部屋の片付け【本の整理】その1

はじめまして。ブログを書くのは初めての経験です。
コロナ禍による会社の業績悪化に伴い、7月末に退職したばかりです。
今後のことも含め自分を振り返る良い機会だと思い、部屋の整理を始めることにしました。 

「まずは、積ん読と化した大量の本を売ろう。」

私は、洋服や化粧品はそこまでこだわりもなく、使わなくなったらすぐ捨てられるのですが、本だけはお金に糸目をつけずホイホイ買ってしまうし、執着も強い。これまで何度も買い取ってもらったけれど、気づくといつの間にか増えているのです。

なぜ本が増えてしまうのか。改めて今までを振り返ってみました。​

■親の価値観からの影響
私の父は本をよく買ってしまうタチのようで、部屋に収まり切らない本は専用の物置きに収納していました。今思い返すと何よりも父が積ん読をしていたのです。
私も子供の頃、その物置を勝手に物色していましたが、父は文学よりも実用書や評論、民族学の本などが好きだったようです。知らずのうちに私も影響を受けており、小説よりも実用書や新書、旅行記等が好きです。記憶に残っているのは晶文社の本でした。
下記は子供の頃に父から買い与えられた晶文社の本。
10際から15歳までの様々な環境にいる日本人の子供たちへのインタビュー記録です。AMAZONでは全く評価がついていませんが、14歳で家出をした少女やイギリスに留学した子などのインタビューを見て、自分とは全く違う生活を送る人がいるんだなー、と印象に残っています。

こちらの書籍は、アメリカのインタビュアー、スタッズ・ターケルの「仕事」と同様の手法で市井の人々へのインタビューをまとめたものですが、下記の本はちゃんと読んだことがないので、いつか読んでみよう。

インタビューって面白いです。テレビ番組でもドラマよりインタビューを見るほうが好きなくらい。
定期購読している野本響子さんのマガジンでも、先日こんな記事がありました。世界のどこかにいる見ず知らずの人の生活を垣間見て、どんな毎日を送っているんだろう、と想像するのはとても楽しいです。

そして母はあまり本を買わず、なるべく図書館で借りて読んでいましたが、年中「本を読みなさい」と言われ続けていました。
しかし幼い頃に買い与えられた「大草原の小さな家」「赤毛のアン」などにはいまいち興味がわかず、家にあった百科事典や図鑑、辞書、あと「週刊朝日百科 世界の地理」シリーズなどを年中眺めていました。
こちらの「世界の地理」シリーズは、見ているだけで旅行気分になれます。毎号、1つの国にフォーカスし、その国の概要や風景、家族の暮らしぶり等を写真で紹介しています。

誕生日プレゼントは図書券でした。大人になった今でも誕生日の頃になると図書カードが家に届きます。たくさん本を読んでほしい、という親心の表れなのでしょう。

だけど小学生の子供が親の期待通りの本を買うわけがありません。貰った図書券をすべて漫画につぎ込んだこともありました。さらに母からは少女漫画を禁止されていたので、大量の漫画を収納棚の奥に隠していました。今思うと、確実にバレていたと思うけど。
その頃に買った漫画はほとんど忘れてしまったけれど、かすかに覚えているのはこちら。
SFで環境問題を絡めた内容は、今読み返しても面白そうです。

だが中学生になると、漫画を隠れて買うことにぱったりと興味を失い、漫画はあまり読まなくなりました。

■本で背伸びをして大人気分を味わいたい
中高校時代は特に文学少女にはならず、小説といえば、カミュ「異邦人」、カレルチャペック「ロボット」、カフカ「変身」、芥川龍之介、シオドマク「人工頭脳の怪」(ドノヴァンの脳髄)、マルキ・ド・サドなどを読んでいました。特にSF好きの自覚はないんですが、こうやって振り返るとちょっとSFっぽいのが好きだったのかな?

https://www.amazon.co.jp/dp/B000JBPPDW?tag=note0e2a-22&linkCode=ogi&th=1&psc=1

あと、雑誌にもハマっていました。
週刊文春が創刊した当初の「CREA」は、女性誌らしからぬ硬派で社会派な記事が多く、同級生で読んでいる人はいなかったと思います。
写真家の藤原新也さんの連載、消しゴム版画のナンシー関さん・漫画家の町山広美さんの対談連載、書籍の紹介やファッションも大人向けで読み応えがあり熟読していました。
ごく平凡な高校生で家と学校という狭い世界で生きている中で、同級生が読んでいないような本を読んで、ちょっと大人になったような気分を満たしたかったのだと思います。

また、「暮らしの手帖」は母がずっと購読していたので、時間があれば一人でバックナンバーを読みふけっていました。
特に好きだったのは、パリ在住のジャーナリスト、増井和子さんのフランスやその近郊の中東などのレポートです。
ファッション誌とは違って華やかなパリではなく、ごく普通の人々のベレー帽やコートの着こなし、パリ在住の日本人シェフ、ファッションデザイナー高田賢三氏の渡仏当時〜現在までの活動についての記事、昨年火事で燃えてしまったノートルダム大聖堂の紹介など、増井さんのジャーナリストならではの視点は、読んでいて心が温まるのです。

増井和子さんについては、こちらの記事が秀逸です。

そして、たくさんの服の写真に向けるのと同じぐらいの熱量で、増井さんの文章にも接した。旬のデザイナー、世界のKENZOを前にしてもあくまで自然体。好奇心の赴くまま目をきらきらとさせてファッションの現場に飛び込んでゆく。ランウェイで披露されたぴかぴかのニュールックについても、ファッションの世界の人なら絶対言わないような自由な解釈が飛び出す(昔の日本のおじさんがインスピレーションかしら、という大胆な発言もあった)。何よりすばらしかったのは、デザイナーとその周囲に溢れる祝祭とでもいうべきピュアなよろこび、楽しさが活写されていたことだ。ファッションとは遠く離れた世界にいる子供にもわかるほどに。そしてその楽しさを少しわけてもらった気がして、繰り返し、繰り返し、読んだ。

この方の文章がとても上手。増井和子さんの文章に、同じように心をときめかせた子供がいたのだな、と共感しました。

また、高校の学校帰りに公立図書館に寄って見るのが好きだったファッションの本。アメリカのジャーナリストが取材した70年代ファッションはかなり古い印象ではあるけれど、定番アイテムの軍放出アイテムや民族衣装や質の良い古着を小物でアレンジを加えてセンスよく着こなす、という手法は普遍的で、眺めているだけで違う世界に連れて行ってくれます。

大学生以降は、アルバイトや仕事の収入によって、自分で購入できる本の量も芋づる式に増えていくのですが、その分手放すのも簡単になっていったような気がします。
それほど本が自由に買えなかった子供の頃に読んだ、図書館の本や家にあった本は、今も印象に残っている本が多いと気づきました。それは必ずしも現在、自分の手元には残っていない本です。

先日、所有していた本を見返すと、購入しやすいビジネス書、小説、語学本に加え、大幅に場所を占拠していた美術展の図録や画集の類は買った時点で満足してしまい、最近はほとんど読み返すこともなくなっていました。

そこで、買取業者を調べて買い取ってもらうことを決めました。
その続きは次回、書きたいと思います。

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