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キューバ旅行記③ チェックイン ホテル・プラザ 2020.01.20

キューバでの宿泊はホテルではなく、Casaと呼ばれる、言わば民泊が主流になる。街中には目印となる錨のマークを掲げる家が多々あり、実際に訪ね、部屋を見てその日の宿を決める。ホテルはむしろ裕福な旅行客をターゲットにしており、ハバナ市内であれば東京に匹敵する価格をつけていることから一人旅などではあまり便利ではない。
とはいえ、ぼくの場合は深夜着となる初日に限って、事前に格安(といっても¥7000-程度)のホテルのみ予約を入れていた。市のど真ん中の広場に面する、その名もまんまPlaza Hotel。


見た目に反して軽い木製のドアを開けると、三階分はゆうにあろうという天井高のロビーに出る。やたらと空間が広い分、照明の弱々しさが際立ち、所在なさ気な従業員が落とす薄い影がなんとも物悲しい。


織りなす寂しさが“いかにも”過ぎて、ぼくはかえって楽しくなっている。まるでモノクロ映画のセットのようで、フロントで鳴らすベルの音すらも芝居じみて響く。

少し間をおいてゆったりと現れたのは、いよいよ舞台にぴったりの名女優だった。
長くカールしたまつ毛に縁取られた、吸い込まれるような瞳と目が合う。暗がりでも化粧が濃いことがわかるが決して嫌味ではない。年齢は50前後といったところか、白いシャツに黒のベストというシンプルな制服を見事に着こなしている。

「チェックインかい、坊や?」

口角は上げたまま、スモーキーな声でゆっくりと応対が始まった。「坊や」を意味する単語こそ発していないが、間違いなくこのニュアンスである。
予約名を告げると、使い古されたキーボードを慣れた手つきでたたき、あっという間に鍵を用意してくれた。

「ゆっくりお休みよ」
そう言ってデスクの上に鍵を滑らせると、ミス・スモーキーはとどめのウインクを放った。


———キマった。
心の中で「カット!」と叫ぶ。
ぼくが短編映画“チェック=イン”の監督であったなら、一発OKの完璧なシーンだ。

あるいはこのまま気の利いた一言とともに立ち去ればぼく自身もまあまあな役者であったろう。だが、所詮坊やにすぎないぼくは、あまりに格好良いウインクに、もういくつかテイクを頂かずにはいられなかった。


―テイク2
「ちなみに、Wi-Fiのカードに在庫ってあるかな?」立ち去りかけた彼女が再び、ゆっくりこちらに戻る。
「今は無いわ。でも、明日の朝になれば買えるはずよ」―ウインク。

ミス・スモーキーが再び上手に去りかける。


「ちなみに、、」大根役者の締まらない声が響く。
ミス・スモーキーが三たびこちらを振り向く。

―テイク3
「そこのバーはまだやっているかな?」
「ええ、やっているわ。良ければ行ってらっしゃい」―ウインク。


大女優でありながら驕るところがない。
三度の撮り直しにも嫌な顔一つせず、完璧なウインクをお見舞いしてくれた。


気が付けば日付は代わり、30時間を超す一日がようやく終わっていたらしい。
撮影の出来に満足したぼくは、ロビーのバーでひとりささやかな打ち上げを済ませ、ようやく眠りについた。

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