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おじさん世代向けHipHop入門講座(その③)『すべては組み合わせ』
低迷期のJBを救ったヒップホップ
『Mr.Dynamite』『God Father of Soul』『Funky President』
など様々な呼び名で讃えられる
【ジェームス・ブラウン(James Brown)】
1970年代は『ディスコ・ミュージック』全盛期
このブームに完全に乗り遅れてしまった JB
「出口がまるで見えなかった」と後年インタビューで語っているほど70年代半ば以降は低迷期でした
映画『ブルース・ブラザース』への出演
この映画の大ヒットでR&Bブームが起こり、JBは復活に向けて活動を開始
1984年
アフリカ・バンバータやってくれました!
Unity - James Brown & Afrika Bambaataa
これでJBは完全復活
1985年
映画『『ロッキー4/炎の友情(Rocky IV)』に出演
1986年
『Living In America』が久々のヒット
実は、世界で最もサンプリングされたミュージシャンは?
ジェームス・ブラウン
なんです
JBが創造した『ファンク・ミュージック』が『ブレイクビーツ』の発明に繋がり【ヒップホップ】へ昇華していきました
JBは【ヒップホップの立役者】と言っても過言ではありません
そこに目をつけたリスペクト精神
アフリカ・バンバータのプロデュース力
流石です!
『Funky Drummer』を知らないB-Boy B-Girlはモグリです(笑)
低迷期のロックバンドを救ったヒップホップ
1970年代半ばに絶頂期を迎えていたエアロスミス
70年代末からドラッグなどの影響でバンドが崩壊して10年近い低迷期を過ごしていました
1979年 ギターリスト ジョー・ペリー脱退
1981年 ギターリスト ブラッド・ウィットフォードも脱退
1984年 エアロスミスは オリジナル・メンバーに戻って8thアルバム『ダン・ウィズ・ミラーズ』をリリース(ヒットせず、、、)
80年代前半には 忘れられたロックバンドに
1975年リリースのエアロスミス3rdアルバム『闇夜のヘヴィ・ロック(Toys in the Attic)』収録曲
♬Walk This Way♬は『ブロック・パーティー』の定番曲
【Run-D.M.C.】は♬Walk This Way♬のリフをサンプルして独自の曲を作ろうと思っていた矢先に
Def jamのリック・ルービンから
「♬Walk This Way♬のオリジナル歌詞と同じリリックでカバーをしたら面白いんじゃないか?」
と提案されます
「いやいや、さすがにロックとラップの融合みたいなのやりすぎだよ!」
と最初は難色を示した【Run-D.M.C.】でしたが
エアロスミスの2人(スティーヴン・タイラーとジョー・ペリー)にもレコーディングに参加してもらうことになりました
(【Run-D.M.C.】はエアロスミスのことを詳しくは知らなかったそうです)
1986年
結果的に『ロックとヒップホップを初めて融合させた歴史的な共演』としてなり全米4位の大ヒット
ヒップホップ・ファンにエアロスミスが知れ
ロック・ファンにヒップホップが知れ渡ることになりました
これをキッカケにエアロスミスの奇跡の復活劇が始まりました
ヒップホップのサンプリング事情
ヒップホップ黎明期は「版権の使用料の問題とかで相当グレーゾーン」
ヒップホップの世界で使われている「作曲」という言葉は?
『すでに存在している名曲から、もっとも気持ちのいい部分を切り取って、ドラム・マシーンを叩いてできたビートの上にのせる行為』
『ブロック・パーティー』は小さなコミュニティでの催しで「ビジネス」ですではありませんでした
しかし『ヒップホップ文化』が浸透し始めると
お金のニオイに敏感なビジネス・パースンが群がってきます
「遊び」が「ビジネス」へと目的を変えると同時に
今までこっそり使っていた楽曲は
権利者の承諾なしに使用することができなくなります
そして新しいルールが作られます
「サンプリングする際には、元の音源の権利を所有している者から、抜粋の承諾を得なければならない」
「当たり前」と言われたらその通りですが
遊びを「ビジネス」に変えてしまった代償でしょう
ジャズとヒップホップの融合
80年代後半から90年代初頭にかけて、音楽業界関係者の多くが「サンプリング」による著作権侵害と闘う体制を構築していました
そんな状況下 ブルーノート・レコードの当時の社長:ブルース・ランドヴァルはヒップホップに多くの可能性があると考えました
1992年
英国のヒップホップ・グループ【US3】とブルーノートのカタログでビートが作れるように無制限のアクセス権限を与える契約を交わします
1993年
ハービー・ハンコックの1964年リリース『Cantaloupe Island』をサンプリングした新しいヒップホップ・トラック
『Cantaloop (Flip Fantasia)』をリリースして大ヒット
アルバム『Hand on the Torch』はブルーノート・レコードで一番売れたアルバムです
これを機にブルーノートはヒップホップとの結びつきに強めていきます
おじさん世代に伝えたいこと
音楽に限らず「何かを真似て学ぶこと」は
『創作の意欲やスキルを高めるために重要』であるという考え方があります
文化の発展は『これまでにないゼロから生み出した場合』にのみ起こるわけではありません
過去の著作物から学んだり利用したりすることで発展していくという場合の方が多いでしょう
著作権者の利益を守るためには一定の条件は必要ですが
「著作権」をガチガチに保護して”がんじがらめ”にしてしまった結果として文化の発展の邪魔をしてしまうことも考えられます
あらゆるビジネスシーンでも同じことが言えます
異文化交流において重要なことは“違いを認めること”です
自分たちとは違う文化が存在することを認め理解することが
異文化交流において大切です
「そんな文化は信じられない」「最近の若者文化はわからん」
と思っては他文化の人々とお互いを深く理解し合うことは難しいでしょう
《ヒップホップの教訓》
「どうやって“既存”の中に取り込むか」という考え方からの脱却
オープンイノベーションが「必要か不要か」ではなく『どうやるか』
※ 果たして この動画で著作権侵害という問題が発生するのか?
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