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0."望月 誠"は何者なのか?|はじめてのnote

 いつも不思議に思うことがある。
 4月、いくつかの理由で環境が変わることで関わる人間が変わってしまった時、人々は私にこう尋ねることだ。

 「貴方は何者なのでしょうか?」と。

 どんな経験をして、何が好きで、休日にどんな時間を過ごすのですか。何気ない質問だけれども、そこには私の思考や嗜好、何に属しどんな価値を生み出すかを尋ねられているような気がして。
 
 けれども、私には、自分が何者なのかを上手く説明できないから言葉に詰まってしまうことが多い。

 サラリーマン?いざという時、会社と共に沈む覚悟がどこにある?
 ライダー?雨の日に調子に乗った結果、砕けた右カウルを路面に撒き散らしたというのに?
 創作者?ただの一つでも文学賞でも受賞したの?個展はどう?そうでないならば、たったの一人でも、誰かの心を揺れ動かした?

 だから、私は、いつも自己紹介の時に言葉を上手く並べられる人々を見て、尊敬のまなざしを向けつつ、自分の番が何番目であるかを緊張しながら数えるばかりなのだ。

 ここでは自分自身が何者なのか、頭を抱えながら模索する見苦しい姿をお見せしていく。


・事実を並べて自分が何者なのかを考えてみる

-渋滞を生み出す疲れた顔した会社員

 私は、他の多くの人々と同じように会社員をしている。
 
 当然だが「よっしゃ!絶対に会社員になってやるぞ!」と思って会社員になったわけではない。ただ、食事をするのも、自宅でひと眠りするのも、呼吸をするのも金がかかるから、生活の為に会社員になっただけだ。
 (子供のころの夢は「億万長者」。全く、幼くも愚かな私め。)
 
 会社は愛知の郊外にある。製造業特有の、僻地の製作所が私の職場だ。自然豊かと言えば聞こえはいいが。
 
 具体的な仕事はエクセルを開いたり閉じたり、セルに文字を塗ったり、整理されていない資料を引っ張り出すことをしている。もしも私が、"エクセル学部ファイル開閉学科 Vlookup研究室"所属であったならば、完璧な配属だっただろうと思うような仕事だ。機械工学部出身の私では、非常に、猛烈に、荷が重い仕事だ。
 他には、自部署のさらに上流工程と受領情報の調整したり、後工程に謝罪しながら提出情報を調整したり、上司に対して言い訳をするために主任と成果物の数値を調整したり。
 (その度に、この仕事にはどんな意義があるのでしょうかと主任に尋ねるのだが、彼も目を細めて笑うばかりであった)
 
 隣の建屋ではプロダクトデザインを副社長と協議したり、製品の試作品の調整を行ったり。さらに隣の敷地では製品テストエリアがあったり。私は、私の社員証ではエラーが出るエリアを遠巻きに眺めながらため息をつく日々を過ごしている。

-国道を駆ける、カメムシ色のバイク

 士気の低いサラリーマンは、週末にカメムシ色のバイクを飛ばす。
 
 なけなしのボーナスを叩いて買ったKawasaki Ninja400。メーターには一年で2万キロ以上の走行記録が残されている。何故か社員寮が名古屋にあるおかげで、北は下呂温泉、東は浜名湖、西は比叡山、南は渥美へと現実逃避の週末を過ごしている。

 ああ、先んじて示さないといけないのは、私は専ら運転しかできない点だ。世のバイク好きは、卓越した知識を用いてECUを書き換え、あんこを抜き、社外マフラーを取りつけ、ボルトのトルクを測るが、私はそうしたことは出来ない。ドライブレコーダーを取り付けた後、カウルからはみ出すギボシ電線に絶縁処理が行われていないことに、一年経った後に気が付いたからだ。私が整備したならば、恐らくその一週間以内に私の実名が全国のニュースで不名誉な形で轟くと容易に想像がつくからだ。


雨の最中、新品タイヤで転倒した際に出来た傷

-創作への渇望から生まれた似非小説家

 記憶を書き示した文字列、繊細な色使いで描かれた少女のイラスト、下らなくも革新的な工作物。私以外の人々は才能に溢れるから、頭の中に浮かべた世界を美しく、儚く、力強く、切なく描くことが出来る。
 SNSには、そうした創作者と呼ばれる人間達が数えきれないほど居て、世界に自分の存在を認知させ、承認させている。
 
 私の頭の中を占める、現実で承認されない苦悩から逃れるには、彼らと同じ方法しかない気がした。もしも、私がそうした才能を持っていたならば、どうしてここまで苦悩を抱く必要があったのだろうか。持ち得るものは、義務教育によって得た日本語だけだったから、私は文章以外の選択肢を選ぶことが出来なかったということだ。
 
 結果として、この創作を通じた社会からの承認への渇望によって、私は十万円を失った。先に言うと、別に詐欺にあったわけではない。私が踏み出した領域は同人で、一年かけて二作の小説を書き切ることになった。ジャンルは「百合」、女性同士の恋愛模様を書ききることになった。理由としては単純だった。私の憧れの創作者が百合好きだったからだ。奇跡が起きて彼に小説が届く可能性を1%でも上げるためには、こうする他に思い浮かばなかったから。
 (追記:私は元々、こちらのジャンルに精通していなかったから、勉強から始まることになった。分野は百合漫画、小説、ジェンダー学、共依存心理学、そして実体験の記録)
 
 結果は言わずもがな。今までの文章を見れば、私の未熟さがよくわかると思うが、それが客観的証拠として数字に表れると、想像通り……いや、想像以上に精神にクることになった。三百ページを超えた小説であったから、尋常じゃない程にかかった製作費がかかったにも関わらず、市場に出回ったのは2種類合わせて6冊程度だった。そのうち、身内を除くと2冊が見知らぬ他人に届いたことになる。それは感動的な出来事ではあったものの、次に来る感情は、彼らが私に憤りを持ち「代金を返せ!」と訴えてくることへの不安だった。
 
 言い方によっては「制作しているから私は同人小説家だ!」と言えなくもないかもしれない。けれども、私はそれを自称できるほどに恥知らずではない。創作とは数字が全てである。だから、恐らく、私が自身に与える肩書は『敗北者』程度ではないか?

・ならば、私は何者なのだろうか?

 実の事を言うと、小説として描いた物語の内、一つの作品のテーマは『自分自身は何者なのか?』であり『何者にもなれなかった君へ』という作品になる。

 本棚に入りきらなかった分は適当に机の上にまとめる。小物をブックスタンド代わりにしてポイポイと適当に並べてみる。こうして改めて確認するとあまりの本の多さに驚かされる。ただ、この大量の本が私の何を変えたのだろうか。昨日までの私は、確か本だけが救いだと信じていたような気がする。でも今となってはそんなことは戯言だと思った。
都合のいい言葉、場面、救い。非現実的な物語を空想して、自分もいつか救われると思っていたのかな。まるで王子様に憧れる女の子のように。でも、みんな知っているように、王子様など来ないし、まず存在しない。人間、そうやって成長していくんだよね。
 サンタクロースが実在しないって知った時、なんとなく察しがついていたような気がする。窓、開けられないよね、とか、都合よく私の欲しい本を知っているなんて変だとか、疑っていたような気がする。それでもわずかな希望を抱いてクリスマスを待ちわびた。そしてケーキの甘さに意識を削がれて疑っていたことさえも忘れてしまう。
 そして、いつか真実を知る。ケーキなんて別にクリスマスじゃなくても食べられるだとか、高いプレゼントを頼むとあえて似たような安いものにすり替わっているとか。でも、自分の中で予想はできていたから少し悲しい程度であまり傷つかない。
 今回のことも、同じだと思う。
 私は特別じゃない事実を、もしかしたら小説のように指先一つで書き換えてしまうかもしれない、とわずかな希望を抱きながら過ごしていた。いろんな場面で真実は見え隠れしていたけれど、そこから目を逸らしていた。
(もう、逃げられないわね。)
 きっと、私はずっと変わりたかったんだと思う。何者かにならないといけないと、必死にもがいて叫んで泣いて苦しんで。そして昨日“私”は私を知った。

 ごめんね、シン、麗華。私、気付いちゃったんだ。
 貴方たちの望む私には絶対になれないんだって。

何者にもなれなかった君へ (2019)


 この作品は特筆する才能がない一人の少女が、才能に溢れる友人たちと関わるうちに劣等感に苛まれ、グループを離れて孤独に身を置いた果てに、過去をきっかけに人間不信に陥った少女と共に傷を舐め合い、心を癒していく物語だ。その過程で才能に溢れる人々も、裏切りに遭ったり、虚栄心を抱えて嘘をついたことが判明し、そのアイデンティティは脆い礎の上に立っていることが示されている。
 この作品では、私は救いを前面に出そうとした。都合良く同じ境遇の少女が現れ、理解し、心通わせる様を描いた。

きっと、私達なんて取るに足りない存在よ。
誰の記憶にも残らないような、そんな無価値な存在なのよ。
でもそんなこと、もうどうだっていいわ
私達だけの、小さな秘密にしておきましょう。
私達が確かにここにいて、確かに私たちが愛し合っていたこと。
私はそれだけで十分よ。貴女が傍にいてくれるだけで、私は満たされていくわ。

私は、何者でもない。
世界中の人間がそう思うでしょうね。
でも、世界の中でたった一人が知っているの。
私は貴女の特別な存在なのだ、と。
それは貴女が一番知っているでしょう?

何者にもなれなかった君へ (2019)

 それは私の真の願望だからだ。誰かが私に気が付いて「貴方にはこんな価値があります」と伝えられることでしか、私は自分が何者なのかも理解できない悲しき存在なのだ。
 けれども、現実は非道であって、奏(この作品のヒロイン)は私の前には現れはしない。できることは、ただ、奏が現れるまで名乗りたいものを抱え続けることしかないのかもしれない。

・では、私は何者になりたいのか

 これはすぐに回答できる。
 私は創作者になりたいのだ。誰かの心を揺さぶったり共感させたりしたい。そうすることで、私は私に価値を見出すことが出来るからだ。私によって、誰かに影響……可能な限り、良い影響であって欲しいが……があったならば、私はたとえ今すぐに息絶えたとしても、この世界に対して確かに価値を与えたことになる気がするから。

 私がnoteを始めたのは、これが主な要因だ。
 2019年に作品を完成させてから、私は二つの作品を放棄した。

  • かつて過ごした三人での穏やかな時間が忘れられず、変わり果てた親友達の背中を追い続けて心を壊され、自殺に向かって突き進んでいく少女の物語。

  • 自分には抗えない"貧困"という障壁を越えられず、自分の将来を諦める代わりに妹の未来を守ろうとした結果、「世界は不公平だ」という押し殺した感情が溢れて、守ろうとしたものを破壊する姉を描いた物語

 理由は単純で、才能を疑うことになったからだ。どれだけ考えても、その先を描こうとするたびに描写不足と冗長性の板挟みで頭蓋骨の中が灼熱で満ちて、その場を逃げ出すようになった。
 元々才能がない、と言い訳を繰り返し、気が付くと五年が経った。憧れは憧れのままなのに、周囲は私のはるか先を歩き、創作の世界で名を残し始めていた。私は自分が何者であるかもわからないというのに……。

 だから、せめて私は『創作者になりたい』という願望さえも放棄しないようにしなければならない。だから、とにかく文字を残す場所が必要だった。それが、駄文を連ねている"ここ"だ。あっちへこっちへ、毎日移り変わっていく思考に狂いながら「テメエの願望はこれだ、忘れてるんじゃねえぞ、クソボケ」と自身に伝え続けるには、ここが必要なのだ。

・"望月 誠"は何者なのか?

 上記の駄文から導いた結論として書き記すならば、以下の通りだろうか。

 "私は、『いつの日か、「私は"創作者"である!」と胸を張って言葉にし、周囲が目を丸くして、その言葉の持つ意味を示す意味合いが私の口から飛び出すのを待つ姿にさえ、誇りを持てる様になりたいだけの何者でもない存在』である"

 ……嗚呼、現時点で、この程度の表現しかできない存在が"創作者"になる日は来るのだろうか……?

追記:Chat GPT3.5君の回答


望月誠は、自分自身のアイデンティティに悩み、何者にもなれない自分を模索している人物です。彼はサラリーマンであり、創作活動に情熱を持ちながらも、自己評価が低く、成功や認知を得られずに苦しんでいます。

具体的には、以下の特徴があります:
会社員:愛知県の郊外で製造業に従事しており、主にエクセルを使った事務作業を行っています。仕事に対してやりがいや意義を見出せず、疲れた顔をした会社員として自分を認識しています。
ライダー:週末にはカメムシ色のバイク(Kawasaki Ninja400)でツーリングを楽しんでいますが、整備技術はなく、ただ運転することに喜びを感じています。
創作活動:創作者になりたいという強い願望を持ち、小説を書いて同人誌を発表しています。しかし、商業的な成功を収めておらず、自分の才能に疑念を抱いています。彼の作品「何者にもなれなかった君へ」は、自分自身のアイデンティティの模索や劣等感をテーマにしています。


望月誠は、自分の存在価値やアイデンティティを見つけるために創作活動を続けており、その過程で自己認識や他者からの認知を求めています。彼の目標は、創作者として誰かの心を揺さぶり、共感させることで、自分に価値を見出すことです。

Chat GPT3.5より

 私の結論は間違っているようだ……。

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