13【連載小説】パンと林檎とミルクティー~作家・小川鞠子のフツーな生活日記~
13)奪ってなんて軽はずみに言わないで
不倫なんて、小説の中だからこそ美しく表現されちゃうものなのだ。
終電間際のバーで「あたしを奪って、夫から」なんて潤んだ目で言う女がキレイだと思っちゃうのは、男と女の関係が背徳感の上に成り立っているとわかっているから。
だいたい、秘密なんてすぐにバレるもの。
背徳感に溺れつつ、新しい関係に浮かれている2人だもの。近所のホテルにいっちゃって、プロが調べるまでもなく知り合いに見られて暴露されてしまう。
本当に秘密にしたいなら、もっと配慮しなきゃ。
絶対に誰にも見つからないような駅を選んで、ホテルに行くのだよ。
お手軽にどっちかの家の近くとか、会社の近くとか、見つけてくださいって言ってるようなものでしょうに。
ちょっと考えればわかるでしょうに。
ちょっと考えることさえ、忘れてるんだ。
浮かれて。
秘密だったはずの関係が暴露されたら、現実には慰謝料っていう制裁が待ってる。離婚なら財産分与しなきゃだし、慰謝料だし、夫婦の共同貯金を持ち出してたなら勝手に使った分は請求されても文句は言えない。
こっちが浮かれている間に、裏切られた配偶者は、証拠を集め弁護士に依頼して、きっちりお金をふんだくる算段をしている。
気がつかずに、日ごと夜ごとホテルに行って気持ち悪いほどラブラブなメッセージのやり取りをしている場合じゃなかったのに。
浮かれてるって、こわい。
小説の中だと、現実とは離れられる。
背徳感にどっぷり浸って物語の主人公のようになったつもりで、関係に酔いしれた男と女を表現できる。
慰謝料も養育費も、ひとまず脇に置いてしまえるのだ。
冬なら、雪景色の中薄着で逃避行の二人を描くこともできる。
春なら、満開の桜の下で気がふれているがごとく踊り狂う二人がいてもおかしくない。
夏ならひまわり畑で、秋なら紅葉した落ち葉が舞う中の二人。
たとえその先に待っているのが破滅だとしても。
二人にとっては、まったく問題はない。
「奪えるか、俺のこと」
このセリフ、男に言わせちゃって始まる麹まゆかの新作は、令和っぽいなあと思わせた。ストーリーは、大不倫物語で、不倫した二人とそれぞれの妻と夫の苦悩まで描かれている。
夢を見ている2人と、現実を生きるそれぞれの配偶者の描き方は対照的。
担当編集者の山倉さんと、仕掛けたなあ。
二人ともしばらく忙しいだろう。
落ち着いたら、またうちでゆっくりお茶会をしよう。
つづく
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