もしかしたら思想

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タイトル通り、今回は私の「もしかしたら思想」について少し書いてみたいと思います。

もしかしたら思想は、私がなぜだかわからないけど小さい頃から持っている結構気に入ってる考え方です。愛情を込めて、もしかしたら思想と名づけることにします。


私は小さい頃から友達が誰かの悪口を言ってきて共感を求められても、頷くことができない子供でした。悪口を言われている子の気持ちになると辛かったし、罪悪感があったのはありますが、一番大きな理由は常に「もしかしたら思想」を持っていたからかもしれません。あの子がそんなことをしちゃったのは事実だけど、もしかしたらあの子も傷ついていて、それを周囲に伝えようとしたやり方が悪くて結果的にこうなっちゃっただけなのでは??みたいな、そんな具合です。悪いことしちゃった人にも何か理由があるはず、っていうことです。もちろん、それをしちゃった事実は変わらないし、どう足掻いても悪いことなのには変わりはない。でもだからこそ、もしかしたら思想は結構大事なのでは?と思います。私はともすると、その人のことをなーんにも知らないのに事実だけで責めてしまいがちだから。

この考え方は日常生活にも応用できます。例えばエスカレーターで、誰かが私の前に割り込んできたとしましょう。そこで普通はおいおいおいおいおい私並んでんだが????となりますが、ここぞもしかしたら思想の出番です。いやちょっと待てよ?この人は今入り込んできたけど大事な人が危篤で少しでも早くそこ向かいたいのかもしれない!?じゃあまあしょうがないか〜、みたいな。もしかしたら思想ちゃん、怒っても仕方ないときにいい仕事してくれそう。

もちろん、明らかに相手が自分を踏みにじるようなことをしてきたらちゃんと怒った方がいいので、もしかしたらがいつでも使えるってわけではないのですが。使い方は考えなきゃですが、私調べではちょっとしたことには使えます。日常に忍び寄るちょっとしたイラ。

あとここで重要なのが、「もしかしたら思想を使って相手のことを赦しましょう」ってことではないということ。あくまで「もしかしたら」に思いを馳せることがゴールだと思っています。その過程を挟んだ後に自分がどう思うかは自由で、とにかくこの考え方を挟むことに意味があるよねっていう、なんかそんな感じです。(?)(何言ってるのかわかんなくなってきた)

これは私のおまじないとして使っていますが、同時に意外とこの「もしかしたら」が当たってる可能性もあるんじゃないかなあとも思うんです。だから、想像力大事。誰かを必要以上に傷つけないために、色々思いめぐらせてみる、って大事なのかも〜と思うことがあります。余裕ない時にこんな風に考えるのは難しいですが、少しでもやさしい気持ちでいる時間は長い方がいいはずなので積極的にこの考え方を使っていきたいところです。穏やかでいたいなあ。それでみんな、怒りそうになったときにちょっと立ち止まってお互いにもしかしたら、、、って想像力を働かせてみることができたら、すこーし優しい世界になりそう。そんなことを思いました。


おしまい



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