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「疲れたら休む」「疲れる前に休む」という当たり前のこと

今年の夏は「ギャラリーでのグループ展」「個展」「市民講座」「公募展の制作」と怒涛の3ヶ月ほどを過ごした。
もちろん、その間に休むことはほぼ無く、それでも大好きな制作の毎日だったので「生きてるって、こういうことなんだなー!」と生きている実感はものすごく感じていたし、体は疲れていても心は満たされた毎日で、あっという間に過ぎていった。
一言で表すとしたら「過去一最高の夏」だった。

最後の大仕事である「公募展の応募書類を提出」したのが9月13日。
その後、3ヶ月間放置し続けていたコザコザと向き合い、それらをこなす中で同時に私の中にある「何か」が消えかかっているのも感じていた。
「燃え尽き症候群」のような、そんな感じなのだろうか。
昼間は常に眠たいし、体が重たいし、SNSを見ていてもなんとも表現し難い感情が湧いてくるし、フォロワー数やいいね数を見ていると虚しさというか不安というか、そういう感情が湧いて来たのが正直なところだ。
自分がやっていることの価値がフォロワー数やいいね数で計れるわけではないことは理解していても、時々、心に影を落とす。
SNSを通じて知り合ったご縁に助けられることもあるし、見ず知らずの私の作品を大切に想ってくれる人もいる。
これだけでも尊いことなのに、人間はいつだって欲深い。
例に漏れず、「フォロワー数やいいね数で価値が決まるわけないんだ」と言っているこの私だって、何か反応をもらえると嬉しいし、逆に反応がないとやっぱり落ち込む。
基本的にはどんなことが起こってもポジティブに捉える私だって、時にはネガティブになる。
だいたいそういう時は、疲れている時だということもわかっている。
もう随分と制作と向き合えていない気がして不安になるが、実は大仕事を終えて2週間ほどしか経っていない。
3ヶ月分の溜まりに溜まった疲労はさすがに2週間では回復しないか…と我に返る(それにこの2週間だってずっと休息できていたわけでもないし)

ここ2週間くらいでInstagramやX(旧Twitter)でとても素敵な出会いがあった。
私が理想としている生き方をしている方や同じような価値観の方とやりとりをした。
「そうか。SNSは数字を追わなくても、こういう使い方もあったんだった」と思い出す。
SNSを仕事として使い始める前は、まさにそんな使い方をしていたし、そこで出来たご縁が未だに続いていることも事実だ。

ほら、やっぱり「疲れている」のだ。
止まることを恐れる自分は「休む」ということが苦手で、そこが全ての元凶な気がする。
一体、休むことに対して何に怯えているんだろう。
一体、誰に対して遠慮しているのだろう。
疲れたら、誰に遠慮することなく休めばいいじゃないか。
というか、疲れる前に休もう。そこの塩梅は自分で決めよう。
だって、私の人生なのだから。

一度きりの人生、もっと楽しんだ方がいいよ、と今の自分に伝えたい。
今日は、そんな自分に向けて書いた独り言のようなnote。

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