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病みあがり闇上がり

最近書く詩や小説、あるいは散文的な文章に闇が潜みやすいのは、精神的な浮き沈みばかりではなく、内なる魂が世相から吸い上げた澱をアウトプットしようとしているからなのだろうかと考えた。

物理的な存在ではないので、掃除機のゴミ袋の交換のようにカートリッジごと取り替えることは叶わず、車からオイルを抜き取る際の一滴ごと落ちていくような、冬場の凍結した氷柱がゆるゆると溶けていくような地味で気の遠くなるような事柄に似たアウトプット。

基本的に自分から出てくる言葉は、自分の中に取り込んだものでしかないと思っているので、読書なり映画鑑賞、その他のアンテナ感度を高めていなければ、そもそもアウトプットもできなくなりそうだけど、義務的に好きなものを消化するようになったら人生つまらないからなぁ、、、。

悲観的な思考を持つに至った理由は特にないのだけれど、フラットに世界を見たらあまり良い景色には感じていないのだと思う。少なくとも、どこかと比べない過ごしてきた歳月でのこの国に関しては。

基本的に比較しての天国と地獄だとか、マウントの取り合いみたいなものに対しての嫌悪感があるから、自国の素晴らしさアピールする人間も、逆に時刻を悪魔化する人も苦手なんだと思う。

いいことも、わるいことも、きっとそれぞれの国や環境にあるし、ダイレクトに生き死にに関わらないとしても間接的に地獄を見せるようなことがこの国はあるような気がしている。

そこに見える景色や思いを、こういう文章だとか詩にしていきたい。心を病んだとしても、闇に出くわしたとしても、生きている限りはそれができると思っているからさ。

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