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実空間をコロナウイルスから早期復旧させた行動データ管理ーリアルとデジタルにまたがる厳格な管理社会 1ー

“中国の今”

この文章は中国の上海から出張先の山東省淄博へ向かう高鉄(日本でいう新幹線)の車両の中で書いている。日本の非常事態宣言の頃、ガラガラの新幹線の車内をSNSで上げている人がいたが、今この乗っている中国の高鉄は満席である。確かに4、5月頃の高鉄はやや人が少なく感じたが今は通常運行に近づいているようだ。
つい先日日本の都心のオフィス需要が減っているというニュースを見かけたが、その要因はテレワークの普及によりオフィスを縮小するためとのことだった。上海でも知り合いの施工業者からオフィスの縮小のための移転が増えていると聞いた。しかしそれは多くの会社がコロナショックにより人員削減を行ったためとのこと…日本のそれとは異なる。ただ振り返ってみるとコロナウイルスの発祥地とされている中国では、当然各国に先駆けてテレワークは普及していて、3億人の人が利用していたと言われている。しかし段階的にではあるがオフィスには人が戻り、もう大分前からほぼ100%の人が元のオフィスで働いていると言ってもいい。そして私は数ヶ月前から省を跨ぐ出張をこうして繰り返している。
日本ではアフターコロナ、あるいはウィズコロナという名が与えられ、今後のライフスタイルの変化を議論されているが、議論の主要トピックの一つがテレワークである。その前提はコロナウイルス後もテレワークを継続するというものである。もちろん日本と中国が同じになりますよ、という態度で話しているわけではないがアフターコロナに差し掛かっている中国の今の状況と日本の前提が異なることをお伝えしたい。日本はこのテレワークを前提にして「都市から地方へ」とか「リアルからデジタルへ」とか話が展開していくのである。


向かいのオフィスビルの定点観測の連ツイ
3月2日には9割の電気がついていた


ちなみに中国のオフィス以外の実空間の話をすると、観光地や商業施設などにも人は戻ってきている。観光地は事前予約制にするなど“密”になりすぎないようにコントロールはしているものの、やはり気持ちは実空間に向かっていることが見て取れる。つまり人々は実空間にやはり価値を求めた。日本以上にECやフードデリバリーが成熟しているのにも関わらず。再選した小池都知事の言うような三密が溢れていると言ってもいい。もちろん決して危険がないというわけではない。少なからずまだ感染者はいるし、今のところ小さな波に留まっているようだけど北京では第二波が起こった。ただ中国に住まうものの心理として恐怖感や不安感は少ない。それはそこがたとえ密であったとしてもそこにいる人々の感染の可能性が低いことが行動データによって証明されているからである。

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5月の上海 観光地中心部。通常の人出

“行動データ管理とは”

コロナ禍において大手IT企業アリババが「オンラインの信号」をコンセプトに健康コードなるものを開発した。各人のコロナウイルスの感染可能性をオンライン上で判別し「赤」「黄」「緑」で示す。これをスマートフォン上で表示することで通行証として利用することができるため、場所の安全性を担保できるのである。その判別を助ける重要な要素が行動データである。スマートフォンのGPSによって記録されたデータが利用されている。このデータが健康コードをコンテンツの一つとする支付宝というプラットフォームアプリに譲渡され、その情報を元に前述した「赤」「黄」「緑」に識別されるのである。例えば発祥地であり中国国内で最も多い感染者を出した武漢から移動してきた人に対しては長い間「赤」が提示されていた。ただ移動後一定期間が経ち、感染していないことがわかれば、「黄」「緑」と変化していくのである。ちなみに日本もコロナウイルスの感染が拡大している地域の一つとして判断されているため、もし日本から移動してきたという行動データが記録されれば、「赤」と判別されるだろう。

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私の健康コード(プライバシー保護のため加工済)


これはコロナウイルスの感染者経路の把握や行動制限の効率を劇的に向上させた。デジタル化の進む中国であっても当然最初から効率化されていたわけではない。私の通うオフィスも通勤初日は入り口に列をなしていた。その理由は一人一人体温を測り、身分証のデータを手書きで記載していたためである。それがある時からこの健康コードに代わり列をつくらなくなったのである。健康コードという全国共通の通行証をつくったことにより、列による感染可能性を広げる人の滞留をなくしただけでなく、様々なところで手軽にチェックできるようになった。中国の良いところはトライアンドエラーをした上でどんどんと勢いでヴァージョンアップさせていくところだ。ただ当然これは精神性だけで実現できるわけではない。日本が見習おうと思ってもそれは難しい。中国でのオンライン上でのデータ管理はコロナに始まったことではないのだ。中国の思いっきりの良さばかりが注目されるがこのあたりについては着実に歩みを進めてきたのである。

2月10日出社初日は手書きでの情報記入。まだ健康コード導入前

“中国デジタル社会・スーパーアプリの力”

中国でのデジタル大国のイメージは大分広まっていて、オンライン決済の普及などは多くの人が聞いたことがあるだろう。日本がオンライン決済を乱立させてしまった数年前にすでに動き出していたのである。しかもそのデジタル化はそれにとどまらず多くのことがスマートフォンの中で完結できるようになっている。前述した支付宝はオンライン決済を中心とはしているが電話番号や身分証と紐づいているため、様々なサービス利用が可能で行政手続きなどもアプリ上から行うこともできる。L I N Eは今回のコロナに関する大規模なアンケートを行政に代わり実現したり、コロナの前にも福岡をモデルに行政手続きをアプリ上で可能にしたりしているが、LINEはまさにこの支付宝やwechatを模範としたスーパーアプリを目指していると言われている。

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様々なメニューを持つスーパーアプリ支付宝

リアルをいかにデジタルに向かわすのかというデジタルトランスフォーメションの議論がコロナウイルスをきっかけに日本でも盛り上がり始めているように見える。中でも「ハンコをなくそう」という話はわかりやすい。ハンコ(リアル)をなくして、オンライン上の認証(デジタル)で済むようにしようということだ。一方中国はリアルとデジタルの境目がなくなり、逆にデジタルがあってその中にリアルがあるという状況だ。それを説明したビジネス書の「アフターデジタル(※)」は話題になった。それぐらいありとあらゆることがデータ化されオンラインで処理されている。
こうしたベースがあったから、健康コードが超速で開発され(ちなみにこれは当然ながらテレワークによって開発されているそうです)、利用者も行動データを提供することに“怯まず”に利用している。それがどこよりも早くコロナウイルスを押さえ込む一助を担った訳である。

(※1)参考図書「アフターデジタル」

“国家を補完するI T企業”

日本と中国で感覚を共有するためにこの“怯まず”という部分に触れておかなければならないだろう。
アメリカにおいてもgoogleやamazonなどの巨大IT企業が国家に代わり公共的な機能を持ち始めていると言われているが、中国においても同様の状況。社会主義資本経済という形をとっているが一応平等を謳う社会主義であるにも関わらず、中国はアメリカに追随する巨大IT企業、アリババ・テンセントを生んだ。
中国のデジタル管理社会の話題になると必ず国家の権力による支配というイメージで語られるが、ここの中枢にいるのが国家でもなければ国営企業でもない民間企業ということである。もちろんそこに国家の監視があることは否定はしないが。


“テクノロジーへの信頼”

民間によってプライバシーなデータを扱われるのになぜ“怯まず”にいられるのかというのが極めて自然な反応だろう。もちろん最初からこのような関係が築けていたわけではない。信頼関係を構築する利便性を生活に提供していたからである。
決済が楽になったなど小さな利便性ではなく、もう少し大きく解釈したい。デジタル社会における貢献として大きなことは「中国における人権を拡大したこと」と言えるのではないだろうか。中国では元々戸籍によって様々な制限が与えられていて、生まれた場所が大きな障壁となり人生のレールを決められかねないことすらあった。
非常にわかりやすい例で言えば大学入試。日本でも医大の受験で女子学生が男子学生よりも点数を取らなければいけないという傾斜配点が発覚し、大きな批判を受けた。中国ではこの戸籍によって取らなければいけない点数が変わるのである。それは改善されている部分はあるが、まだ残ったままである。
デジタル監視社会がここに新たな指標を加えた。支付宝によって記録された決済記録に応じて支払い能力などの信用度をスコアリングしたのだ。このスコアによりオンライン決済を介したサービスの利用制限が異なり、金銭の貸付融資なども可能にした。先日まさに支付宝を介して、コロナウイルスによって家計が苦しくなった人に対して無利子で貸し付けるというキャンペーンがアリババよりリリースされたばかりだが、これもやはりスコアに応じて貸し付け可能金額が変わるという。このスコアに戸籍は関係がない。人権を拡大したと言っていいのではないだろうか。
こうした背景もあり、中国においてテクノロジーへの信頼が厚い。米国の調査会社エデルマンの調査によると「テクノロジーを信頼するか」という質問に対して「信頼する」と答えた人の割合は、中国では91%にも上るとのこと。ちなみに日本は66%。(※1)昨年あたりのオンライン決済の乱立していた頃の日本を見ていても、いくつかのセキュリティ不安が露呈されていた。確かにそれを見てもこの回答結果は妥当だと感じ取れる。当然中国も最初からうまくいっていたわけではないのだが、ただそのテクノロジーへの懐疑心を必要以上に日本はメディアが煽っているようにも見えた。

“デジタル監視社会のもたらす安心”

ここで社会主義云々の話をしたいわけではないことは先に申し上げておきたいが、ある種中国で人間が恣意的に管理するよりもテクノロジーに管理されている方が安心だといえるのかもしれない。そしてここで社会主義が〜民主主義が〜という話が出てくるだろうが、コロナ禍における対応で見れば、人間への信頼と大きく捉えるとそこに区別はあるだろうか。民主主義のプロセスに基づいて対策が決定されたとも思えないし、専門家会議よりも政治判断が重視された世界において客観的なデータに基づく論理的な判断がなされたとも思えない。人間のもつ曖昧さが人に寄り添いプラスに働くケースもなくはないだろう。ただディープラーニングを備えたテクノロジーは非人間的とも言い切れない時代。曖昧な政治判断で市民に託された自主性、相互監視が社会に不安を呼んでいなかっただろうか。“怯まずに”行動データを差し出したこのデジタル監視国家が今世界で最も早く日常的な生活を実現している。

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