好きな人には好きな人がいてどうしても敵わないみたいです
好きな人がいました。
私は昔から恋愛話というものが苦手で、それは私自身が自分のことを好きと言い切れなくて(自己肯定感が低いというのか)
だから「私なんか」に好かれても相手は困るだろうと思ってしまうから。
修学旅行の夜や、なんにもない放課後の駄弁り。女子たちの会話は決まって恋愛に行き着く。
きゃっきゃと顔を赤らめながら好きな人の話をする女の子たちがかわいかった。そっち側へいきたい気持ちもあったけれど、私は聴く専門で、「○○ちゃんはどうなの?」と訊かれるたびにはぐらかしていた。
少女漫画や恋愛ドラマ、小説、映画は生活に溢れていたから、嘘をつらつらと並べることならできたと思う。
でも、リアリティに乏しいうえに実感が伴わない。なにより、自分の話をするのはどこかこっ恥ずかしく恥だった。
大学生になる。そんな私に好きな人ができた。
気がした。
小学校、中学校、高校とまともに恋愛感情をもってこなかったから、周りが言う「好き」の感情がわからない。
loveとlikeのちがいがわからない。
わからないなりに好きかもと思った。
声、話をする波長、価値観、選ぶ言葉、日常に感じる面白さ、シルエット、手、読んでいる本、みている映画、
私は彼のそういうところに共感した。尊敬した。
嫌なところもあった。できることなら改善してほしい。でもそれは傲慢だよ。と私の頭の中で幾度となく会議が開かれ、すべてひっくるめての彼なのだから、この部分がなくなっては彼ではないという意見に着地した。
まあ、その嫌なところは直接会うと、話すと、どうでもよくなってしまっていたのだけれど。
彼は勘の鋭い人だった。
人ってこういう雰囲気で、こういう話の流れで告白に持ち込んだり、それとな〜く気持ちを伝えるんだろうなと、ぼや〜と私が考えていると
そうさせない空気を一瞬でつくりだす。
だから私は告白はしていない。
でも気持ちが伝わりかけたことは多分ある。その都度、「ちがうよ。ぼくらの関係はそういう関係じゃないでしょ。」とやんわりテレパシーを送られていた気がする。
私も、彼ほどではないが、勘の鈍い人間ではないので、素早くそれを受け取って、我にかえる。
やっとできた「友人」を互いに失いたくなかったのだとおもう。
今、なにを残したいのかというと、
結局彼とはなにもなかったけれど、
私の彼に対する感情は「恋」ではなくきっと「愛」だったということ。
そしておそらく彼も私に「愛情」をもってくれているだろうということ。(希望的観測)
彼に実は恋人がいるのだと伝えられたとき、意外にもあっさり、そうなんだと納得した。
その恋人が彼と同性だと打ち明けられても、驚きはせず、そうなんだと納得した。
そうなんだ。そうなんだ!
少し動揺したけれど、疑っていた部分もずっとあったから。疑う?疑うことじゃない。
私は彼のことが好きで、愛していて、だから少し悔しい気持ちもあったけれど、幸せな話を聞いて、その顔をみたら、よかったという気持ちでいっぱいになった。
今まで、どこか彼に執着していたところがあった。執着というより、執着することに執着していた。
この自分に対する縛りを、自分で自分を息苦しい方へ導く呪いがやっと解けた。
これから先、彼ほど思い入れをもてる人間がわたしのまえに現れるかわからない。
一か月近く考えて、すべて受け入れる体制に入ることができた。
この出来事は私の中でのひとつの区切りで、これを期に日々が劇的に変わることはないけれど、それでも進んでいくしかない。小休止は終わりました。
好きでした。ありがとう。やっぱりこれからも好きです。
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