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日本絵画歳時記 桜(1)

 こんにちは。椿です。
 今年は暖かくなるのが早かったですね。おかげでちょっとタイミングを逸してしまった感はありますが、今回から日本絵画に描かれた桜について、お話ししていきたいと思います。

 桜はまさに日本全国至る所で見ることができます。最も人気のある花と言っていいでしょう。菊と並び、日本の国花でもあります。しかし、前にも話したとおり、古代日本では中国文化の影響で、梅の方が人気があったといいます。

木の花は、濃きも薄きも紅梅。桜は、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。

木に咲く花は、濃い色のも薄い色のも紅梅がいい。桜は、花びらが大きくて、葉の色が濃いものが、細い枝に咲くのがいい。

清少納言『枕草子』

 梅の回でも紹介した『枕草子』の一節ですが、桜は梅に続いての言及となっています。人気はあるけれど二番手というところでしょうか。しかし、これが次第に逆転していくわけです。
 それはさておき、語られている内容に注目しましょう。「桜は花びらが大きくて、葉の色は濃く、枝が細いところに咲いている」のがいいと清少納言は述べています。ここでひとつ気をつけたいのは、彼女が念頭に置いている桜は、現在一般的なソメイヨシノなどとは品種が異なると推測される点です。
 ポイントは「葉の色は濃く」と花と同時に葉に言及している点です。これは花と葉が同時に開いている状態を前提としていることになります。つまり、先の一節は「細い枝に濃い色の葉が付いていて花びらが大きい桜」と言い換えられるのです。
 現在ポピュラーなソメイヨシノは、葉桜という言葉があることからも分かるように、まず花が咲き、それが散った後に葉が出てきます。花と葉は基本的に同時には開きません。公園や並木道に植えられている桜の多くがソメイヨシノであるため、それが普通であるように思いがちですが、ソメイヨシノは江戸時代末期に生み出された新しい品種で、実は、古い時代の桜は花と葉が同時に開くタイプの方が一般的と言えます。

 これは私が撮影した桜の写真ですが、花と葉が同時に開いているのが分かるかと思います。ヤマザクラという、その名の通り山に自生する品種の一つで、有名なところでは奈良の吉野山で見られるのも、多くはこのヤマザクラの系統だそうです。ヤマザクラは花が咲くのと同時に葉も開き、開きはじめの葉は褐色であるものが多くなっています。

酒井抱一「桜に小禽図」細見美術館

 こちらは江戸時代後期に活躍した酒井抱一の「桜に小禽図」です。花と葉が同時に開いているのが見て取れます。葉も緑ではなく、褐色系ですね。つまり、この絵に描かれているのもヤマザクラの一種ということになります。

 長々と品種の違いについて語ってきましたが、この違いは従来あまり意識されておらず、それがゆえに間違った解釈を招いていることがあります。それについては後の回で詳しく触れますが、ひとまず、昔の桜はソメイヨシノとは違う、花と葉が同時に開くものが多いということを覚えておいてください。

 さて、清少納言は桜に関してもう一つ、面白いことを言っています。

絵にかきおとりするもの。なでしこ、菖蒲、桜。

絵に描くと劣るもの。撫子、菖蒲、桜。

清少納言『枕草子』

撫子と菖蒲、桜は「絵にかきおとりする」、つまり絵に描くとダメだというのです。これは興味深い指摘です。ただ、何がダメなのか、彼女は理由を述べていません。例に挙げられている三つの花から推測するしかありませんが、はたして共通点はなんでしょう。正直に申し上げて、にわかには答えが浮かびません。
 一方で清少納言は「かきまさりするもの、松の木、秋の野、山里、山道」とも記しています。これもまた難しい。後ろ三つはひなびた感じに似通うとことはありますが、彼女がどういう絵を念頭にこう述べているのか、当時の作品もほとんど残っていないので、いずれも想像するしかありません。みなさんはどう思われますか?

 次に、同じく平安時代の文学から、『源氏物語』にみる桜をご紹介したいと思います。

如月の二十日あまり、南殿の桜の宴せさせたまふ。

二月の二十日過ぎに、南殿で桜の宴を開かれなさった。

紫式部『源氏物語』花宴

 光源氏が二十歳の春、宮中で花見の宴が催されます。源氏が披露した舞いや詩を人々は褒めそやし、夜がふけるまで宴は続きました。酔いも回って帰りがたくなった源氏が弘徽殿のあたりをさまよっていると、「朧月夜に似るものぞなき」とつぶやきながら近くへ来る女性がいました。源氏は思わずその女の袖を引き、戸惑う相手をよそに、そのまま口説いて一夜を過ごします。彼女こそ、弘徽殿の女御の妹、右大臣の六の君(朧月夜の君)でした。

「源氏物語色紙貼交屏風」より 三重県立斎宮歴史博物館

 この絵は色紙に描かれたもので、二曲一双の屏風に全部で36の場面を表した絵と詞書きが、それぞれ貼りまぜられているうちの一図です。朧月夜の君がいままさに源氏の前に現れた瞬間を描いていて、庭には満開の桜が月に照らされ咲いています。
 本作品の詞書き筆者は後陽成天皇をはじめとする近世初期に活躍した人々で、絵の方は作風から土佐派の絵師が手がけたものと推測されています。金銀をふんだんに使った大変豪華な色紙絵ですが、月をはじめとして銀は黒変してしまっています。本来はこれ以上に華やかな画面だったことでしょう。伝統的なやまと絵のスタイルをよく示しています。なお、細かい話ですが、よく見ると、花と一緒に褐色の葉が描かれているのが分かります(月の脇あたりの描写が分かりやすいかと思います)。

 最後に『源氏物語』からもう一つ、「竹河」の一場面をご紹介します。

弥生になりて、咲く桜あれば、散りかひくもり、おほかたの盛りなるころ
(中略)
君たちは打ちさしたまへる碁打ちたまふ。昔より争ひたまふ桜を賭け物にて、「三番に数一つ勝ちたまはむ方に花を寄せてん」と戯れかはし聞こえたまふ。

三月になって、咲く桜もあれば、空が曇るほど散るのもあり、だいたい花盛りとなったころ、
(中略)
姫君たちは途中になっていた碁をまた打ち始めた。昔から我が物と争っていた庭の桜を賭け物にして、「三番勝負で一つ勝ち越した方に花を譲りましょう」とふざけて言い合っていなさった。

紫式部『源氏物語』竹河

 頭中将と夕顔の娘にして源氏の養女となった玉鬘は、黒髭との間に五人の子をもうけます。引用したのは、そのうちの姫君二人(大君と中君)が、花盛りの頃に、庭の桜を賭けて囲碁を打つという場面です。勝った方が花を得るということですが、囲碁で勝負するというのは現代の感覚では渋いといいますか、面白いですね。
 さて、この場面は有名な「源氏物語絵巻」でも取り上げられています。

「源氏物語絵巻」竹河二 徳川美術館

 この絵巻は現存する源氏絵の中でもっとも古く、かつもっとも優れているといわれる作品で、平安時代後期、12世紀頃に描かれたと考えられています。
 中庭に見事に咲いているのが賭け物の桜で、姉妹二人は左手の部屋で碁盤をはさんで対峙しています。奥の方、いままさに一手打たんとしているのが姉の大君(おおいきみ)、背中を見せているのが妹の中君(なかのきみ)です。大分絵の具が落ちてしまっていて分かりにくいのですが、大君は桜模様の、中君は紅梅模様の着物をまとっており、物語本文の記述を再現したものとなっています。

 この桜は姫君たちが子供の頃から庭にあったもので、兄の中将は「幼い頃からどっちのものかとよく争っていた」と語り、「この桜が老木になったのを見るにつけ、過ぎ去った歳月を思い出す」としみじみとしています。
 絵ではさほど老木にも見えず、見事に花を咲かせています。ただ、幹にしても花にしても絵の具の剝落が多いのが残念です。地面を見ると散った花びらもかすかに見えており、当初はいま以上に華やかな場面であったと想像されます。ちなみにこれも、うっすらと葉が見えるのでヤマザクラ系と思われます。

 以上、『源氏物語』に見られる桜について、二つの場面を紹介しました。物語の作者紫式部は先にあげた清少納言と同時代の人物です。彼女たちが生きた時代は、まさに王朝文化華やかりし時代で、しばしば、唐代中国の影響を脱して、国風文化が盛んになったと解説されることがあります。近年ではそうした考えは単純だと見直しを図る研究者もいますが、花の文化史、特に桜に対する美意識を考える上では、やはり重要な時代になろうかと思います。

 さて、今回はここまで。次回以降は花鳥画、宗教画、名所絵や風俗画に描かれた桜について、見ていくこととします。

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