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好きな人と「付き合う」ってどういうことなんだろう、と考えた話

今日は、恋愛の話。

とても私事で恐縮なのですが、先日から好きな人とお付き合いしています。

ぼくの方から「付き合ってください」とお伝えしたのですが、実は伝えるまでに葛藤もあって。

「付き合うってどういうことだろう」
「ぼくは付き合うことに何を求めているんだろう」

そんな問いに、納得できる答えが見つかっていなかったんです。

それでも、「付き合えたらいいな」という気持ちも強くて、告白して、付き合ってみて。

今なら少しだけ、この問いへの自分なりの答えを出せている気がするので、そんなことを書いていきます。

そもそも関係性に名前なんて付けられない

大前提として、人と人との関係性に名前なんてつけられないと思っています。

ぼくも、説明するときは「知り合い」「友達」「恋人」みたいなカテゴリーをつけて説明してしまうときもあります。そこで使えるカテゴリーの種類って意外と少ない。

でも、人と人との関係性なんて、本来はそれぞれ全く違うもの。カテゴリー分けできる類のものではありません。

中高の同級生の友達と、インターン先の同期の友達の関係性は全く違うし、なんなら同じ中高の同級生の友達間でも、関係性は微妙に違います。

そんな前提を持っているので、好きな人との関係性に「カップル」「恋人」みたいな名前を付けることを大切にしていたわけではないなあと思います。

未来への約束が欲しかったわけでもない

ぼくにとっては、「付き合う」という状態が、未来の何かしらを約束するものではない、とも思っています。

今現在付き合っている状態でも、正直いつお別れするかもわかりません。お別れという形でなくても、ポジティブな意味でもネガティブな意味でも、関係性は移ろい続けるものだなあと感じています。

そもそも人間いつ死ぬかもわからない、みたいな価値観を割と強く持っています。

未来にワクワクすることもあるし、未来を妄想することも好きですが、未来に何かを明確に求めたり、過度に期待することはしないほうがいいと思っています。少し寂しいけれどね。

特別な存在だと認め合えること

そんなことを考えていたので、「付き合うってなんだろうな」みたいな疑問をずっと持っていました。

付き合うに限らず、関係性に名前を付けることや、未来に期待することは、あまりしないようにしている節があって。

それでも、「付き合えたらいいなー」という気持ちがずっとあることが不思議でした。

そんな中で、ふと見つけたのが、このツイート。

このツイートが個人的にすごくしっくり来て。お互いを特別な存在と認め合うことの表現方法として、「付き合う」という状態があるんじゃないかと感じました。

「今この瞬間」への安心感

その意味でいうと、ぼくが付き合うことに求めていたのは、「今この瞬間」への安心感だったのかな、と思いました。

未来のことなんて誰にもわからないし、関係性は移ろい続けるものだけど。

「付き合う」という状態に二人で身を置くことで、今この瞬間は、お互いのことを特別な存在だと思い合ってることがわかる。安心できる。

美味しいものを食べてほころぶ顔
他の人には言えないわがまま
心の奥底にある悩みや葛藤

安心している状態だからこそ出せる表情や言葉があって、それがまた折り重なって安心感を作っていく。

付き合うことが明確な分岐点になるというよりも、そんな風に安心感が積み上がっていく道の途中に、付き合うという意思表示があって、それも安心感の一つの材料になる。

そんな関係性を作っていけることが、一つの理想の形なのかなと感じています。

「未来への意志」を共有すること

そしてもう一つ。付き合うことは未来への約束にはならないけど、だからこそ、今この瞬間に持っている「未来への意志」を共有することはできるんじゃないかと思っています。

「先のことはわからないけど、今この瞬間は、私はあなたと深く長く関わり続けたいと思っている」

そんな意志をお互いに持っていると認め合い、共有できる。

それが関係性の基盤になって、その上に思い出や経験や感情を積み重ねることができるんだと思います。

未来を約束するのではなく、未来への意志を共有する。

それがぼくが「付き合う」に見出していた意味なんだと思います。

あんまりまとまらなかったけど

今ぼくが「付き合う」ことに見出している意味はこんな感じです。

そして、noteやTwitterでしっかり恋愛っぽい話をしたこと、今まではあまりなかった(なぜならそういうイベントが全然なかったから)のですが、これからはたまに出てくるかなと思います。

それは、恋愛も友達も仕事でも、人と人との関係性であるという点は共通していて、今ぼくが考えたいテーマがまさにそこだからです。

なんなら恋愛ほど深く人に踏み込み、人から踏み込まれ、普段繕っている嫌いな自分が顔を出す機会ってそうそうないと思っていて。そこからの学びや気付きはこれまでもとても多かったし、これからもそうなんじゃないかなと思います。

生暖かく見守っていただけたら幸いです。

写真はオランダ、ライデンの運河に架かる橋。車の赤が鮮やかで、すごく好きな写真の一つ。

cotree advent note

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