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【真面目に】ジャズ創成期の歴史は現代社会で必要な多くのことを教えてくれる

俺は黒人だぜ 本当にいいのか?


1961年 アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズが初来日した時

ファンが問いかけました

「ミスター・ブレイキー お願いがあります 一緒に写真を撮っていいですか?」

すると アート・ブレイキーは 驚いて応えました

「俺は黒人だが 同じ写真に写っていいのか? 俺は黒人だぞ 本当にいいのか?」


当時のアメリカ社会は それほど人種差別が厳しかったのです


アート・ブレイキーは帰国前に 次のように語ったそうです

「なによりも嬉しいのは、アフリカを除いて、世界中で日本だけが我々を人間として歓迎してくれたことだ。人間として!ヒューマンビーイングとして」


もともと『奴隷』は白人がメイン?


『奴隷』とは?

人間としての権利・自由を認められず、他人の私有財産として労働を強制され、また、売買・譲渡の対象ともされた人。古代ではギリシャ・ローマ、近代ではアメリカにみられた。(引用:デジタル大辞泉)

古代ヨーロッパの『奴隷』は?

【重罪人】【借金の代わりに無償奉仕を言い渡された人】【隣国との戦いに敗れ捕虜になった敵国の人】【文化が違うゆえに言葉が通じないで捕らえられた人】など 

肌や国籍問わず 周辺地域からかき集めたり 自国民から身分を剥奪したもので形成されていきました


『奴隷』は 使い勝手の良い労働の担い手なので 常に不足状態

アラブ地域やアフリカ大陸地中海沿岸の地域からも集められるようになっていきました



『奴隷貿易』の始まり


15世紀ごろになると 東西の交流から航海術が発達し 地中海沿岸の船乗りたちは 大きな船を建造して東へと貿易に出ます

大航海時代から植民地時代へ

王侯貴族や特権階級と結びついた植民地支配者たちは ヨーロッパでは生産できない植物を 新大陸アメリカで『奴隷』も一緒に運び込んで生産拠点をあちこちに作ります


サトウキビ コーヒー カカオ豆 綿花といったプランテーションを支える『奴隷』には【熱帯環境適応能力】が必要でした

そこでプランテーション主(オランダ人・イギリス人・フランス人など)は大量の『黒人奴隷』をオーダーしました



なぜ?人を『奴隷』にできたのか?


作家アレックス・レントン氏は BLM運動の盛り上がりを踏まえた上で 自分の先祖が『奴隷』を使ってプランテーションを経営していた実態を著書『ブラッド・レガシー(血の遺産)』で述べています


「キリスト教徒としては人間には権利があることを認識しているため 人が人を所有するということはあり得ない。そこで、奴隷を持つという行為を正当化するために 黒人を人間ではなく『所有物』として考えたのだ 」



アメリカ合衆国における最初の内戦『南北戦争』


『南北戦争』は 1861~1865年に起こったアメリカ合衆国(北部)とそこから分離したアメリカ連合国(南部)と間の内戦です

『南北戦争』の原因は

✅ 北部は保護貿易を主張 黒人奴隷解放に賛成(共和党支持基盤)
✅ 南部は自由貿易を主張 黒人奴隷解放に反対(民主党支持基盤)

1865年4月9日 南軍が北軍に降伏し終戦

結局この戦争によって黒人奴隷制度を廃止されたことで 黒人は法のもとでの自由を獲得しましたが どこまで真の自由たりえたかは別の問題です



奴隷制度の終わりは人種隔離政策の始まり


『ジム・クロウ』とは?

1830年頃 シンシナティの路上で ぼろ着姿の黒人の子どもが
「おいらの名前はジム・クロウ、まわれ、まわれ、ジム・クロウ、踊りで、はねまわれ」という奇妙な歌を歌いながら飛び回って遊んでいるのを見た 白人俳優のトーマス・D・ライスが「ミンストレル・ショー」といわれる大衆芸能に取り入れ 顔を黒く塗った黒人姿で歌い踊ったのが始まりとされています<引用:本田創造著書『アメリカ黒人の歴史 新版』>

そこから一般化したこの言葉は 黒人に対する差別と隔離の一切を総称した意味で 広く用いられるようになっていきました


1843年 ニューヨークで公演が開催されると 翌年にはホワイトハウスに招かれるほどの爆発的な人気

ここで大事なのは「ミンストレルショー」の熱狂的な顧客は 奴隷制とそれを推進する民主党の支持層である 都市部の白人労働者階級だったことです 



『ジム・クロウ制度』とは?

南北戦争後の再建期(Reconstruction)後 『分離すれど平等』で知られる1896年のプレッシー判決で人種隔離が公認されると この瞬間、南北戦争後の再建期が目指した黒人の権利は死文となりました

連邦政府は 人種主義制度を公認し 黒人や有色人種を二級市民へとおとしめることを認めました

これが『ジム・クロウ制度』と呼ばれるもので

【法律規制】:州・郡・市町村において、人種隔離をする規則と条例(黒人公民権の実質的な剥奪)
【社会的規範】:「呼称に関すること」「日常的な振る舞い」「黒人男性と白人女性の関係」「労使関係」など日常におけるルール

から成り立つものでした



『クレオール』の存在


ニューオリンズには フランス人やスペイン人といった白人と黒人の間に生まれた有色人種『クレオール』と呼ばれる人々がいました

『クレオール』は 純粋な黒人ほどひどい差別を受けることなく 教育を受けて 商業を営むことも許されていました


『ジム・クロウ制度』の「ワンドロップ・ルール」

黒人の血が一滴でも流れている限り 黒人と分類されること

によって「クレオールは黒人である」とされ身分的にも没落していきます


南軍楽隊の払い下げ楽器を手にした黒人は 奴隷時代には与えられなかった自由時間に 独自のフィーリングで演奏を楽しんでいました

そこに 西欧音楽の素養があった『クレオール』の音楽と混ざりあって独特の音楽表現を生み出すことになっていって進化していきました

これが ジャズの誕生です


ジャズの誕生に『クレオール』の果たした役割は大きいです



差別意識に根ざした模倣


黒人とクレオールが歓楽街ストーリーヴィルで創造していった【ニューオリンズの音楽】

この【ニューオリンズの音楽】は 1917年 白人の『オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド』のレコーディングが行われ 白人の手で全米へと広がり ジャズの隆盛へつながっていきました


「ミンストレル・ショー」と同様に

『白人が黒人を“まねる”(差別意識に根ざした模倣)』

というワンクッションを置くことで 

白人が“差別”を肯定的受け入れる空気感を醸成していった?

とも考えられます



「道徳」は『部族主義』と深いかかわりがある


哲学者:ジョシュア・グリーンは著書『モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(上・下)』で次のように論じています

「道徳判断」を左右するものは 私たちの心に根差す『部族主義』


『部族主義』は 

自分の仲間かどうかを直観的に判断して 仲間だと認めた者を贔屓する

人間が社会的な動物として生き残るために進化的にそなわったものです



人間は「理性」よりもまず「感情」が反応することが分かっていて「道徳的判断」においても「感情」が大きな役割を果たしています

自集団は「美徳」 他集団は「悪徳」 とする『道徳感情』


多種多様の人々の活動範囲が急拡大した現代社会においても

多くの『差別』問題の根にあるのは『部族主義』?


肌の色が違う人を奴隷として使うことが「道徳的」に許された歴史


時として 数字しか見ないエリートは 『道徳感情』に抵触する『功利主義(最大多数の最大幸福)』的判断を 簡単に下すのかもしれません



まとめ


ジャズはダイバーシティが創造したイノベーティブな音楽

と言われることがありますが

『差別』『挫折』『葛藤』『摩擦』から創造されていった音楽


【潜在意識】から生まれる『各種バイアス』

『先入観』『偏見』そして『差別感』は 【環境(部族主義)】に依存していることでも増長したり 抑制したり出来るものでしょう


ジャズは 現代社会に必要な多くのことを教えてくれる教材 

と考えるのは 私だけでしょうか?



1962年に初来日公演を終えたホレス・シルバーがリリースしたアルバム

『The Tokyo Blues(Blue Note・4110)』

楽しかった日本を離れる時には”ブルー”な気持ちだったに違いない

♬Sayonara Blues♬



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