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アル・カポネに愛されて育まれたシカゴ・ジャズ

「ジャズ・エイジ」とも呼ばれるようになった狂騒の1920年代


アメリカ経済は、第一次世界大戦終結後、多岐にわたる新しい大衆消費財の導入などで、大きな経済的繁栄の時代を迎えます。

1920年代は、アメリカにとって社会的、経済的な転換期であり、様々な変化が起こっていました。

“ジャズ・エイジ(Jazz Age)”という言葉は、1920年代に、ジャズ音楽が大衆文化として広まり、多くの人々がジャズのリズムに合わせて踊ったり、ラジオやレコードで聴いたりして、新しい文化も生まれ、現代的な都市文化が栄えたこと使われるようになりました。

女性は「参政権」を得たこともあり、古い社会慣習をはねのけて、禁酒法時代の文化を謳歌します。

1920年1月:アメリカ合衆国憲法修正18条が発効して、アメリカは禁酒法時代へ。(法が禁じたのは【お酒の製造・販売・移動のみ】で、飲酒そのものは禁じられていません。)

禁酒法により、アメリカのウイスキー産業は壊滅的な打撃を受けます。アメリカを重要マーケットにしていたアイリッシュ&スコッチ・ウイスキー産業も壊滅的なダメージを受けました。

しかし、この新法を、金もうけのチャンスと考えて、密造や密売そして密輸が横行していき、裏社会のギャングが頭角を現すのは当然の流れでしょう。

ニューオーリンズを離れたジャズアーティストの多くは、シカゴのギャングが経営する『スピーク・イージー(もぐり酒場)』を演奏の拠点として安定的に活動することができるようになりました。

禁酒法で「酒を禁じられていたため」白人社会は酒に酔うことが「ファッショナブル?」という感覚になっていったのでしょうか?『スピーク・イージー(もぐり酒場)』に毎晩のように出かけるようになっていきます。


アル・カポネ(Al Capone)


1920年代にシカゴの高級ホテルを根城にして、酒の密造・販売、売春業、賭博業などの犯罪組織を運営した暗黒街の顔役。

彼の顔に傷跡があったことから「スカーフェイス」という異名も持っている史上最高に有名なギャング・スター。

シカゴの人々は、アル・カポネを「影の市長」と呼び、彼の君臨を「パクス・カポネ(カポネによる平和)」と表現していました。

イタリア人であるカポネは、多くの白人のように「黒人である」という理由だけで 黒人を差別することはありませんでした。

当時のアメリカのヒエラルキーの一番下にいたのが「黒人」。そしてイタリア人~ユダヤ人~アイルランド人などの移民で、トップにいるが、それ以外の白人アメリカ人。

カポネは同じ社会的弱者として黒人は「仲間」という意識だったのかもしれません。

彼の配下にあるギャング以外に闇ウイスキーの取引をすること許可しなかったのですが、黒人犯罪集団にだけは寛容でサウス・サイド(黒人居住区)の多くの黒人がカポネはファンでした。


当時は、黒人ジャズ・ミュージシャンメンは、一流クラブで演奏したとしても、お客と同じ席で食事もできずに、正面玄関から出入りもできない人種差別の時代でした。

しかし、カポネは、自分が所有するナイトクラブで「ジャズ」を演奏する黒人ミュージシャンを優遇して、高額な報酬を支払い、彼らを保護し、白人の暴力や差別から守りました。

カポネは「ジャズ」をこよなく愛していました。

また、カポネは黒人コミュニティにおいても、慈善事業を行い、雇用機会を提供したとされています。

カポネのお気に入りのトランペッター:ルイ・アームストロング


「サッチモ」の愛称で親しまれたルイ・アームストロング。

明朗な性格と高い音楽的技術をあわせ持つカリスマで、ニューオーリンズ・ジャズをポピュラーな音楽形態である「ジャズ」へ発展させた偉大な功労者の一人。

彼の芸風は『アンクル トム(白人のご機嫌とり)』的エンターテインメントと揶揄されることもありましたが、少年時代に起こした発砲事件で少年院に入りしたことで、コルネットという楽器に出合ったというエピソードもあるほどの不良少年だったのです。

サッチモは某インタビューで語っています。

「20年代初期のシカゴでは、みんなミュージシャンには敬意を持って接してくれた。まるで神さまのような感じだった。」


ギャングの闇の世界での逸話ですので、確証はなく、真偽は定かではありませんが、実しやかに語られ継がれているアル・カポネとジャズメンとの逸話の一部を紹介します。

【アル・カポネとサッチモの逸話】


カポネはサッチモの大ファンで、彼のコンサートによく足を運んでいたとされています。あるとき、カポネは、サッチモに、彼の愛車であるシャイニーブラックのキャデラックをプレゼントしたそうです。

【アル・カポネとファッツ・ウォーラーの逸話

1926年1月17日、ファッツ・ウォーラーは4人の男たちに取り囲まれて、脇に停めてある黒塗りのリムジンに押し込まれました。(ファッツは生きた心地がしなかったでしょう)

ファッツが強引に連行された場所は、宴会場のステージ上のピアノの椅子。その日はカポネの27才の誕生日だったので、ファッツを拉致した男たちのボスへのプレゼントだったのです。

上機嫌のカポネは ウォーラーに極上シャンパンや最高の食事を振舞って、演奏を続けさせたそうです。(ポケットに入りきれなかったチップはなんと3,000ドルだったと)


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