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マイルス・コルトレーン・エヴァンスで考える創造的集団と逆説的特徴

マイルス・デイヴィスは 白人ミュージシャンを起用した時「黒人の魂であるジャズに白人を起用するのか」と黒人ファンから激しい批判が浴びせられました

そのとき マイルス・デイヴィスは言い放ちます

I wouldn't care if a cat was green and has red breathe if he could play   緑色の肌で赤い息を吐いたって構わないさ。イカした演奏をするならな。

逆差別と言える状況に 毅然とした応対がカッコいいですが それ以上に 素晴らしい音楽を創造するという「目的」に対する純粋な態度が 最高にクールです

どんな組織でも この『目的意識』だけは 忘れてはいけないことでしょう

創造性と創造的集団


ラルフ・カッツ監修『ハーバード・ビジネス・エッセンシャルズ 創造力』に書かれた「創造性と創造的集団」を紹介します


「創造性とは、問題を解決し、ニーズを満足させるために新しいアイデアを生み出し表現していくプロセス、ないしはイノベーションを興すための明確な目的を持ったプロセス」


『個人の創造性』は 次の3点で構成されています

① 専門知識は 特定分野に関する知識・ノウハウ

② 創造的思考能力は 問題の取り組み方

③ 動機には 昇進のような外発的なもの 個人の興味 学習意欲のような内発的なものもある


一方 『集団の創造性』

「個人間の違いによる摩擦、思考や視野、能力の多様性という利点を基に、拡散的思考と収束的思考の両方がうまく働いているときに高まる」

と指摘しています


『拡散的思考』とは

広い視野を必要とし、見慣れない視点から物事を見ることによって洞察や新しいアイデアが生み出される

『収束的思考』とは

拡散的思考で生まれたアイデアが本当に斬新であるか、訴求する価値があるかに答えるものである。何らかの制約を設け、制約範囲外の選択肢を除外することにある。

何となく 分かったような 分からないような話ですが、、

何が新しいかではなく 何が役に立つかに重点を置くのか? 

を決めていくプロセスが『収束的思考』です


『初心と経験』『自由度と統制』『遊び心とプロ意識』『即興性と計画性』

この相矛盾することが重要 としています


一方 この相矛盾することは 組織内における混乱や不安のもとでもある とも指摘していて

創造的集団には こんな逆説的特徴 

が存在すると説明しています



論理上の理想的な創造的組織形態


創造的集団における『個人の創造性』と『組織の創造性』を考えていく上では 『集団凝集性』と『集団浅慮現象』という観点は忘れてはいけません

【図①】

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イノベーションを生む鍵は「建設的な意見の対立」なのですから 『集団浅慮現象』が低くなければなりません

【図①】の 【まとめるのが難しい組織】【心理的安定性のある組織】がイノベーションを創造できる組織と考えられます


次に 個人の【Performance】組織に対する【Loyalty】との関係を考えて 「長期型プロジェクトがいいのか?」「短期型プロジェクトがいいのか?」を図示したものです(分かり難いですが(苦笑))

【図②】

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【まとめるのが難しい組織(ピンク)】は

個人の能力は高いが 組織に対する忠誠心は低い自由人のメンバー構成

と考えられますので 短期プロジェクト向き


【心理的安定性のある組織】

組織に対する忠誠心が高い 組織人のメンバー構成

と考えられますので 長期プロジェクト向き


【図③】が論理上の理想的な創造的組織形態では?

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ビル・エヴァンスのマイルス・デイヴィス・グループ在籍期間は僅か7ヶ月


「ビル・エバンスという新しいピアニストを見つけた。白人だった。レッドに腹を立たていたわけじゃないが、バンドのサウンドとしてオレが求めていたことは、既にレッドのできる範囲を越えていた。モードができるピアニストが必要で、それがビル・エバンスだった。」マイルス・デイビス自叙伝Ⅱ

日本独自の編集アルバム『1958マイルス』は 1955年と1958年 に録音されたものですが 1958年の時には ピアノが レッド・ガーランド から ビル・エヴァンス ドラムが フィリー・ジョー・ジョーンズ から ジミー・コブに変わります(ジャケット・デザインは池田満寿夫)


エヴァンスが マイルスのグループにもたらした影響は大きく 一段と深みとデリケートな美しいサウンドに進化します

ところが エヴァンスは 僅か7カ月でグループを脱退します


エヴァンス脱退の理由は ジョン・コルトレーンの「いじめ」という噂もありますが マイルスは『カインド・オブ・ブルー』のレコーディング(1959年3月)に エヴァンスを呼び戻して参加させます


『カインド・オブ・ブルー』は ビル・エヴァンス がいたからこそ素晴らしい作品となり 緊張感の中で コルトレーンも最高のパフォーマンスをしています

「ビルがバンドを去る原因になったいくつかの事柄に、オレは本当に腹を立てた。たとえば、バンドにいるたった一人の白人というだけで、何人かの黒人連中がした仕打ちだ。ジャズ界最高のバンドで、ギャラも最高なんだから、黒人のピアニストを雇うべきだなんて考えてる野郎がたくさんいたんだ。もちろん、オレはそんなことにかまっちゃいない。いつだって最高のミュージシャンが欲しいだけだ。黒だろうが白だろうが、青でも赤でも黄でも、なんだっていい。」マイルス・デイビス自叙伝Ⅱ p.27


私の想像ですが 職場でいえば 

エヴァンスは 他業界からヘッドハンティンされてきた「仕事が出来る人」

コルトレーンは エヴァンスの実力を認めながらも 新参者が ちょっと気に入らなかった

エヴァンスにとっては「居心地の悪い」職場だった ということでは?

(注)この問題には『人種差別』と『薬物』という関係も潜んでいると考えられますが その観点は 別の機会に論じることとします



ジャズコンボ型組織でのリーダーの役割


「グループが最良の仕事をするには 課題に関する豊富な知識と熟達とした技能が必要であると同時に 常識的見識や確立したやり方にとらわれない新鮮な視点も不可欠である」

メンバーが 気を遣うことなく 自由に意見が言い合える環境でなければなりません


個性的で自由人集団のリーダーは 

✅ 『組織の目的』を浸透させること

✅ 『創造的集団の逆説的特徴』を理解させること

 本質が一致 行動において自由 全てにおいて信頼

メンバーに『目的意識』の共有させること が最重要なのでしょう


無秩序ではダメですが 規則やルールで縛り付けるのではなく 

他人を認め 他人を尊重し 他人に敬意を払い 個性を大事に 誇り高く

といった 精神的な面を重視した結束力 を作り上げる

これが リーダーとしての役割なのではないでしょうか?


メンバーは常に 最高のパフォーマンスを行えるように 自らでピーキング


破壊的イノベーションには ジャズコンボ型組織は ジョブ型雇用での短期プロジェクト が最適と考えます

『ピーキング』とは 試合当日に選手が最高の能力を発揮できるように,トレーニング方法を変えていくこと。心身のコンディショニングの調整との関連が重要で,最も効果の現れる時期を試合日から逆算し,トレーニング開始時期を決めていく。(引用:ブリタニカ国際大百科事典)

ま と め


マイルス・デイヴィスは 『素晴らしい音楽を創造し続ける』という”軸”をぶらすことなく 都度都度の目標を達成していく プロジェクト・リーダーです


マイルスは ハイルマイヤーの質問集 で完璧に回答できたはず

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  目的に対して純粋であり 忠実であること

これが どんな組織でも 共通認識 


Miles Davis - trumpet John Coltrane - tenor saxophone Bill Evans - piano

Nothing is more precious than the collaboration of Miles Davis, John Coltrane and Bill Evans on all jazz history. 

ジャズ史上、マイルス・デイヴィス ジョン・コルトレーン ビル・エヴァンスの組み合わせより貴重なものは何もない


その後のコルトレーンとエヴァンス


1926年9月23日生まれのコルトレーンは マイルス・デイヴィスと同い年

『カインド・オブ・ブルー』が発売された約半年後(1960年3~4月)のヨーロッパツアーを最後に ジョン・コルトレーン はマイルス・グループから脱退します

1966年 コルトレーンは 17日間で計12公演という強行スケジュールでの初来日公演ツアーを行います

このツアーで 原爆被害にあった長崎と広島でも公演を行い 新曲『Peace On Earth(邦題:地球の平和)』を披露

1967年7月17日 ジョン・コルトレーンは肝臓癌で他界(享年40歳)


ビル・エヴァンスは 自分がバンドリーダーとなって『Portrait in Jazz(1960年)』『Waltz for Debby(1961年)』といった数多くの名盤を発表していきます

エヴァンス語る上で「インタープレイ」という語句が使われます

この「インタープレイ」は ピアノ・トリオで ピアノ、ベース、ドラムの三者が対等に しかも互いの演奏に即時に反応しながらの 

『対話的な合奏』=『インタープレイ』


1980年9月15日 肝硬変ならびに出血性潰瘍による失血性ショック死(享年51歳)



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