見出し画像

アメリカの図書室ボランティアと、本の中と外

アメリカの図書室ボランティア


「Can I renew this book?」
そう申し出てくるのはたいてい声が小さく、こちらと目を合わせることもできない、本のタイトルを隠しているような子。
できる、と言うと、そんなに安心しなくてもいいのにというくらいホッとした表情になって、嬉しそうに本を差し出してくる。
「Here you go」
そう言って読みかけの分厚い本を手渡す時、私はその子に、つい忘れそうになっていた感覚を呼び戻してもらう。
スポーツより、ゲームより、食事より、一人でその本の続きに迷い込みたいという、その感覚。本から目を上げると、そこに自分の身体があることに驚くほど、遠い世界から連れ戻されるような。

アメリカの小学校で図書室ボランティアをしている。
返却された本を整理して書棚に配架したり、子どもたちの小さな質問に答えたりする。
子どもたちから返された本をめくって、どんな本が読まれているのかを知れるのが楽しい。
ドッグマン、バッドガイズ、プリンセス、ギネスワールドレコード、クッキングブック、スポーツ図鑑、宇宙、動物。
日本でもアメリカでも、子どもたちの興味の対象は幅広く、特にどの国がどうという差異は見当たらない。
時間になっても教室に戻りたがらないような本好きの子もいれば、図書の時間など不要だと言わんばかりにコンピューターだけいじっている子もいる。
日本ともしかしたら違うかなと思うのは、先生が生徒を見守りながら「Alexa, turn on kids friendly Christmas music」などと画面に語りかけてBGMが流れ始めることくらいか。

本の中


いつまでも本の中の世界から出てきたくなかったのを思い出す。一つの本が終われば、その作家の他の作品へ。その作家を終えたら、同時代の他の作家へ。
何を産み出すでもなく、何かに貢献するわけでもなく、ただその世界に没入する幸せな時間を、伸ばせるだけ伸ばして、身体を置き忘れていた。

本の外


本から目を上げた場所にあるのは、空気が流れ、天気が変わり、不測の事態が起こり続け、食べて排泄しながら収入や支出についても考えなければならない世界。
携帯が鳴る描写一つでも伏線になるような本の中の世界とは違って、何の伏線にもならないようなことが慌ただしく起こり、希望は叶わず、努力が無情な結末に繋がることに意味を持たせることもできない、本の外。

外から中へ

JOESマガジンでインタビューの記事を書かせてもらうようになり、数ヶ月になる。話を聞かせてもらう相手の方々は、そんな、空気が流れ続ける本の外の世界を歩んできた人たちばかりだ。
身体だけはいろんな国を知ってはいても、目と頭の中は活字を追うことが多かった私にはどんな話も力強く、聞いているだけで追体験するかのようだ。
その人の声が喉を通り、空気に乗って音声として私の耳から入ってきたものを文字にして、見出しを付けていると、「本の外」が「本の中」へ入ってくる。
これは、文章を書くことが好きな人ならわかる感覚だろうと思うが、脈々と波打つ動的なものを言葉として捕まえて、文字に固定する、快感。

その快感は、本の中へ入り込む快感のさらに一つ先に、ある。
作業に入り込んで、また身体を外に置き忘れていたことに気がつく時、この新たな快感を知れるほど長く生きてこれたことに感謝する。

JOESマガジン「イマドキの海外生活」毎月第二月曜日に更新しています。どうぞご覧ください。

Makiko


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?