毎日わからないことが起きるのは

海の向こうでミサイルが撃ち合われていても、風邪薬を飲みながら柿の種を貪る俺がいるわけで、如何ともし難い不条理を憂いながら、しばらくしたらパスタを茹でている。

日常が日常たるのは、ミサイルが飛んでこないことだとするなら、定期的に近隣国から威嚇射撃のような発射実験を行われる日本の日常は何度か壊れたのだろうか。それにも気がつかないまま、パスタに胡椒をふりかけ続けていたのだろうか。

ネットの中では博識な誰かがミサイル攻撃を正当化し、また誰かがそれを批判している。でも彼や彼たちの元には呪詛はとんでもミサイルは飛ばない。だるいだけの正義をぶつけあうドッジボールが続いているだけだ。

奇跡的に不味いカレーを食べて帰ってきた私は、ネットに送りつけられる誰かの遺体の画像を苦い顔で消す。けれど、彼女は殺され、どうあれもう命は失われてしまっている。嘆けど無視するにせよ、もう命は奪われてしまった。

そして、画面に映らない世界のあちこちで、似たようなことは繰り返し繰り返されていて、抜け毛にげんなりする私が知らない誰かがまあ殴られて、銃で撃たれている。

毎日わからないことが起こるのは、それを知らない誰かがいるからか。それも半分は当たりか。でも、それだけではない。多分、多分。

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