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IS

答えを埋めた穴の上で、それが掘り返されないようにと彼と彼女は座っていた。


共に歩くというよりも、そこから動かないことで関係性を維持する。それが目的であった。いや、手段、続けるための手段。

別の誰かを探すことなんて面倒で、お互いを必要としているなんて綺麗な言葉ではなく、わかりやすくそれは共犯関係であったのだと思う。あまねく恋愛が共犯であるはずなのに、どちらが良いとか、悪いとか、そういったことに終始してしまうのは、その意識が薄いか、あるいは無自覚であるからだと思う。


「ねえ、ボニーとクライドって、最後は蜂の巣にされて死んじゃうんだよね」

「髭の曲だっけか?蜂の巣っ何?」

「そういう古い映画があるの。知らないの?」

「映画あんまり興味ないからなあ。てか、蜂の巣って?」

「あのね、その映画のラストシーンで、ボニーとクラウドって犯罪者のカップルが警察に銃の一斉掃射で穴だらけにされてしんじゃうの。で、その穴だらけになった姿が蜂の巣みたいだから、蜂の巣って言うの」

「へえ。穴だらけが蜂の巣っていうんだ。そういや俺、蜂の巣って見たことないかも」


そう、穴だらけ。完璧に見えた理論も、永遠に続くかと思うような平穏な日々だって、視点を買えれば、あるいは光を当てる角度を買えれば穴だらけなのだ。その穴だらけの理論を、日常をどう見るか、見ていくかを決めるのはいつだって本人たちでしかない。


「ていうか、本当に物知らないよね君」

「ああ、俺はバカだからな」

「少しは反論とか抗弁とかしないの?」

「こう・・・・べん?ってなんだ?」

「あ、ごめん。抗弁ってのは簡単に言うと言い訳っていうか、うん、そうね。言い返すことかな」

「ああ、なんか昔習った気がするわ。ないない。だって、俺自分でもバカだと思うもの」

「私と一緒にいる時点でバカだもんね」

「かねえ?まあ、俺は自分がそうしたくて、あんたがそうしてもいいよって言ってくれているからそうしてるだけだけどな。嬉しいよ」

「そう・・・・。こちらこそ」



差異、例えば収入であれ、年齢であれ、あるいは身体的なそれであれ、違いというものは必ずある。クローン化したとして、完全に同じ存在というものは作れない。環境による性格の生育、嗜好、完全に一致するそれはありえない。コピーして、傍目には完全に同じものだと思っていても、それは同じものではないのだ。

違うこと、違いがあるということ。だからこそ、人は、彼は、彼女はそれを求める。


「今年も、そろそろだね」

「ああ」

「どうする?」

「行くよ。だって約束しただろう」

「もう、確かめることはなくても?」

「そうだな。でも、俺はそうしたいから」


約束を違えても、それを確かめる誰かがいないとして、それを果たそうとする事は愚かしいのか。あるいは逆に美しいのか。きっとそれはどちらでもないのだろう。それは当人にとって当然のことであって、あるいは不自然にそれを貫こうとしそれに苦しんでいるのだとしても、結局は当人の洗濯でしかない。そして、その選択を交差させる場所での摩擦も、それによって生じる熱も、きっと約束を固定する蝋であり牢のようなものなのだ。



「夏目漱石の【こころ】を読むと、なんだか自分たちの話のようでげんなりするの。ずっと昔から私たちは同じようなことばかりしているのね」

「心なんて一生不安だって歌っているバンドがいるくらいだからな」

「私が裏切ったあの子が、あなたにとって本当に必要な人だったってことを、私は今でも認めたくないのかもしれない」

「認めなくていいんじゃねえの。もし、どうかだったら、どうだったなんて、考えても結局今はこうなっているんだ。そのことを無視してどっかにあったかもしれない現在ってやつを想像しても、今はピクリとも動かねえよ」

「私は後悔なんてしていない。でも、あなたは」

「罪悪感なんてもんはさ、それが悪いって思うからだろ。俺はあんたと居ることを悪いなんて思ったことはねえよ」


悪の概念なんて、簡単にひっくり返る。歴史は勝者が作るというが、例えば恋愛に於ける勝者なんて、光の当たる角度を変えて、あるいは色を変えて照射しちまえば、まるっきり反転してしまう。盤面のないオセロのように、それはひっくり返り、またひっくり返され、それを繰り返し、終わりが来る前にそのゲームのプレイヤー自体が消えてしまうものだ。


「私たちは、ここにいなければならないのね」

「別に、あんたがいやなら、いなくなって構わないし、俺が鬱陶しいってんなら、いつでもいなくなるよ」

「そんなことは、言ってない」

「同じさ。いや、違うのかな。でも、結局のところ俺はどこにしてもあんたのことを考える。常に考えているってわけにはいかないが、でもふと気がついた時には思い出す。あいつのことを考えているあんたじゃなく、あんたのことを」

「私は君と居ると、ずっと思い出してしまう」

「うん、だろうな。だから、別にあんたが苦しいってんなら、さっきも言ったようにいなくなっても、いなくなれって言ってくれてもいいんだ」

「でも、きっと同じ・・・なのね。そのことは消えないし、私はあなたと居たい」

「同じなら、その分、分かち合えないまでも、近くにいたい。趣味悪いけどな」

「趣味悪いあなたと居る私も趣味がわるいんだね」

「たぶんな」

「同じなのね」

「同じなんだろうな」


それは多分、同じではない。差異も誤差も、正解も不正解も、全てが存在し、またある意味では全てが存在しない。

「いつかは終わるのかな」

「いつかは終わるよ。でも、できるだけそれが先であることを俺は願うけどね」

「それが悪いことだとしても?」

「悪いことだとしてもだ」


誰かに背負わされる原罪なんて、結局のところ現在の自分の座標軸の確認でしかないのかもしれない。良かれ悪かれ、現在自分がそこにこうしているのが最大の真実。


「そばにいたい」

「言われなくてもいるけどな」

「どこかにいなくならない?」

「見えなくても、どっかにはいるし、そのどっかで近くにいてえなあって思うよ」


距離感。動いているのか、いないのか。地動説を唱えていた学者が殺され、それでも地球は動いているといったとされる言葉のように、それが真実であれそれが塗りつぶされてしまうことはある。まして生命まで奪われることすら。

けれど、動かないことで動いていることを感じることもあるのだ。少なくても、そう考えている人間が居るということは確か。ここに一人。少なくとも。


「地球最後の日に、もし君が生きていなかったら寂しいだろうな」

「あ、俺が先に死ぬ前提なんだ」

「だとしたら、あたしはあの子と一緒にいる君に嫉妬するのかな」

「そうなのか?でもまあ、それはそれで嫉妬してもらえるのなら悪くないのかな。あんたが嫉妬する顔なんて想像できないけど」

「そう?」

「まあ、あんたが先に死んでも俺は死なないだろうけどな」

「そうなんだ」

「ああ、だってあんたが先に死んだら、俺はその分、ずっと生きて、その最後の人やらまで、あんたのことを覚えて生きてたいからな」

「ねえ」

「なんだ?」

「人は死ぬよね」

「ああ」

「いつかは死ぬのよね」

「死ぬよ」

「それは救いなのかな。それとも絶望なのかな?」

「たぶん、それはどっちもあるんだろうな。そいつが好きな方を選べばいい」

「死を選ぶことは希望なのかな」

「死んだことがないから、わからないけど、絶望して死んでも、希望して死んでも、それは変わらないんじゃないかな」

「そう」

「ああ」

「ねえ、君はどっち?」

「生きることが希望だとしても、それが途切れることが絶望だとは思わないんだ俺。それにさっき言ったみたいに、あんたがいなくなっても、俺は最後まで多分覚えているから」

「そう言ってたね」

「いつかは死ぬ」

「うん、そうだね」

「でも、それは今じゃないし、出来ればもう少し、もっと後だといい」

「私もできればそうだといい」

「で、蜂の巣みたいに撃たれるのは厭だ」

「いちごみたいだしね」

「いちごは好きだけど自分がそうなりたいわけじゃないからな」

「そうだね」

「だから」

「だから?」

「いまやりたいことは、いまやったほうがいいよな」

彼は彼女を抱き寄せる。


そして幕は閉じる。

いつか舞台の幕は閉じる。それが人生のそれであれ、恋愛感情の終わりであれ、世界の終焉であれ、永遠なんてものは永遠に存在しないと思う。


この無様な文章もいつかは終わるどころか、すぐにでも終わってしまうだろう。

今やっておいたほうがいいことは、すぐにやったほうがいい。

イマジネーションだって削がれてしまう。

幾つもの終末。

幾つもの始点。

終わりは始まり。自分にとってではなくとも、世界が続く限り、終わったところから何かは始まっていくのだろう。


彼と彼女は動かない。答えを埋めた穴の上で掘り返されないようにと座っている。

いつか、そこから芽が出て、周囲に花を咲き誇らせることもあるのだろう。

いつか静かに。


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