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『対話』には【プレゼンテーション】【ファシリテーション】能力向上が必須

『対話(ダイアローグ)』には様々な解釈があるようですが 

私は 香取一昭氏&大川恒著書『決めない会議』に書かれていた

「勝ち負けの生じない合意やアイデアを生み出すための会話 」 
「心を一つにして行動することのできる状態を作り出すための会話 」

このフレーズが一番しっくりしています 『対話』に関して考えてみます

『会話』と『対話』の違いは?


『会話』も『対話』も 2人もしくは少数で話し合うことですが 私は次のように定義しています

『会話』・・・明確な目的やゴールはない
『対話』・・・何かしらのテーマに基づいて それぞれの意見を述べ合う


日本型経営企業における『対話』に至るまでの難しさ


もともと日本人は 話し合いの場には「儀礼的丁寧さ」をもって臨む人が多いが なかなか本音は表さない

『対話』を妨げる最も厄介な要因は「組織の文化や風土の問題」

組織において 人はそれぞれ置かれた立場が違うので 無意識にその立場から人や物事を見て発言している人が多いのが現実と思います

【参考文献】


【 高間邦男著書氏「日本人の話し合いのプロセスマップ」】

スクリーンショット (401)

「たまには本音を聞かせてほしい」と 上司が「意見要請」すると 部下は「意見吐露」するのですが それに上司が「反駁」すれば 部下は「儀礼的丁寧さ」に戻るか「対立」することになります

上司が「反駁しない」で出てきた意見を「受容」すると 部下は「安心」して 多数の声が寄せられることになります(一方「対立」することになると大変なので部下には”覚悟”が必要です(笑))

「反駁しない」によって 声が多くなりすぎると「意見の拡散」状態になって 考えられる解決案も多数となるので「先送り」になりがちでなので とりあえずの落とし所で「意見の収束」にしてしまいます

この「意見の収束」によって 仮に後に不満・反論が出ても 上司は「一度話し合いで決めたのだから」と言って受け付けない「守り」に入れます 

これが【日本人の話し合いのプロセス】です

壁の乗り越えに失敗すると「服従」「妥協」「対立」などに陥ってしまう



組織における『会話』『対話』『議論』の関係


下図は RECRUIT社の『Works108(2011.10-11 )』に掲載されていたもの

スクリーンショット (399)

『議論』『対話』が一緒に活動できる関係性を築く『会話』がベース

職場の人間関係を円滑にするためにも 適度な「おしゃべり」や「思いやり」は必要ですが 大事なのはバランスです

楽しい『会話』はするけど『対話』はしないという”仲良しクラブごっこ”職場が多いのではないですか?

この”仲良しクラブ”が 同調圧力の元凶 です


【対話】:本質を一緒に発見する「そもそも論」を話し合う 

普段は縦の関係にあったとしても『対話』を行う場面においては言葉を交わす者同士の立場が対等であること

『対話』の「対」は【対等】の「対」


最初から「なぜ?」「どうして?」と言い訳を聞く質問をこちらからしない

「なに(What)」「いつ(When)」「どこ(Where)」「だれ(Who)」などの疑問詞を使うことで”事実”を尋ねて それにより相手の問題解決への気づきをうながす

という対話型ファシリテーションから始めることがいいのかもしれません


人は「対話」の中で、物事の意味付け、自分たちの生きている世界を理解可能なものとしています。人が物事を意味づけるときに、一人でそれに向かっているのではありません。相互理解を深めていくには、単に「客観的事実(知識・情報・データ等)そのもの」を知っているだけでなく、「客観的事実に対する意味」を創造・共有していくことが重要となるのです。


ダイアローグ(対話)は、人々に対し互いの意見に同意させるものではない。そうではなく、「意味の共有化」という泉へ引き込み、緊密に協力する行動へと導くものだ。そのように意味が共有化されると、人々は、たとえ理由について賛同していなくても、協調的で効果的な行動をとることができ、またとるようになる。

この【対等】の立場での『対話』を行って 次のステップ

【議論】:共通の目的に向かって考えをすり合わせる 

が行えるのでしょう



言葉の定義の重要性


「白いギターの箱」・・・・白いのは  ギター? or 箱?

「美しい水車小屋の娘」・・美しいのは 水車小屋? or 娘?

こんな「曖昧表現」はビジネス現場に必要ありません


親子での夫婦での恋人でも 相手が考えていることが分からないのに 

「上司が何を言わんとしてるか汲み取れ」

と 上司の”言わんとしてること”を各自が勝手に解釈して ビジネスを進めることが危険なのかを考えてください


「曖昧表現」は 責任を不明確にして 責任転嫁するだけです

「え?そんなこと言ってないよ」「勝手に解釈するなよ」

「言った言わない」という馬鹿げた不毛の議論を招くだけです



プレゼンテーションとファシリテーション


詳細な方針が配布されていて 精緻な職務分掌があったとしても 目的意識共有も 役割分担も 知識共有も 文書化すれば皆の納得度が高まるというものではありません

文書化できるものはしつつも それと並行して 顔をつき合わせての『対話』と『体験共有』が必要と思います


どんなに素晴らしい文章が書けたとしても

文章を読んだだけで人が行動に移すとは思えません

どんなに素晴らしいアイデアがあったとしても

相手に理解してもらえなければ何の意味もありません


『対話』においても『議論』においても 

【プレゼンテーション能力】【ファシリテーション能力】

ここが大切なのではないでしょうか?


まとめ


『対話』を妨げる最も厄介な要因は「組織の文化や風土の問題」

と書きましたが この「組織の文化や風土」が変わるのを待っていたって 日が暮れるだけです


【プレゼンテーション能力】 【ファシリテーション能力】

この能力向上が これからのビジネスパーソンには重要ですので 自分で磨きをかけるしかありません

この能力は 場数に比例します

機会があれば 社外のジャムセッションに どんどん参加することを お勧めします


マイルス・デイヴィス曰く

毎日一歩ずつ前進するように、がんばり続けるだけだ。そうだ一歩ずつだ。
必要なのは才能じゃない。練習、練習、練習、それだけだ。



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