「鬼」と「悪意」。とか?
このnoteは、『基本読書』の冬木糸一さんが、noteにつけた椿りつのコメントを、なんのご連絡もなく消去し、さらにコメントをできないようにブロックしてしまった。というあまりのことに心神喪失した椿りつが、長い長〜い死の5段階を得ながら、実際にここで行われたことが何であったのかを、毎日「冬木糸一」という存在にかこつけて記録していく、noteです。
みなさん、こんばんは🎵
毎日書くことにしているのだけれど、時間が足りなくて12時を回ってしまう。すると、noteのつづけた記録を正式には加算できない。
これ、ちょっと悔しい。
しかし、書かないよりは良いと思うので、今日も更新します。
今日は、あまりみなさんが聞きたいような、素敵な話は出ないです。
なにせ「悪意」と「鬼」の話なので。
しかも、イライラする。って言葉を、多くの人が同じ箱に入れすぎていると思う。という、お話から始めたくて。
まぁ、悪いことですよね。イライラするって。
怒るなんて、もってのほか。でしょ?
現代社会は「怒る」ということに、みんな過剰反応している気がする。
coten ラジオでも、「死の回」のどこかでヤンヤンさんが言っていました。「日本人の声のあげなさ」について。
どこの国でも、このような立場におかれたら、力を、声を合わせて抗議を行い同じ立場の人たちが集まるのに、なぜか日本はちがう。って。
黙ったまま、一番勢いのある勢力の最適解のために、自死していくように見える、日本の人たち。私はこれを、小さい頃読んだ戦前や戦中のようだな。って思います。非国民ていう言葉があった頃の。
そして、ポリティカルコレクトネス。という言葉を、私は多分、4年ほど前に初めて聞いていて。今、その時に感じた違和感を言葉にすれば、そのまんまの単語のコンフリクト「正しさとは何かと考えるための誠実さ」が、実は、遠ざけられているように感じたことだと思う。
「コレクトネスとは何か」
「コレクトネスにくっつけられたポリティカルとは一体、何のことなのか」
そこに発せられた言葉「ポリティカルコレクトネス」は、社会の力学の中でどうしても人であることのその正しさを完遂できない。よんどころない事情があり、そういった無念を秘めながらの苦渋の選択で口にされた言葉。みたいな悲壮な感じでは、なかったので。
何らかの権力・人的な力学が働いているその場には、あくまでもそれに波風を立てることなく沿うようにすることが最適解であり、触らぬ神に祟りなく。いわゆる「常識」に沿う。そのための正解。といったような意味で使われていたから。
悪いことではない。
4年前の私は、どこか違和感を覚えながらも、その「最適解」を、否定できなかった。「そうしなければならないのか〜」とすら、思った。そして、「そうしなくてはならないんだな」と思いながらそのまんま、ここまできたのだ。
冬木さんを見てきた歴は、長い方だと思う。
ファンだ!と公開して言い始めたのも、2016年ぐらいからではなかったかと思う。
私は冬木さんには、忖度しながら、忖度してこなかった気がする。
正直にいることが、誠実で、正しいと思ったし。
そういった「ポリティカルコレクトネス」に則ることが、どういうことなのかわからず、とにかく、とても難しかった。
冬木さんの、敵を作らずに上手に「忖度しない最適解」をできるところが眩しくて。
実際に目にした数々のシーンを思い返してみても、冬木さんは、忖度しない高慢で尊大なところもありながら、きちんと自分にとって得になる状況にベットするために忖度すべきところには、全力で忖度をしていた。
うん。それも、眩しかった。
そこだけ忖度すれば、「自分にとって有利になる状況」になるって、
まず、「見える」ところが才能ではないですか?
そのうえ、その状況を逃さない。そのように振る舞える。ってとこも、才能だと思います。
思い返せば、あそこでこうしておけばよかったのかも。
と、思うけれど、「自分に有利になる」とわかっている状況こそ、遠慮してしまったり、照れてしまって、つい謙遜して、たぶん、いろんなものを取りこぼしてきて…。
そんなことって、普通にないですか?
「一人で全部つかみとる」、よりも、つい、「みんなで分けたい」って、思ってしまう。とか。
冬木さんは、ありがとう。って、分けた気持ちを、何も言わずに掴み取り、ドン、って私を突き落とした。
う〜ン。これって、ライオンが崖から子どもを突き落とす、あれ、だったりしませんかね。
とまぁ、いつまで経ってもそんなことを信じられずに、何年もの月日をかけて微分されながら、「どうして?」って声を上げられずに叫んでいるのには、誰も、誰にも、気づかれなかった。
それは、信じたくないから話さないんだもの。
話したって、みんなわからない。
悪気なく。よかったね。関わらない方がいいって分かって。
とかは、よく言われた。知ってる、彼らは悪くない。
景色だけがただただ流れ、時間は振り返らずに行ってしまう。
やっと息が吸えて、声が出た。
「悪意」とは何か?
信じたかった私が、声を出せなかったから。
「悪意」?
私、思うんですけれど。
「鬼」として昔話に描かれた人たちはいろいろといたと思うのですが、
赤鬼や青鬼、「鬼」って色がついているではないですか。
実際に一体の「人」の姿をした異形のキャラクターを「鬼」として
認識していたというものと、「鬼がつく」というように、
鬼が憑いたようなその状況や状態を指した形容もありますよね。
「鬼のように」がまさに。
私、冬木さんは人の形をした「鬼」だと思うんですよね。
「ように」ではなくて。ま、お名前がそのまんま鬼ですし。
私が「悪意」だとしたら、まさに。
並べると収まりがつく🎵って、そう、思いません?