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The lady Justice11/8

生活の変化

5月、離婚をした。
離婚話が出てから具現化していったのは、急だったものの全くそのような兆候のないところから話が降って湧き出たわけではない。ビジネスパートナーとしてはうまくいっていた気はするが、夫婦となると、元々、破綻していたように思う。私自身は仕事をするのも母でいるのも妻でいるのも、全てが『私』だと思っていたけれど主人は違った。仕事をするのが自分で、家を守るのは妻で、と互いにたいしての役割分担を与えた。それを流れるままに受け入れていたのだけれど、実際にはそこが大きな間違いだったと思う。どちらかが病める時には、なんていう定義から、そのやり方は大きく外れた。新婚のうちはそれでも良かった。相手をがっかりさせたくなくて気に入られていたいがゆえに、頼れる自分を演出できる間は。

いつの間にか稼ぎ手役であった主人は、自分が稼いでいるのだから、や、誰が食わしているのだ、というようになった。私は最初から最後まで、自営である我が家の売上詳細を知る事はなかった。だから周りに、お宅は景気が良いですね、と言われても、主人が自由にやっていても、私自身は結婚当初の極貧思考のままだったし、その稼ぎを与えられる事もなく、来る日も来る日もただ家事と子育てを預かるだけだった。欲しい物があったとしても、頭を下げなければならない。

自営でもある家業が軌道に乗らなかった頃には、自分勝手に決められた役割分担もまるでなかったかのように、働きにいけば?とも言われた。子供が出来て社会で再スタートするにもブランクがあり、難しくなってからそんな事を言い出されてもこちらも困る。それに、私は私側の役割を解除できないし、させても頂けないだろう。仕事がひとつ増える分、家庭内の事に主人からの協力があるとも思えなかった。早い話、人権がなかった。

それでも16年、四の五の言いながら子供もあるので連れ添った物の、途中からはもう、私が私である限り主人が主人である限り、この関係は変わっていく事はないだろう、と諦めてもいたので、主人が前向きに離婚を考え始めた時にはやっと変化が見えて、正直、ほっとしたのも確かだった。

……とは言うものの、女手ひとつで子供3人の世話をしながら仕事を探し、生活していくなんて並大抵な努力では成し遂げられない事も理解していて、仕事をひとつ探すにしても、やれ土日は出られないと……だの、残業が厳しいようでは……だのと言われなかなか見つからず、目に付くところはどこも続きそうにないような興味のない仕事ばかりで、最悪夜の仕事だな……とまで考えていた。

急に決まった離婚だったので主人が家を出て行く形で纏まり、我が家の事情は少し特殊すぎて学校も変わる事ができないので、そのままここで暮らして行かねばならず、そうするとひとり親支援も出ない、と行政がいう。引越しをするにも保証人が必要で、三親内の保証人等と言われても身内が居ない私にとっては主人の名前ももう使えず、挙句には仕事探しにまでそれが必要、となった。助成金は出ない、仕事も家も保証人がいない、仕事がなければまず家が借りられない、家がなければ仕事は出来ない…………。完全に負のスパイラルだった。

保証人になって頂けないかと主人に頼んだ時、それが人に物を頼む時の頼み方か、と言われたし、離婚したら大変になるのもわかっていてそう仕向けたのはお前だ、と言われたけれど

だから私はあなたのそういうところに嫌気がさしていたのだ

という言葉しか思い浮かばなかった。子供は私が面倒を見ている。常に、自分だけの意見しかよこさないところが大の苦手だったので、もはや言い合う程に近くもない私達は、赤の他人であるし

「考えておいて頂けると嬉しいです」

とだけ、告げた。それでも私がニコニコと前向きでいられるのは、面倒な事がひとつ減ったからだろう。もう無駄に、頭を下げないでも良い。


突然の占いブーム

そんなこんなで、手っ取り早く見つけた先で5月末日まで仕事をしていた。今はもう辞めてしまったが、ブランクを埋めるには最高で、たいして思い入れも美味しさもこれと言ってない職場だった。例えば、クレジットカードを作る時にもそうだけれど、社会というのは信用を求める。沢山お金を借りてしまい破産経験があるのならば数年借りられないのは当然だが、一度もお金を借りた事がなければクレカヒストリーには情報がなく、それはそれで借りづらくなる事に似て、職探しも同じような事だった。ブランクが埋められればそれでよい、5月末までいた場所はそうした腰掛けの現場でしかなかった。

自分には合わない、そう思いながら務める先からの帰り道、駅の地下街には無数の商店が並んでいる一画にオープンスペースがあり、間仕切りが立てられただけの縦に長い通路脇を疲れて歩きながら眺めた。ここは何をするスペースなのだろうと目をやっていると、どうやら占い師の方々がそれぞれに机を出せるようなスペースで、その中に、あの日の手相占いがあった。

そもそも占いになんて頼った事がないし、道なんか自分で切り開けばなんとかなる、と思ってきた人間なので一度は通り過ぎたものの

(いや、待てよ……今までと同じやり方では、結局、この先だって同じ結果を招いてしまうのではないか?)

と思い直して、踵を返した。物は試し、埋まっていくパーソナルヒストリー。そうして、椅子に腰かけた。

難しそうな顔をして占術師が言う。
『あなたはとても努力家なのに、比較的才能も溢れている方なので何でも易々とこなしてしまわれるように見える。周りにはその努力が全く見えていないので、誤解される事も多いでしょう。その努力を形に変えていかないととても勿体ないです』

目から鱗だった。それは私にとって、とても衝撃的な言葉であった。
誰かに認められる為に努力などすべきではないと思っていたし、それは一種の媚びに似た感情が入り混じっているようにも感じるし、純粋な努力とは呼べないのではないか、そう思ってやってきたが、目の前にいる人は

努力は目に見えてこそ

だと仰る。誰も見ていない、考えも及ばないようなところでするのが努力であって……と思っていた私にとって、その言葉が頭から離れなかったのは、確かにそうなんだよな、とどこかで腑に落ちた答えだったからであった。

人からは何でも余裕でこなしているように見られやすいし、そんな事では傷つかないと思われている。いつも平気そうに笑っていられるのは、今までの経験からだけであって、平気だから笑っているのではない。笑っていないと周りが心配するからだ。それなのに、あなたが何でも出来るからだよ!となじられた事もある。そんな事で傷つくようなタマかよ、と言われる事もあれば、どこまでやられても平気、のように不躾に傷つけられる事の方が多い。その癖、あの人は誰よりも繊細な人だ、と言われたりする。繊細というのが神経質、という意味でなければ、敏感だ、という意味に値すると思うのだが、それでもやっぱり行きつく先は『あの人なら、きっと平気』ーーーーーー

あぁ、なるほどな、と思った。そうなのだ。仰る通りかもしれない。でも、その他は全部はずれていた。別に良い。気づきがもらえたんだから。


埋まってくヒストリー

金もないのに、初めての占い、というヒストリーをひとつ作った。経験がひとつ増えるだけで次から臨む時には気後れしないで済む、というメリットが経験にはある。良くも悪くも経験は知恵に繋がるし世界を広げる。アタリはしなかったけれど、無駄金を叩いた!とも思わなかった。その日は生憎、雨だったし、したくもない仕事で生活への腰や気持ちが落ち着かないでいたけれど、何か新しい事をした、という点で、気分はとても晴れていた。

努力を形に!その言葉を胸に、現在4つの資格を並行して取得する為、学習中である。最近、忙しくて遠のいているジムも早めに再開しないと、努力を形に変えられないので、その程度のワークライフバランスは調整できるように計算しながら新しい仕事も探すつもり。のんびりもしていられないから、隙間時間に単発のバイトでも組み込めば何とかなるのではないか、と思いつつ過ごしている。

若い頃は、何に対してもなにかしらの形がすぐに見えないと不安だった。仕事に関してならば、なくなれば嘆いて、色んなところに連絡をしては、でも今から働いても用立てられるのは1か月以上か……だとか、今ないと言っているのに交通費も出せないのでは……などなど。そうした考え方はありとあらゆるところに内在していて、それが恋愛であれば、好きな人に好きだと言ったらすぐにお返事が欲しい、だとか。対仕事、であれば、それは生き物ではないから断られても仕方がなかったものの、恋愛となると話は別で、あまり他人の事を考えていなかったかもしれない。ごめんね。

そんな風に若い頃の私は、今やった事が今すぐに形にならないと不安で不安で仕方がなかった。

けれどそんな私も、もう人生には慣れ始めていて、あの頃はまさしく、果報は寝て待て、を信じられず、なんなら意味を履き違えていたようにさえ感じる。誰かが何かをしてくれるわけではないんだから!と闇雲に動いては、すぐに答えを欲しがって、何をやっても無駄だと思った事が間違った学びになり、そうなってしまったら、もう、動くだけ無駄、やるだけ無駄、と半ば捨て身で過ごし、最終的に、全然面白くない!と言い続けていた頃もあった。

果報は寝て待て、はきっと、いまのいまではなく、いま動いた事はこの先で身を結ぶから、いまを諦める事なく生きろ、という意味であって

何もしないで寝ていたら寝ていた分の結果しか手に入らず、何とかしようと今している事が後に沢山舞い込んで来るのが「果報であり家宝」だ

と解るまで、40年以上かけてしまった気がする。だから、今、止まる事なく歩んでいるのだけれど、躍起になった分、したいと思った仕事に応募しまくり内定が出まくって、当然全部がしたい仕事であったので、どれにしようか悩みに悩んで収集がつかない状況に至っている。果報に悩まされる日が来るとはね。考えた事もなかったけれど、これはこれできっと、幸せな悩みで。

立ち止まらないで続ける事がきっとパーソナルヒストリーをうんで、いつか華になるみたい。私もいま、その手応えを大きく感じているところ。疲れて立ち止まるのならば、その華を眺めながらでも遅くはないな、と思っている。もし、何をやっても自分なんて……と思っている人がいれば、それは答えを急ぎ過ぎているのかもしれないし、そんな時には酸っぱい葡萄理論でも誰も責めやしない、という事を覚えておいて頂けると幸い。立ち止まらないで歩いていれば、人生なるようになるし、なんだったらなるようにしかならない!作っていくのは自分だから、見えない努力と見える努力。

もうひとつわかった事。
見えない努力には善行が、見える努力は対社会。私はいつでも、両方を持ち合わせる女神・テミスのような人間でいたい。

明日も良い日でありますように!

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