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大学時代の友人が熊本に来た話

今日、関東と関西から大学時代の友人が熊本にやって来た。
私のことを取材するためだ。
違うクラスだったけど、同期の友人2人。
アトリエ近くまでバスで来てもらい、そこまで迎えに行った今朝。
観光物産館に入るなりアレコレと買い物をする友人。
買ったものを見せてもらったら「大量のニンニク」があった。
「え?何でニンニク?」と尋ねると「だって、東京ではこんなに安く買えへん!」と言う。
「ホンマは、ジャガイモも欲しかってん。でも、持った瞬間『重っ』ってなって諦めたわ」とのこと。
そうか。熊本に住んでてすっかり慣れっこだったけど、野菜が安いって決して当たり前じゃないんだ。
そういえば、県外に住む母も熊本に来る度にリュックサックいっぱいに野菜を買って帰っていたな…と思い出した。
日夜、汗水垂らして作ってくださる農家さんには改めて感謝だな、と思う。
そして、熊本で大量のニンニクを購入するその友人の感性が私は大好きだ。

観光物産館からアトリエまでは車で約15分。
どんどんと山の中に入っていく様子を見て、驚く友人たち。
アトリエが見える寸前のカーブを曲がると広大な景色が広がる。
私はここから見る景色が大好きだ。
例に漏れず、友人たちも大興奮で写真撮影をしていた。
「自分と同じ感性の人たちがここにいる」という喜び。
「めちゃくちゃ素敵なところやなー!」と興奮気味に話す友人たちの言葉に何とも誇らしい気持ちになった。
軽くアトリエ内を案内した後、帰りの飛行機までの時間を考慮して早速取材が始まる。
私がこの世に生まれてからのこと、大学時代にみんなに出会ったことや岡本太郎賞を受賞したこと、それぞれのターニングポイントを振り返る。
43年間で散りばめられた「点」と「点」は時を経て「線」になっていることにみんなで感動しながら、あんなことやこんなこと、取材する方も取材される方も大笑いしたり大泣きしたり大忙しの取材だった。

まだ10代で知り合った我々が、みんな40代になった。
TARO賞の授賞式後に関東組の友人たちと卒業以来の食事会を開いた時にとある友人が言った言葉が今も心に残っている。
「俺たちは、10代のまだ何者でもなかった時代に出会って、未熟なところもダサいところもドロドロしたところもみんな曝け出してきた。だから、今更隠すこともないし、カッコつけることもないし、弱い部分だって抵抗なく見せることができる。これからつんと出会う人は『TARO賞作家のつんさん』という前提でつんのことを知ることになる。それはそれで「出会い」であるし決して悪いことではないけど(キッカケの一つだから)『同期』というものはこれから(亡くなったりして)減ることはあってもこれ以上増えることはない。だから、大切にしていこう」と言った。
本当にその通りだと思ったし、同期のみんなの存在が特別で、いつも私の心を支えてくれていることも事実だ。
関西の大学だったこともあり、ほとんどの同期が関西に残り、そこから歳月が経ち関東へ行く同期も増えた。
それでも、九州へ移住してくる同期は誰もいなかった。
私も何の縁もゆかりもない熊本へ就職のために単身やってきた時は本当に誰一人として知り合いはいなかった。
それでもそこでできたコミュニティに今は支えられ、幸せな毎日を送っている。
そんな私にとって大切な熊本のことを実際に足を運んで味わってほしくてずっと誰かが熊本を訪れる機会を待っていた。
過去に書いたnoteにも同じようなことが書いてあった。

そんな念願叶って、今日という日を迎えることができた。
取材が終わって、連れて行きたいご飯屋さんへ2人を案内した。
お米の美味しさ、だご汁の美味しさ、見える景色、空の広さ、水の美しさ、熊本の空気、全てに感動してくれた。
そうでしょ、そうでしょ。
ここが私の自慢の熊本という場所だよ。
まるで自分が誉められているような気持ちになってすごく誇らしかった。
友人の飛行機が東京に到着する頃「つんが東京に来た時に取材やなくて、つんが暮らしている土地で、つくっているアトリエで取材させてもらって本当によかった」とLINEをくれた。
私が生活しているこの素敵な場所を体感してほしくて、みんなにも「つんは(友人たちの前での一人称は「つん」なのです)ここで毎日精一杯生きてますよ」ってことを伝えることができて本当に良かったと思う。

私が大好きな神社に大切な友人たちのことを紹介しに行った。
いつもは神社には絶対に一人で行くようにしているのだけど、今回はちょっと特別。
飛行機の時間の関係で全てを回ることはできなかったけど、また今度熊本に来てくれることになったので、その時までのお楽しみ。
私が心から愛する熊本という場所。特に菊池という場所。
そんな大切な場所を同じように大切に思ってくれる人がいるという幸せ。

空港までの車の中でナビがとんでもない挙動を見せて運転している私もパニック、友人のスマホのナビもとんでもない挙動を見せて友人もパニック。
「熊本にまだいなさいってことなのかなー」なんて大笑いしながら車を走らせた。
私だって、友人たちにはずっと熊本にいてほしいし、いつだって会える距離にいたい。
だけど、それぞれに生活があって、それぞれの立場で今日も精一杯生きている。
空港までの道中も、空港に着いてカフェで喋った搭乗時間までの時間も、あっという間に過ぎていった。
いつも通り、握手をした。みんな、強く強く握ってくれた。
きっとそれぞれに思うこと、感じることがあるのだろう。
強く握られた右手に友人たちの愛を感じつつ、これからもずっと元気で幸せでいてくれますように…の気持ちを込めて私も強く握り返した。
保安検査所へ向かう友人の背中を見守りつつ、振り返った友人と大きく手を振り合った。
いつも私が関西や関東などの現地へ行くことが多いので、見送られる側に立つことが多い。
見送る側になって気づいたけど、見送られるより見送る方がきっと辛い。
槇原敬之さんの歌詞に似てるけど。多分、きっとそう。

最後に空港の外観の写真を撮影したら、我慢していた涙がポロリとこぼれた。
「また会いたい」と思える友人が存在していること、本当に有り難くて尊いことだと思う。
人間はこうやって、何かを心の支えにして今日もまた生きているのだ。

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