ると
法律やその管理体制によって、環境との調和をどうとっていくか、という話になるという訳です。
この段階では今語られている「環境」というよりは、
「安全」や「自然」という意味合いに近いかもしれません。




環境VS経済 先進国での問題


法整備もなされ、管理体制も出来ている。
企業も環境に配慮した製品を開発・販売していく。
一見すると非常に良い(適正な)状態。
既に先進国。日本の様な環境。
そんな中では環境は何と向き合うのか。


ここは色々な議論があるとは思うのですが、
環境VS経済という視点もあるのかなと思っています。
ここでいう経済は、企業の経済活動をイメージしています。

家電や自動車を始めとする多くのメーカーは
年間に多くの新商品を投入し、人々の購買意欲を刺激します。
同じブランドの商品でも新しいモデルが出れば欲しくなったりします。
新しい機能が追加されたり、省エネ機能が追加されたり。
企業も商品をどう売るかを必死に考えた立派な経済活動です。

しかしどうやら家電に関しては、
それぞれの耐久年数のスピードよりも、新商品投入のスピードが速い、という話もあるようで
(例えば冷蔵庫が平均して10年使えるとしても、新モデルは5年ごとに出る、など)
そうなった時に、使えるものを捨てて新しいものに買い替える、
ということが起こります。

一つの家電を作るのにも、大量の石油やエネルギーを使うので
まだ使えるものを捨て、残り少ない資源を使っている、とも言えます。


ここまで来ると、手放しでそれが悪だ、とは言えない気がします。

法律には違反していないし、購買活動が鈍れば
企業の業績が悪化、経済が停滞し、多くの人が職を失う可能性だってあります。
それを製造している海外の工場が回らなくなり、クビになる人もいるかもしれない。
経済活動は必要なことです。

このような状況で、私はどうあるべきなのかまだ分かりません。
100か0かで語られるべき内容ではないとは思うので
うまくその中で調整をしていくべきなのだとは思います。



終わりに インドネシアで何が求められているのか。

今のインドネシアはどの段階にあるのか、そんなことを考えながら生活をしています。
私のいるマカッサルという街でも、まだまだ下水設備も十分とは言えず、
生活排水を川にそのまま流している様子も見受けられます。
地方に行けばごみ収集の仕組みがない(もしくは少ない)場所もあります。


そんな状況の中での環境教育とは、伝えるべきこととは何なのか。
綺麗ごとや事実ならいくらでも並べられます。
川に洗剤や汚物を流しちゃだめだし、ごみを道端で燃やすのもそのまま埋めるのも良くない。
でもそれをしないと生活出来ない人たちがいる。
そうすることで健康を守っている人たちがいる。


本当にそれがそのような生活をしている人に響くのか。
何をどう伝えていくべきなのか。

なんとなくそのあたりが、まだまだもやもやしている感じがするのです。



一方で海洋ごみの排出量の第2位がインドネシアだということも、国中がごみだらけでなんでポイ捨てしちゃいけないのかを理解していないこともまた事実。
少なくともそれが出来る場所や人においては、伝えるべきことがある、
そんな風に感じています。

歩道に穴が開いており、その下は水が流れる為の側溝が。たとえごみ箱が近くにあってもここに捨てる。(そもそも歩道に突然穴が開いているのもどうかと思うけど。)



(環境に関してはまだまだ勉強中の素人です。
 誤りや勘違い等があるかもしれませんがご容赦下さい。)


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