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携帯されない端末の顛末
PHSというものを、わりと長い間使っていた。いわゆるi-mode全盛期が来ても、わりと長い文面をHPにPHSからメールサーバーに送り、それをコピペして更新していた。
世のiPhone来航時代にも、ずっとPHSのままで、最初にiPhoneを手にしたのは6になってからだった。そこから短期間で7plusにして今に至る。変えたいのだが、なかなか良さげな機種機能にならないのでAndroidにするつもりではあるが、いずれも高い。
PHS時代からiPhone6 plusくらいまでは携帯電話なのに非携帯であることが多かった。今では忘れると青褪めるが、当時はああ、持ってこなかったな、はははと実家に平気で帰っていた。変われば変わるものだが、それだけ依存しているのかと思うと多少怖い。
日常の中で、携帯電話があるのは今は当たり前になりつつあり、中3の私の姪が中1の頃にはクラスでスマホを持っていないのは彼女だけだったという。ポケベルですら田舎故におませちゃんな女子の1部(彼氏と連絡を取るため)しか持っていなかった我が思春期とは大違いだ。
その分、SNSなどで出会い厨や、よからぬ大人から子供を守るために親御さんたちの負荷やストレスは半端ないだろうな。インターネットが一般化した頃より、小型で気軽な危険地帯がそこには広がっているのだから。
それを制御しつつ、子供にその危険性や曖昧さの説明をしなければならないし、友人間でのやりとりまで検閲する必要が生じるのだとしたらたいへんな気苦労があるだろうが、つい最近も未成年が殺害された事件があったし、危険性を教える必要は強いだろう。
結局のところ、携帯を不携帯でもストレスを蓄積させず、ただただ連絡手段の1つとしてだけ使えていた過去を知る私と、物心ついたころには世に携帯端末が普及しきっていた姪との間にあるギャップは埋めようがない。
ないからこそ、今の携帯にまつわる話や、SNSなど電子空間と現実の人間の感情やら危険についてこちらも学び、話し合う必要があるのだろうな。
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