お節介おばちゃん、始めました
近くのTULLY'Sへ行くと、最近よく遭遇するおばあちゃんがいる。
高齢者用ショッピングカートみたいなのにつかまりながら、ゆっくりと慎重に座る。足腰がたいぶ弱っている。きっとリハビリを兼ねて、TULLY'Sに通っているんだろう。アイスコーヒーを飲むとしばらくぼんやり宙を見つめて、またゆっくり立ち上がり帰っていく。
席を立つ時が一苦労だ。ショッピングカートにつかまり立ちし、少しずつ後ずさりする。ゆっくり回転すればあとは移動だ。しかし回転するタイミングで、ハタと停まる。テーブル上にあるトレーに気付いたのだ。
トレー下げておきますよ。
と声をかける。おばあちゃんは困惑顔で、いいんですか?とまっすぐに聞いてくる。
もちろんです。
トレーを下げた私を待って、丁寧にお礼を言ってから帰っていく。私も無事に帰っていくおばあちゃんを見てホッとする。
東京ではお年寄りの姿を目にする機会が格段に増えてきた。ボストンではあまり見かけなかったので、余計に増えているのを実感する。これからもっともっと増えていくんだろう。
❏アメリカ人の軽やかなお節介
アメリカ滞在中、良い意味でお節介な人が多かった。それこそ改札口で立ち尽くしている人がいれば、
Are you OK?
Is everything OK?
などと話しかけ近寄っていく。もし問題がなければちょっと雑談をして、Have a nice day!! と明るく立ち去る。その軽やかな気遣いが私はいいなぁと思った。
アメリカの小学校に通っていた息子は当初、アルファベットすらあやしかった。数ヶ月くらい学校の先生の話すことがさっぱり分からず、クラスメイトともコミュニケーションをとれなかった。だからしばらくは少し投げやりな気持ちで昼休み一人で遊んでいた。ある日、ブランコから落ちてしまい、驚きと痛みで一人でうずくまっていると、うしろから不意に声がした。振り返ると、クラスメイトの男子生徒の顔があった。
Are you OK??
あ、これは「だいじょうぶ?」って言っているのかも。息子は「イエス」と答えた。息子が英語に前向きになれたのは、それからだ。
❏色々考えすぎてお節介になれなかった若き日々
言葉は分からなくても、心配してくれる心は伝わってくる。痛いとき、困ったとき、そのあたたかさに救われることもあれば、背中を押されることもある。
若いときは色々考えすぎたり、言い訳してた。不審者や偽善者に見らたくない、かえって迷惑なんじゃないかとか。
でもお節介アメリカ人たちを見て思った。もっとシンプルになっても良いと。底抜けの明るさと図太さで、そんな杞憂は吹き飛ばしてしまえば良いと思った。
あと十年も経てば、3人にひとりが高齢者になる日本で、お節介はどんどん歓迎されるはず。だから今のうちからお節介おばちゃんを始めることにした。
数日後、TULLY'Sへ行くとあのおばあちゃんがまた隣りに座った。またトレーを下げますよと声を掛けると、今度は少しホッとした顔で、いいですか?と聞かれた。もちろんです!と笑顔で言えるくらいには打ち解け始めた。