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大学に一銭も払わずに卒業した男の話 part3

前回は高校時予約型奨学金の話をしたと思う。

制度の良し悪しはおいておいて、申請資格を満たしているのであれば、高校生の皆さんは是非やってみてほしい。

高3の忙しい時期に、受験勉強のほかに、書類審査とか面接とか面倒なものが加わってしまうけれど、実はとても良い機会。

「なぜ大学に行きたいのか」「なぜその志望大学なのか」「将来どんな大人になりたいのか」等々立ち止まって改めて考え、それらを言語化して、他人に対して説得力を持たせる。大変かもしれないが、それがしっかりできていれば受験のモチベは落ちない(はず!)だ。


話を戻そう。
今までの話ではまだ入学金を払っていなかったことしか言っていない。
自分が大学にお金を払わずに卒業できたのは、授業料も4年間全額免除だったからだ。

これについては特にタネも仕掛けもない。大学の授業料免除制度を申請し続け、採用され続けただけ、ということになる。

要件はいろいろあった。学業成績とか家庭の経済状況とか。
でも、幸運なことに京大は、4年間、自分を免除し続けてくれた。

別に特別学業が優秀だったわけではない。そもそも京大という比較的勉強が得意な人間たちが集まった環境で、その中で上位に入り続けるなんて芸当自分にはできなかった。

それだからこそ。見捨てずにいてくれた?(と勝手に思っている)京大には感謝している。



最近Twitterでは博士課程に進学する主婦が奨学金を貰う、といったことについて非難のコメントがついているらしい。

この背景には日本人の「苦学」への過剰な美徳や、「学問は贅沢品」といった考えがあるのだろう。


だが、これらは違う。絶対にだ。
学問は日常の中にだって宿る。「伸びるnoteと伸びないnoteの違いは何か」「なぜTwitterでは炎上が起きるのか」といった問いだって学問の作法にのっとって研究・発表すれば、それは学問をしたことになる。

その学問の作法を学ぶことができる「大学」という場所は、もっともっと色々な立場の人々に開かれていく必要がある。

できるだけ多くの人が様々な分野の学問に積極的に挑戦できる環境は、巡り巡って社会全体をよくすることになるはずだから。

そして。
挑戦を、変化を許容しない社会に未来はない。
変わらない・安定である、ことからくる安心は、潮流が激しい現代社会ではただの慢心・油断だ。

おのが心に問え。「現状維持は楽しいか?」と。「定まったレールに乗って歩む道のりの先に、未来はあるのか?」と。

少しでも心がぐらついたのなら。挑戦にこそ意義があることを思い出せ。この世に異世界転生チートはないぞ。大丈夫だ。ミスっても、意外と死んだりはしない。

挑戦することに反対する人間がいるときにも思い出せ。その挑戦に賛同する人間だって世の中にはいるんだ、ということを。

その最たるものが奨学金だ。あなたが熱意を向け、本気でやりたいと願い、行動を起こし、それが他人に届いたとき。一部特権の「ファストパス」でもない、「みんなが並ぶ行列」でもない、「サード・ドア」が開き、道が開ける。


その「サード・ドア」を抜けて振り返ってみたら。大学にお金を払わずに、卒業できた男がいた。

その男は今春、大学院に進学する。もちろん奨学金を貰って。
奨学金の総額は、新卒の手取り月給と大して変わらない額になる。ただ学問を学んで、研究するだけの学生の身分で、お金をもらって生活していく。

振り返りはこれで十分だろうと思うので、ここで筆をおく。サンプルはn=1だが、参考にしてくれる人が1人でもいれば、筆者としては非常に嬉しい。


過ぎる日の 苦しみにこそ 感謝して
             進め若人 同志とともに


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