世界でいちばんうつくしい病気

昔、神田うのさんが出ていたCMで、世界中を敵に回しても君を愛していると男が、うのさんに愛を告げた瞬間に、その部屋の周囲をヘリやら戦車やらが取り囲むという類の作品があったような記憶があるのだが、ああいうセカイ系というか、君と僕の世界みたいな雰囲気は若い頃にはありがちなんだろうか。

例えばロミオとジュリエットは地域における家と家の呪いみたいな話だが、偽物のつもりが実は本当の毒薬だったみたいなコントじみた話でもある。

けれど、恋愛の渦の中にいる本人たちは笑い事でなく、比喩ではないままの命懸けの恋愛をしたわけで、ある意味では殉教者と言えるだろう。

中島らもは、恋愛は世界で一番美しい病気と言っていたが、少なくとも私が若い頃はテレビでトレンディドラマ(恋愛がトレンドにはなり得ない気もするが)やらCMやらで、やたらと恋愛をしなければならないみたいな呪いが撒き散らされていたような気がする。

今日でもそうだが、彼氏/彼女がいないという事はある種の呪いのようなレッテルであり、しかしながら現代のコミュニケーションの変化からか、あるいはフェミニストの流すミサンドリーな空気にげんなりしたのか、恋愛を避ける人も増えてきているような感覚もある。

結局のところ、エゴとエゴのシーソーゲームが重荷になる人はどの時代にもいるだろうし、それは本邦に限った話ではなかろう。愛だ恋だとうつつをぬかせる世相ではなくなってきているのもあるのだろうか。

数年にわたり世界を混沌に叩き込んだウイルスという災厄もまた、新しい人と人の関係性や分断を生んだのだろう。携帯端末やPCの対面通話などが遠距離恋愛の延命を果たしたかに見える状況すら、フィジカルに触れ合う体温の交換という原始的なリアルを超えられはしないのだけれど、、、。素晴らしい皮肉だ。

個人と個人で、私とあなたであるはずの恋愛が周囲の状況や関係性に左右され、それがまあ不倫なり浮気という別なベクトルが絡んだ際に複雑になってしまうのは、人を安易に狂わせる状況であると言えるだろう。

だから、悲しい事件も、奪い合いやののしりあいも時として増える。小説に描かれるテーマなんて、ずいぶん昔から変わっていない。感情のぶつかり合う人と人の化学変化なの一つに恋愛があるからなんだろうな。

中島らもさんがいう、世界で一番うつくしい病気が快癒するのならば、この世界は救われるのかといえば、あるいは一病息災くらいでなんとか回る世界が、無病を願うばかりに大病に苛まれるように、負荷のない不可を与えられて滅びてしまうのではないかと思うから不思議。

なんて理屈を並べても、出会うべく人に出会ったら、正気でなんていられないし、倫理なにそれおいしいのとなってしまうのだろうけれどさ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?