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自分の人生に責任を持てているだろうか?

こんにちは。

実は昨年9月に会社を辞めた。自分で人生の手綱を握るために辞めた。
今日はそんな人生の手綱について考えを少し書きたいと思う。

仕事を辞めてすごいと思ったのは1日24時間すべての時間の使い方を自分自身が決められること。逆に言えば、誰も自分の歩むべき道を指し示してくれない。

これって実は保育園や幼稚園に入園してから社会人になった今の今までストレートな人生を歩んでいると経験ができないということに気が付いた。

振り返ってみれば、29歳で退職するまで自分で自分の人生を選択してこなかったなと思う。

地方だったので当然ながら小中学は自動的に決まるし、ありがたいことに高校はサッカー推薦が4、5校来ていたので、その中で一番近くて、結構強いところにまともに受験もせずに入った。(自慢だが僕の世代で県内の超伝統校を倒して県1位にもなった)大学進学も似たようなもの。

とは言え、小学校から続けていたサッカーも尊敬する兄の真似事で始めただけで、当時は心の底から愛していたわけではない。兄が地元では有名な選手だったため、弟として半ば意地で続けていたようなものだ。

この人生の大枠の流れっていうのは個人差はあれど、大抵の人は同じ流れだと思う。いかに多様化多様化言っても、いわゆる普通の人生って言うのは、生まれる→義務教育→進学→就職→結婚→退職→死ぬという人生だろう。

この人生のフレームワークを使えば、誰しもが慣性で生きられる。誰が作ったのかは知らないけど、日本で最も普及している優れたスキームの一つだと思う。

人生の大半である就職後のステージでは、皆が会社員になって同僚や先輩後輩、その他ステークホルダーと接する。そして、不自由なルールや規則に縛られて、理不尽なことにさらされ、不満もたまる。そして居酒屋で肩ひじつきながら文句を垂れて酒を飲む。

たぶんこれは全然珍しいことではない。だって、未だに電車に乗ったり居酒屋に行けば、僕よりも一回りも二回りも年上のおじさんたちが組織や社会、個人に対して愚痴や文句を言っている。もう初期のポケモンのコラッタかよってくらい簡単に遭遇出来る。

・アレをしたくない
・コレをしたくない
・客が悪い
・上司が悪い
・部下が悪い

もちろん僕も例外じゃない。社会人になってからは愚痴を吐いたり文句も垂れてた。

でも、ある時に思った。

アレ?これって俺の人生なんだよね?

当たり前のように学生生活を過ごし、当たり前のように会社員を続けて、愚痴を聞いたり吐いたりするうちに、自分の人生をどこか他人事のように見ている自分がいることに驚いた。まるでRPGゲームの主人公をTVの外で操るプレーヤーのように。

会社員時代の僕は紛れもなく「ただの会社の労働力」だった。

自分の人生を会社に1カ月数十万円で切り売りしていたわけである。少なくとも自らの人生を自ら選択しているとは言い難かった。

この気持ちは焦りや怒り、不満や反骨など、いろんな感情がごった煮の状態で膨れ上がった。そして、この感情をきっかけに僕は自分の人生と向き合い、将来どうなりたいのかを自問自答するようになった。

そして、自分の人生の手綱は自分で握る。と決めた。

自分で人生の手綱を握る以上、問題を解決するには自ら考えて動くしかない。これは言い換えれば他人には期待しない。と考えることである。

社長も同僚も親も友達もパートナーも自分の人生のためせっせと動いてくれるわけがないのだ。

自分の人生で起こり得ることは究極全て自分のせいなのである。
(10割だと鬱になるので実際は9割くらいで考えてる。笑)


一見するとストイックだが、この考えは至極シンプルなため、頭の悪い僕はとても心がけやすい考えでもあった。

何か不満や問題がある場合、それを引き起こしたのは全て自分の責任である。そして、その問題を解決するためには自分自身が行動してなんとかするしかない。と。

もし、あなたが今、人生に不満があるようであれば、一度冷静になって考えてみてほしい。

例えば、
・給料がもっと欲しい。でも上がらない
という良くありがちな不満があったとしよう。
(まぁ内容は何でも良い)

この不満に対して以下の2つの選択肢があったとする。
あなたはどちらの選択をする?

1)同僚や周りに愚痴や文句を言う
2)何かしらの行動を起こしてみる

当然ながら2が正解である。
2を選択すればあらゆる可能性が広がる。

・もっと自分の市場価値を高めるように勉強してみよう
・もっと良い待遇の職場を探してみよう
・もっと会社の利益に貢献できるようにしてみよう
・副業を始めてみよう
・誰かに相談してみよう

沢山の可能性が広がり、そしてその可能性を実現すべく、沢山の努力を生む。

みんな分かっているはずである。

でもなぜか多くの人たちは「愚痴」を選択してしまうのである。ではなぜ「愚痴」を選択してしまうのか?答えは簡単である。愚痴を吐くのは楽なのだ。だって口を動かせばいいだけだし、そして不思議と同調や仲間意識も芽生えやすい。

・上司が悪い!
・社長が悪い!
・会社が悪い!
・社会が悪い!

「はぁースッキリ。みんなも「そうだそうだ」と言ってくれたし、より仲が深まった気がするよ。」

で、問題であった給料は上がったのだろうか?
頭の良い人はもうお気づきだろう。そう。

給料は上がっていない。

それどころか思考を停止させ、人間力を低下させる。そして、レベルの高い人間は愚痴を言わない故に愚痴を言うあなたを避け、離れていく。さらにたちが悪いことに、愚痴を言う人間には愚痴を言う人間が近づいてくる。類は友を呼ぶというやつだ。まさに負のサイクル。

ハッキリ断言するが愚痴や文句は問題を全く解決しない。

愚痴を吐く人間は誰かが自分を幸せにしてくれるとでも思っているのだろう。だが、

人に頼っている限り幸せにはなれない。
問題を解決するには自ら考えて、自ら選択して、自ら動くしかない

僕はこの考え方に至ってから、自らの人生を主体的に生きるようになったように思う。人に期待しない分、随分とストレスも減った。自分の成りたい将来像を漠然とイメージし、そのために解決すべき課題を一つ一つ行動でクリアしていくようになった。口を動かすのではなく。退職もそのひとつ。

今は個人の課題だけでなく、もう少し大きい単位の悩みや課題が出てくるようになったけど、それでも自分で自分の人生を考えながら歩むのは楽しい。

少し先人の言葉を借りる。

いつの時代だって、やる奴はやるのよ、やらない奴はやらない
矢沢永吉
あなたはいま、自らの居場所を持ち、そこに満足を見出していますか?
答えが「イエス」だったら、次の目標は何でしょうか?
もし答えがノーだとしたら、あなたは今から何をなすべきなのでしょうか?

アール・ナイチンゲール
よその誰かが、あなたに心の平安を与えてくれることなど、決してない。
それは自ら動くことではじめて手にすることができる。

ダン・ケネディ

文句や愚痴を垂れる。これらは誰かが自分の人生をなんとかしてくれると思っているからこそ取れる行為なのである。自分の人生を他人事だと思っているのである。

もし、今置かれている状況に不満があったとしても、それは紛れもなく自分自身で作り出した現実である。不満があるのであれば自ら行動して変えていくしかない。

自分は被害者だと思っている人
自分の人生に不満がある人

自分の胸に手を当てて自問自答してみてほしい。

自分の人生に責任を持ててるか?
自分の人生の手綱を自らの手で握っているか?



今日書いた内容はアメリカのマーケティング界の大御所ダンケネディ氏の書籍から得た内容に基づいている。タイトルがゴリゴリの自己啓発タイトルで少し手に取るのを躊躇ってしまうが、人が生きるうえでの基本的なマインドを学べる原理原則の教則本である。イマイチ一歩を踏み出せない人はぜひ読んでみてほしい。思考も行動も変わる。


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