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日本絵画歳時記 初夏(2)

 こんにちは。椿です。
 日本絵画歳時記、「初夏」の2回目です。今回は初夏に行われる、この季節ならではの風俗風習について、風俗画や浮世絵を見ながら考えたいと思います。

 初夏に行われることと聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょう?地域によって色々あるかとは思いますが、全国で広く行われるものとして、まずは田植えに注目してみたいと思います。
 といっても、都会で生まれ育った方には、あまり馴染みはないかもしれません。映像などで見たことはあっても、実際に田植えがいつどのように行われるか、よく知らないという人もいるでしょう。九州などでは4月までに行う地域もあるようですが、本州ではおおよそ5月になってから行う地域が多いようです。

「月次風俗図」東京国立博物館

 日本の風物を描いたやまと絵には、月次絵(つきなみえ)といって、月ごとに行われる行事や風俗を主題としたものがあります。本図はそうした月次絵の一つで、室町時代の後半に描かれたと考えられています。おそらく本来は12扇、6曲1双の構成だったと思われますが、現在は8扇が伝わるのみで、8曲1隻の屏風に仕立てられています。
 そのうち第3扇から第4扇にかけて、田植えの様子が描かれており、現状ではこの2扇だけ、絵が連続するようになっています。

第3、4扇(出典:ColBase

 第3扇では牛を使って代掻きをする様子と、白米らしきものを盛った碗や魚を入れた桶を担ぎながら、畦道を進む人々が見えます。続く第4扇では、田植えをする大勢の女性と、お面を付け、笛や太鼓ではやし立てる人々が描かれます。

第4扇(出典:ColBase

 女性たちが田植えをしている横で、なんでまた踊り?と思われるかもしれませんが、これはいわゆる田植神事でしょう。豊作を願って、神が喜ぶよう、音楽を奏で、歌を歌い、踊っているのです。
 これが神事の様子であることは、それこそ田植えをしているのが女性だけという点からもうかがわれます。こうした女性のことを特に「早乙女・五月女(さおとめ・そうとめ)」といいます。

第3扇(出典:ColBase

 畦道を進む一団が、お昼というには不釣り合いなほど立派な食事を運んでいるのも、神事に伴うものと考えれば合点がいきます。一方で、手前には苗を運ぶ人たちの姿も描かれています。
 現状では、各扇が何月に対応しているのか、はっきりしないところもあるのですが、おそらくこの2扇は旧暦の4月から5月を念頭に描かれたものと思われます。梅雨に入る前の、初夏の光景ということになるでしょう。

岩佐又兵衛「洛中洛外図」(右隻)東京国立博物館

 次にご紹介するのは、桃山時代の末に描かれた「洛中洛外図」です。落款印章はありませんが、特徴的な人物表現から、風俗画を得意とした岩佐又兵衛の作と考えられています。京都の中心部と郊外を一望のもとに描くのが洛中洛外図ですが、右隻下部の第3扇から第4扇にかけて、七条あたりの鴨川沿いで、田んぼが耕されています。

右隻第3扇

 こちらでは音楽を奏で、はやし立てるような一団はいません。顔つきだけだとなんとも言えませんが、田植えをしているのも男性のように見えます。ともかくも、純然たる農作業の様子が捉えられていることになります。
 さきほどの「月次風俗図」もそうですが、一見、代掻きと田植えが同時進行しているように見えます。しかしおそらくは、一連の農作業を説明的に並べて描いたもので、実際には代掻きから田植えと、順序立てて行われたと考えるべきでしょう。この辺の描写は絵ならではといえます。

右隻第3−4扇

 田植えにいそしむ人たちがいる一方、すぐ横の鴨川で泳いでいる集団がいて、対照的な描写となっています。少し大げさな物言いになりますが、働き、遊ぶ、すべての人の営みを描く、洛中洛外図の特徴がそこに見て取れると言えるでしょう。

 さて、次は端午の節句について見ていきたいと思います。節句(節供)とは季節の節目となる日のことで、中国から伝わった思想に基づくとされます。日本では特に1月7日の「人日(じんじつ)」、3月3日の「上巳(じょうし)」、5月5日の「端午(たんご)」、7月7日の「七夕(しちせき)」、9月9日の「重陽(ちょうよう)」が、五節句として親しまれてきました。

節(せち)は五月にしく月はなし。菖蒲蓬などのかをりあひたる、いみじうをかし。九重の御殿の上をはじめて、いひしらぬ民のすみかまで、いかでわがもとにしげく葺かんと葺きわたしたる、なほいとめずらし。

節句は五月の(端午の)節句に勝るものはない。菖蒲や蓬などが香りあうのが、たいへん趣深い。宮中の御殿の軒をはじめとして、誰か知らぬ庶民のすみかまで、どうにかして自分の家こそたくさん葺こうと葺き渡す様子は、またとても素晴らしい。

清少納言『枕草子』

 端午の節句では、家の軒先に菖蒲や蓬を挿し並べることが古来行われてきました。こうすることで邪気が払われると考えられていたのです。清少納言も触れているように、菖蒲や蓬は強い香りが特徴です。その香りが邪気に有効だと見なされた訳です。いまでは軒に菖蒲を挿す光景はほとんど見られませんが、お風呂に菖蒲を入れる菖蒲湯は経験のある方も多いのではないでしょうか。

狩野永徳「洛中洛外図」(右隻)米沢市上杉博物館

 この絵は狩野永徳による「洛中洛外図」です。室町時代末頃の京都を描いており、数ある洛中洛外図の中でも初期の作品になります。先ほどの又兵衛のものに比べると、描写範囲がかなり広く、一方で人物は小さく表されるという違いがあります。

右隻第4扇

 町家の屋根の上に、人が二人上っています。小さくて少し分かりにくいですが、水色の着物の男性が軒に細長い草の葉らしきものを挿しているように見えます。形からしてこれは菖蒲の葉でしょう。よく見ると後ろには葉を立て入れた桶が見えますし、すぐ下の路上では菖蒲を売り買いしている様子も見られます。郊外で刈り入れた菖蒲を町まで売りにきたのでしょう。隣の家なども結構な数の菖蒲を挿していますし、まさしく「いかでわがもとにしげく葺かん」というところでしょうか。

 さて、現在では5月5日は「こどもの日」とされ、鯉のぼりを庭に掲げたり、特に男子の健やかな成長を祈って、兜を家に飾ったりします。実はこれは江戸時代からの風習で、菖蒲が尚武(武を重んずること)と音が通じることから始まったものです。

歌川広重「名所江戸百景 水道橋駿河台」

 歌川広重最晩年の連作「名所江戸百景」の一枚です。大きな鯉のぼりでお分かりのように、端午の節句の江戸市中を描いたものです。鯉が滝を登って竜になるという中国の古い故事(登竜門)にちなみ、こうした鯉の吹き流しを飾るようになったとされます。
 広重の絵をよく見ると、なにか人物を描いた幟(のぼり)も見えます。これは「鍾馗」で、疫鬼を退け魔を払うとされた中国の神様です。子供の成長を祈り、こうした吹き流しや幟が掲げられた訳です。

鳥居清長「子宝五節遊 端午」東京国立博物館(出典:ColBase

 本図は鳥居清長による浮世絵で、左端の幟、髭を生やして剣を手にしているのが鍾馗です。五節句に子供達が遊ぶ様子を描いた組物の一つで、幟の前ではおもちゃの馬や刀を手に子供達が遊んでいます。子犬が一匹混じり、じゃれているのがほほえましいですね。

鳥居清長「子宝五節遊 端午」東京国立博物館

 同作者同タイトルの別バージョンもあります。こちらの幟は金太郎、桃太郎、高砂(たかさご)を描いてます。前者ふたつは言わずとしれた御伽話の主人公で、彼らのように立派に成長して欲しいということでしょう。もう一つの高砂は長寿や夫婦仲を願う能が元の主題で、熊手を持った尉(じょう:老爺)と箒を手にした姥(うば:老婆)の組み合わせで表されます。幟を指さしている男の子の手には小さな鯉のぼりも見えます。
 手前の男の子たちはおもちゃの刀を手に遊んでいますが、右隅の男の子が手にしているのは菖蒲を編んだ束で、地面を叩いて音の大きさを競って遊んだのだそうです。菖蒲打ち・菖蒲たたきといって、いまでも似たような風習の残る地域があるようです。

 初夏の風物として、今回は田植えと端午の節句に注目してみました。風俗画や浮世絵には当時の風俗や風習が表されます。その様相は時代と共に少しずつ変わっていきますが、いまと何が同じで何が違うのか、見比べていくのも楽しみの一つといえるでしょう。

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