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キューバ旅行記➓ バラク・オバマとベランダから見た、キューバの景色 2020.01.25

「うーん、まず、はじめに言うと…。」
Casaのホストファザー、ジョージは少し間をおいてぼくの質問を訂正する。


「キューバは貧しい国だ。“裕福な人”なんていない。」


ぼくはハッとして、すぐに自身の言葉選びを悔いた。もう一度、細かいニュアンスまでうまく伝わるよう、慎重に言葉を選びながら、繰り返す。
「ごめん、なんて言えばいいのか。つまり、この国の人々には、この国において普通の生活水準の人と、“ある程度…比較的お金を持っている人”がいるように思える。この違いは何なのかな?」

夕暮れ時、リビングには海風が吹き抜ける。ぼくはくつろぐホストファザーのジョージをつかまえて、意を決して問いかけた。この国にきて、あるいは来る前から、ずっと誰かにきいてみたい質問だった。

ジョージが自らをして“貧しい”と断言したのが少しばかりショックだったのは、ぼくが“お金は無くても、経済は平等で心は豊かだ”なんて答えをどこか期待していたからだろう。彼はぼくの軽率さを咎めることはなかったが、“キューバは貧しい”という前提なくしてはこの質問には答えられないみたいだ。


訂正した質問に対し、ジョージは納得したように頷くと、その教養を感じさせる、まるで授業をするような口ぶりで話してくれた。
「この国で比較的お金を持っているのは、まずはアーティスト、ミュージシャン、スポーツ選手など、自らお金を稼ぐことができる人たち。」

ジャズバーで出会ったベース奏者が思い出された。偶然にもぼくは滞在中に彼の演奏を二回観て、多少親しくなった。彼はいくつかのバンドを掛け持ちして週40ドル程度を稼いでいると話していた。

「世界トップのレベルを誇る医者も、それからこうした副業での自営観光業なども、該当するな。次に余裕があるとすれば、親族からの海外送金が挙げられる。残りの国民は、多くても月間100ドル、ほとんどはそれ以下で生活をしているよ。」

張本人、Casa(民泊)のオーナー、ジョージとマリアは引退した医者夫婦で、息子はサンディエゴでプログラマーとして働いている。彼らは息子を訪ね、海外旅行にも行くことができる程度には生活に余裕がある。(しかもアメリカに!)ちなみに、滞在中、何かと特別に便宜を図ってくれたのは、ぼくが彼らの一人息子に似ていたかららしい。


「ただ、収入の面では厳しくても、キューバは公共の設備・施設がほとんど無料に近い。教育は大学まで無料だ。」

今度はビニャーレスで出会った若い農夫の顔が浮かんだ。彼はハバナ大学で4か国語をマスターしたのち、故郷ビニャーレスに戻りコーヒー農園で汗を流していた。

「それでも…」ジョージが言葉を継ぐ。

「キューバが貧しいことには変わりはないんだ。みんななんとか暮らしている。特に“あの国(”That State”)”が経済制裁を再開したこともあってね。」

彼は北向きのベランダから覗くカリブ海を指さして続けた。
「ここからマイアミまでは、船であっという間の距離だ。テキサスからコメを輸入できれば、海路でも2日でとどく。ところが、それができないばかりに我々は遠くてコストもかかる中国やタイから輸入せざるを得ない。これじゃあいつまでたっても国は貧しいままだ。オバマ大統領のときに多少交流も再開したが、いまや時代は逆戻りし、ハバナのアメリカ大使館には、両手で数えられる程度の人間しかいない。」
警備兵たちを見ただろう、抜け殻の建物で、彼らは何を守っているんだろうな。と言ってジョージは笑う。

「勘違いしないでほしいんだけど、私はアメリカや、アメリカ人が嫌いなわけじゃあないんだ。多くのキューバ国民もそうだろう。君が生まれるよりもずっと前から、私たちは同じ状況のもとにある。こういうものとして育っているから、現状を受け入れることができるんだ。」好々爺は変わらず、やさしい笑みを浮かべながら、ぼくの浅はかさを諭すように語ってくれる。


「ちなみにな」ジョージはそう言ってぼくの方へ向き直す。彼の表情は、まるで幼い少年が、これからとっておきの秘密を打ち明けようとするように、いたずらごころと無邪気さが浮かんでいる。


「キミがいま座っているソファはな、バラク・オバマが座ったものなんだよ。」


「オバマって、あの、前大統領の…!?」

ジョージがいう“バラク・オバマ”はまさしく合衆国前大統領にして、キューバとアメリカの国交回復を進めたあのバラク・オバマで間違いがないらしい。確かに、彼のキューバ訪問時に民間人との交流があったことは聞いたことがある。
言われてみればジョージは、彼自身が医師として長くアメリカに派遣されていたし、息子はアメリカの大学を卒業し、いまやグリーンカードも持っている。受け止めるのに多少時間がかかったが、説得力は充分にある。ぼくはつい、ソファのうえで姿勢を正した。


「彼はオフレコでこう言ったんだ。“私の次に大統領になる者は、恐らくキューバへの締め付けを再び強めるでしょう。キューバの人々のことを思うと、私はそれが残念でなりません。”と。」
果たして実態はその通り、オバマ大統領のキューバ訪問翌年に成立したトランプ政権は再びキューバへの締付けを強化した。
開け放した窓からは変わらず爽やかな風が吹き抜けるが、4年前に同じソファに座り、思いを吐露したオバマ前大統領の苦悩を思うと気分は晴れず、ぼくは何となくやりきれない思いで、頭を抱えたい気分だ。


「私はね」
ジョージは、ぼくの表情を読み取り、なぜか、しめしめといった具合で話を続けた。

「言ってやったんだ———“大統領、私たちはもう55年以上そうした締め付けの中に生きてきた。あなたたちのおかげで長い間訓練されているんだ。あなたが心配することではないんだよ”」

ひときわ強い風が部屋を吹き抜ける。彼は大きな口をあけ、からからと気持ちよさそうに笑った。筋金入りのとんでもないジョークだ。

「大統領は、ははは、苦笑いをしていたよ!」

かなわないな。彼の表情に浮かぶ笑いジワこそ、長きにわたる訓練の賜物だろう。


訓練は、アメリカの新政権樹立に伴い再開され3年がたつ。アメリカとの国交回復により“これから急速に変わっていく”と言われたこの国は、トランプ政権の樹立やカストロ氏の死により、その変化の見通しの予想が幾分立てづらくなってしまった。

ジョージに言わせれば、この貧しさこそ、しばらくは変わらないだろうとのことだ。
それでも、彼の笑いジワはこれからも、より深く刻まれていくのだろう。


「話を聞いてくれてありがとう、嬉しかったよ」彼はゆっくりとベランダに出て、煙草に火をつける。明日の昼、ぼくは彼の車で空港へと向かう。この国ともお別れだ。

「こちらこそ嬉しかった、本当に。」ぼくは彼に続きベランダに出た。
西日が、彼の顔に浮かぶシワを克明に浮かび上がらせる。ジョージは何も言わず、その優しい笑みのまま右手を差し出した。ぼくは彼の手を握る。しわがれた手は、訓練の甲斐あってか、力強くそれに応えた。

おわり

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