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ネクタイの歴史(西洋と日本の歴史比較)

【まとめ】

1870年頃より西洋では第二次産業革命が起こり、労働者の働き方が現在に近くなり、現在のビジネスファッションが台頭してきた。1867年、日本では大政奉還がなされ、西洋化に舵がとられ、1900年に至るまでに、日本は西洋列強国と肩を並べるまでの存在になった(1894年日英通商航海条約の調印)。なので、1870年の西洋でのビジネスファッションの台頭以降、ネクタイの歴史は、西洋・日本でもほぼ大差がない。

【日本のネクタイの歴史(2つの覚えておきたいこと)】

①ネクタイの日本語表記は「襟飾り」だった
②日本ネクタイ組合連合会が1971年に10月1日を「ネクタイの日」と制定した

【解説】
①ネクタイの日本語表記は「襟飾り」だった
ジョン万次郎は、乗っていた漁船が難波し、漂流、無人島に到着した(1841年)。半年後、米国の捕鯨船「ジョン・ホーランド号」に発見救助され、10年間、米国で過ごした後に、帰国した(1851年)。その際、フェアヘブン(ボストンの南約5里の町)で購入したネクタイを日本に持ち帰った。長崎奉行で取り調べを受け、その所持品の記録として、ピストル、羅針盤の他に、「白鹿襟飾(ネクタイ)三個」が残されている。ネクタイの日本語表記は、「襟飾り」だった。

②10月1日は「ネクタイの日」
小山梅吉は、1884年、彼が24歳の時、現在の東京神田の岩本町付近で、開催されていた古着市場で、ネクタイを発見した。帽子製造を営んでいた彼は、「これは何に用いるものか」店主に質問すると、「それは洋服を着たときに必ず首に絞めるものだ」と教わった。「これは中々面白いものだ。」と感心しながら、女帯と共に、買い求めて帰った。そして、この帯地を裁断してネクタイ(蝶タイとも言われている)を作った。これがおそらく日本人としてネクタイを作った最初の日として、10月1日は「ネクタイの日」として制定された。


【ネクタイの歴史(ヨーロッパ編)】
1500-1650年 貴族は胸元を豪華な「ひだ襟」で着飾った時代
1650年    ルイ14世が胸元の装飾品としてネクタイを採用
1650-1780年 貴族は豪華な「カツラ」を装着し、胸元を「ネクタイ」で着飾った時代
1780-1870年 貴族から紳士の時代へ。シンプルなネクタイをいかに"結ぶか”に拘った時代
1870年    現在のビジネスファッション(背広、ベスト、パンツ、折返し襟にネクタイ)が誕生。折返し襟のシャツになったことにより、ネクタイの結び方も横長結び(蝶結び)から縦長結び(フォアインハンド(プレーンノット))へ
1870-1925年 第二次産業革命と共に、労働者の働き方が変化。ファッションに実用性が求められ、現在のいわゆる”ビジネスファッション”が台頭していった時代。
1925年    ニューヨークのジェシー・ラングスドルフがネクタイの製法を革新。結び難かった縦長結び(プレーンノット)を結びやすくすることで、様々な縦長結びが考案された(ウィンザーノット、セミウィンザーノット等)。

【ネクタイの歴史(日本編)】
1851年    ジョン万次郎が、アメリカからネクタイを持ち帰る
1853-1867年  ペリー来航-大政奉還(明治維新)
1872年    京都・西陣の佐倉常七、井上伊兵衛、吉田忠七の3人がフランスのリヨンで、ネクタイの製造技術を学ぶ
1882年    洋品雑貨商の田中力蔵が東京日本橋橘町で、輸入ネクタイの販売を始める
1884年    帽子製造の元祖、小山梅吉が中古市場でみつけたネクタイを女帯で作った。初めに作ったのは蝶タイと言われている。ネクタイ縫製の第一人者でもある。
1893年    南文蔵もネクタイの加工を開始
1895-1910年 ネクタイがブームになる(日清戦争・日露戦争が火付け役)
1914-1918年 第一次大戦以降、フォアインハンド(縦長結び)が全盛期になる
1925年    小山梅吉もジェシー・ラングスドルフのネクタイの製法を取り入れる

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