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傷跡をのこす

ようやく、King GnuのTHE GREATEST UNKNOWNを聴いた。既発曲が多かったから、ベストアルバムみたいになると厭だなと思っていたが、歪なギターの歪みやVer違いが新曲とひとつになっていて、聴くのに体力と覚悟のいる作品だった。

King Gnuの、ジャッジャッジャと掻き鳴らすギターや別次元から時が歪んだような声へのエフェクトしかり、米津玄師のウエッともクエッともつかない異音含め、綺麗なだけのレディメイドでなく、彼らにしか刻めない棘と刻印が曲に刻まれている。

あれは、おそらくは綺麗なものを消耗品にしてしまわない呪いや、彼らの銘を刻んでいるように思えるのだが、私は音楽理論はわからないし、直観的な文系脳でしか解釈できない。その上で、彼らに共通するものを感じる。

或いは、桑田佳祐の淫猥な歌詞や、奥田民生の60'sへの憧れを振りまぶしたフレーズもそうなのかもしれないなと思う。綺麗でおいしいものに数倍に希釈した毒を、棘を混ぜるようなこと。

ただ魔法のような、けれどインスタントな快楽物質に音楽をしてしまわないそれらの棘と毒を持つ人たちが、後世に残る音楽となっていくのかなと考えた。

一世を風靡する曲と、売上では並べずとも心に刻まれていくものとの違いは案外とそんなものなのだろうか。違和感やギャップを意図的に組み込めば、あざとさになってしまいがちだが、上記した人たちには微塵も感じないんだよな。それこそ、それあなたの感想ですよねという話で、そう私の感想ですと言うお話。

音楽が好きなのは、決められた聴き方だけでなく、妄想の余地があったり、解釈に幅があることで、それは文学も同じだと思う。やたらと正解や解釈を求める人もいるが、型にはめようとしてもはみだして形を変えられるのが好きなのだ。

完成品と思うものに刻まれるヒビや棘、それは作者がつけた銘であり、刻印なのだろう。それがまあ受け取る人の心に印を刻み刺さる。こんな幸福な循環はないだろう。

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