頭はハピネス

ため息をつくと幸せが逃げるなら、空は青い鳥で埋め尽くされていないとおかしくないのではないかと思う肌寒い日。

そもそも幸福論ではないが、人それぞれに幸せの価値や色彩は違うはずなのに統一見解みたいなものを欲しがるのは何故か。それがあることが不幸を呼ぶのだが、幻想としての中間層を満足させるために、現代の士農工商制度みたいなもんを作りたい誰かの意思があるのかね。

飢えて死なずに、雨をしのいで足を伸ばして眠ることができればよかろうと誰かが決めたら、それが幸せになるような世界はそれこそ不幸と思うのだが、それを考える時点で思うつぼなんだろうね。

様々なものがシェアされて、にこにこと温かい雰囲気がある優しい世界がいいが、それではぬるいと感じる人も少なからずいるのだろう。キリギリス的に音楽に興じて眠るように去りたいが、そう簡単な話でもないのが現実。

めでたい世界にめでたい頭で、どっか片隅で生きていたいだけなんだよな多分。

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