見出し画像

「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」

先日、「ぼくがガンになった時のこと」というnoteを、公開しました。

隠していたわけではないのですが、ぼくの周りでも知らない人が多かったこともあり、たくさんの人に読んでいただきました。本当にありがとうございました。

また、中には読んでいただいただけでなく、感想やコメントをつけてTwitterでシェアしていただいたり、直接感想を送っていただいた方もいました。

ぼくが想像していたよりもずっと多くの反響をいただきました。改めてお礼を伝えさせてください。ありがとうございました。

そして、たくさんの感想やコメントをいただいたからこそ、改めて考えたことがあります。ちょっと勇気を出して自己開示・発信したからこそ、得られた学びです。改めて、ありがとうございました。

学びのきっかけになったのは、タイトルの言葉でした。

「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」

これは、心理学者の強制収容所経験を描いた、フランクルの『夜と霧』の中で出てきた言葉でした。(作中ではある詩人の言葉として紹介されています。)

いただいた2種類の感想

想定外にたくさんいただいた感想でしたが、それらは大きく

①ぼくに関する感想

②読んでいただいた方自身に関する感想

という2種類に分けられました。

①は例えば、こちら。

②は例えば、こちらです。

ぼくの経験を意味づけされることへの戸惑い

基本的にぼくは、自己開示に対する抵抗感が大きくない(むしろ聞いてほしいことも多い)ので、自分の話をすることが好きです。noteを書いているのもその一つの証ですね。

なのでガンのことも、伝えていない人が多かったですが、それは「言えなかった」のではなく「言わなかった」だけでした。

ただ、一人一人に対して語るのではなく、今回のようにガンのことをnoteという形でまとめてインターネット上で発信した結果、①のツイートのように、(主にぼくの知り合いですが)ぼくの経験を意味づけをした方が多かったな、と思います。

「この経験があったから、中村くんはやらなきゃいけないことを考えるようになったのかもしれない」
「有限性を意識したからこその強さが、中村くんにはあるのかもしれない」

どれもすごくありがたく嬉しい言葉でした。うんうんと頷くこともあれば、確かに…!と新たな気づきをもらえることもありました。

ただ、同時に、そういったたくさんの反応を見たときに、嬉しさと同時に感じたのは「戸惑い」と「怖さ」でした。

人間の経験は、そんなに単純じゃない

ガンという経験のインパクトもあってか、

ガンになったからぼくは〇〇になった/できるようになった

みたいな物語はとてもわかりやすいし、共感しやすい。そういった意味付けの言葉を多くいただきました。

でも、ぼくに限らず、人間の人生はそんなに単純じゃない。一本の線で書けるようなものでは、とてもありません。

そして、別にそれでいい。全部の経験を意味付けしなくてもいい。綺麗な物語にしなくていい。

コメントをくれた方々にはその意図はなかったと思いますが、ぼくが感じた戸惑いや怖さの原因はここにあったように思います。

すなわち、本来は複雑でよくわからないはずのぼくの経験が、他人の視点が入ったことによって、わかりやすい物語に読み替えられてしまった、という戸惑い。

もっと言うと、それは「ぼくの経験がぼくのものじゃなくなるかもしれない」という怖さでもあったのかもしれません。

ぼくの経験はぼくだけのもの

でも、タイトルの言葉に出会って、気づきました。

「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」

ぼくの経験はぼくだけのものです。この世のどんな力も奪うことはできない。

誰かからの意味付けは、「その人がそう解釈した」というだけに過ぎません。それはぼくに学びや気づきを与えてくれるものではありますが、ぼくがぼくの経験をどう受け止めるかは、ぼくに託されています。

ぼくは自分の経験を、ちゃんと握っていていいんだな、周りの意味づけを恐れる必要はないんだな、と思うことができました。

ぼくの経験が、誰かにとっての何かになりうる

同時に、②読んでいただいた方自身に関する感想、も多くいただきました

ぼくがいつもnoteを使って発信する理由の一つは、ぼくの書いたことが、いつか誰かにとって何かのきっかけになるかもしれない、と信じているから。

今すぐじゃないかもしれないし、知らない人かもしれないし、どんなきっかけになるかもわからないけど。それでも、ぼくの書いたことが、誰かにとっての何かになればいいなあと思います。

だから、このような声は、まさにぼくがnoteを書く理由です。とても嬉しかった。

相手がどう受け取るかは、変えられない

ですが、その感想の中には「そういう風に伝わっちゃうのは、正直本意ではないかもしれない…!」というものもありました。

例えば、

「苦しい経験からも学んでいかなければいけない」
「辛いことがあるからこそ人は成長できる」

みたいな部分が強調して伝わってしまうのは、上昇志向が強い感じがして、少し怖いなあと思います。これは、完全にぼくの伝え方の力不足。精進する。

そういった感想を聞いた時、最初は「ぼくの本意はそうではない、こういうことを伝えたかったんだ」と言葉を尽くして説明しようとしましたが、なんだか空を切るような感覚がありました。糠に釘感。伝わっていない感。

それはおそらく、ぼくが相手の経験に介入しようとしたからなのではないかと思います。

例えその伝わり方がぼくの本意ではなかったとしても、そう伝わったことは、もう変えられない事実であり、すでに相手の経験になっています

それを他人が介入して変えようとすることは、ナンセンスだし、無理です。本人にとっては、もう事実なのだから。

「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」のです。

そしてだからこそ、何かを伝えるときは、なるべくぼくが伝えたいことが正確に適切に伝わるように努力する必要がある。

相手がどう受け取るか、という結果は変えられないことを受け入れた上で、どれだけ過程にこだわり切れるかが、すごく大事なのだなと感じました。

「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」

他者がどんな意味づけをぼくの経験にしたとしても、ぼくの経験はぼくだけのものであり、それを奪うことはできません。

同じように、ぼくがどれだけ言葉を尽くしても、他者の経験はその人だけのものであり、奪うことも変えることもできません。

そんなことを心に留めながら、これからも勇気を出して自己開示をしていきたいし、その伝え方へのこだわりを持ち続けたい、と思いました。

写真は、これまたリスボンの港。こちらは灯台から撮った写真。

cotree advent note 81日目

サポートでいただいたお金は、今後もよりよいnoteを書き続けていくために、サウナに行ったり美味しいもの食べたり本を買ったりと、ぼくのQOLアップに使わせていただきます。いつもnoteを読んでくださって、本当にありがとうございます。