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【雑感】様々な趣味・嗜好そして価値観を受入れる最低限の気遣い・心遣いは?

作法を知っていても「気遣い」「心遣い」が出来なければ台無し

作法を知らなくても「気遣い」「心遣い」が出来れば上手くいく

脳のバイアスが「わかりあえない」を作りだしている大きな要因?

野生動物にエサを与える行為の是非


土鳩に継続して同じ場所・同じ時間に餌を与える人の心理

私は全く理解ができなくて 絶対に止めて欲しい行為と思っています

しかし この光景を目のあたりにして 当事者に注意したくなるのですが おそらく当事者は【NG行為】という認識はもっていないだろうから「注意しても無駄だろうし この場から立ち去ろう」という行動をとります


そもそも 野生動物は、本来厳しい自然環境の中で自ら餌を得て暮らしていますが 餌付けなどにより簡単に餌を得る方法を学ぶと 人の食べ物の味を覚え これらに依存するようになってしまいます

意図的に与える餌もそうですが 放置された農作物や生ゴミも意図的ではない餌付け行為となり 野生動物が人を恐れなくなったり 餌を食べて繁殖力が上がり生息数が増えて 様々な被害を発生させる原因にもなります


このことを 誰もが認識している大前提 と考えていることは間違っていて

その大前提を振りかざしたところで 餌付けをしている人が 止めることはないでしょう 

こんな人々に分かってもらえる術が全く思いつきません



嗜好品を嗜む最低限のマナー


タバコをポイ捨てする人・断りもなく吸いだす人の心理が理解できない


ポイ捨てする人には「お前の家の玄関でポイ捨てされたらどう思うの?」

と注意したくなりますが「注意しても無駄」と思って 見て見ぬふりをしてしまいます


好き嫌いが存在することが前提と思っている嗜好品でも 共存することの難しさがあります


私はタバコが大嫌いで パブリック・スペース(飲食店含む)では

『【禁煙】が大前提』と考えています

喫煙可の飲食店などでの会食は 極力参加しないことししていますが 仕事上の関係で どうしても参加しなければならない場合は 早めに退散することにしています


私はアルコールは大好きで アルコールが飲めない人との共存は 酔っぱらって迷惑をかけなければ 共存できるのではないかと考えています

しかし これもアルコール好きの立場からの一方的な見解に過ぎません


嗜好品の場合は 好き嫌いがあるので 簡単に規制できるものでなく

【嫌いな人が許せる範囲という基準を満たす方法での共存】

という曖昧な表現しか思いつきません


どれほどの機能があるのか?分かっていませんが

「電子タバコならば許せる範囲かな?」と私は思っています


嗜好品の好きな人と嫌いな人の共存の最低限のルールは?

嫌いな人に対する気遣い・心遣いといった曖昧な基準でしかないでしょう



先日以前勤務していた会社の後輩から聞いた話


課長が 子供のウイルス性疾患に感染して 発熱して体調不良で休暇をとっていました

熱が下がったので 課長自身の判断で翌日出勤したのですが その夜また発熱して ふたたび休暇に入ったそうで 迷惑な話です


「先輩は どう思います?この上司の対応について」

と聞かれたので

自宅待機を余儀なくされた経験が全く教訓になっていないね『少しくらい熱があっても無理してでも出社するのが美徳』として教育されてきたことの弊害だろうね 課長の行動を誰か注意したの? 部長とか 」

後輩の回答は

「誰も注意するはずないじゃないですか この事実を知ってるのは部下だけですから 部長の耳に入ったことが分かれば 犯人捜しで大変ですよ まあ部長が事実を聞いたからといって『無理しても出社するのが美徳』と考えてるかもしれませんね 私は明日感染していないか?検査に行ってきます」


この課長は 業務遂行能力も高く 優秀な社員と聞いています

昨今の情勢変化に応じた組織内ルールのアップデートが行われていたのかは 分かり兼ねますが 今回の課長の個人の判断だけで出社した行動は 軽率そのもも だと私は思います

仮に 課長のこの行動が原因で 多くの人に影響を及ぼすことになったとしても 真実はオープンにされることもなく 不都合な真実として闇に葬られるのかもしれません

そして課長に「こんな危険性があるので ちょっと軽率な行動だった」と苦言を呈す人が現れない限り 課長は同じことを繰り返すでしょう



出社することがメイン・カルチャーでなく テレワークがメイン・カルチャーになれば この課長の行動は無かったかもしれません


サラリーパーソンの最大関心事である『人事考課制度』も含めた上で 組織のOS変更が最善の解決策?



なぜ怒りの感情がでるのか


『怒りの感情』が無ければ人間関係が円滑になり 紛争が起きることなく 円滑なコミュニケーションがきるのでは?と考えてしまいますが 全く現実的ではありません


人はそれぞれの違いがあって 感情があるからこそ面白いんです


『怒りの感情』の出現には 『怒り』の前に別の感情があるはずです

「不安」「心配」「寂しい」「悲しい」「悔しい」「辛い」といった【一次感情】が存在して 次に『怒り』という【二次感情】が出現する気がします


【一次感情】を引き起こした要因は 相手が意図することの誤解であったり 相手が発した言葉の意味の取違であったり 様々なことが絡み合うこともあるのですが

【一次感情】を 上手く言語化・表出化しないこと できていないことから 『怒り』という【二次感情】だけを相手に伝えてしまったり 表面化することで 問題が大きくなってしまいます


「ここまでは許せる」「ここからは絶対に許せない」

という基準こそ自分しか分からない尺度であって 長年付き合ってきた人であったとしても分からない尺度です


往々にして 文章が前面に出たSNSの世界では 言葉の使い方やタイミングによって多くの誤解を招き【一次感情】が表面化されずに いきなり【二次感情】の『怒り』だけが表面化するのでは炎上して当然でしょう


『怒り』は 自分自身が持つ理想と現実のギャップから生まれる

と考えられ 

『怒り』は自分の経験から生まれた価値観と現実のギャップから生まれる

と言い換えてもいいと思います


ルール・規則には守るべき 多くの “べき” が存在します

この ”べき” が 価値観と違うことによって『不快感』からの『怒り』へと発展していくのではないでしょうか?



こうじゃなきゃいけないということはない


イキイキ脳でいられるか否かは60歳が分岐点

というフレーズを見聞きして 還暦を迎えた時に

『こうある”べき”』『こうでなければいけない』『これが当たり前』

といった ”べき”を捨てる挑戦 を始めました


スタートして半年ですので まだまだ ”べき”を捨てられた と思っていませんが この挑戦によって『怒り』への分岐点は変わった 気はしています


他人から言われたことで『不快感』や『違和感』を感じた時には 冷静になれるように 間 を持つ ということだけはルーティン化できたと思います


新しい挑戦を始めるのに遅すぎるといことはなくて

【脳のバイアス】が「わかりあえない」を作り出している

このことに気づけただけでも有意義です



Born To Run

 

ボディーは日に日に錆びついて劣化していっても 新しいエンジンに積み替えても耐えられるように 足腰を鍛えながら 自己ベスト更新に向けて 走り続けましょう!

バックミラーは落っことしたんで 前だけ向いて行くしかないようです





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