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日々に混ざって香る

「蜂蜜を舐めるのって、なんかこう背徳感あるよね」


彼女はそういって、あざとくも熊のプーさんのプリントされたスプーンで瓶の中の蜂蜜をひとすくいした。黄金色、小判なんて実際には目にしたことはないけれど、おそらくは黄金の色であろうその液体をひとすくいした銀色のスプーン。

じゃあ仮にあのスプーンを泉に落としたら、女神様は何をくれるんだろうか?金のスプーン?色で判定するのか、それとも、物質で判定するのか。あるいは成分?それでいったら、このスプーン全然銀じゃないけど。

「ねえ、聞いてる?」

「聞いてたけど、別の事も考えてた」

僕は正直にそのことを告げる。嘘をついても、わかりやすい嘘になってしまうから。いや、わかりにくい嘘でも彼女の嗅覚、魂の嗅覚というかそれらしきものは、ただでさえわかりやすい僕の嘘なんて簡単に見ぬいてしまうだろうけど。


「あらあら、人がせっかく官能的な方向に話をふってあげているのにねぇ。やっぱり和也君って、そっちの人?」

「そっちって、どっち?ああ、でもまあ蜂蜜の話で官能的ってのもまたわかりやすくていいよねえ。そういう分かりやすさってきらいじゃないよ。壇蜜好きなおっさんみたいで」

「壇蜜って何?なんの仏教用語?」

あ、確かになんとなく宗教用語みたい。お経って蜜ってよく出てくる感じするし。

「ああ、なんかタレントさん。わかりやすくテレビでエロ本見てる気分になれるみたいで人気あるらしいよ」

「エロ本って、きょうびエロ本って、和也君幾つよ」

「今年で26歳になりましたけど、僕より4つ上の冴子さんはいくつでしたっけ?」


年齢で人生経験とか知識量を推察するのって、あんまり興味ないし、すきじゃないから皮肉を言いたくなった。ああ、このへんは年齢不相応のガキっぽさだなと呆れる。我ながら。


「私?そうねえ、じゃあ今日は27歳くらいでいいわ」

「何その微妙な鯖の読み方、しかも逆サバですか」

ふっふっふととても悪い顔で冴子さんは僕に指差す。

「ほら、歳の差が恋愛のスパイスになるなら、その日によってスパイス変えるのもいいじゃない。うどんにも、一味だったり、七味だったり、タバスコかけるでしょ」

「いや、それ基本的に唐辛子ベースだし。だいたい3歳くらいで見た目なんて変わらないでしょ」


チッっとわかりやすく、いやきっとわざとなんだけど、わざとらしい舌打ちの音が部屋に響く。テレビもつけていないし、音楽も流していないから、その音はとても大きく聴こえる。


冴子さんは左手に持ったスプーンを口元に運び、ふるふるとぎりぎりまで持った蜂蜜を舌の上に乗せ、それから蛇が獲物を丸呑みするみたいに、あるいはカメレオンが虫を捕獲後瞬時に食べるようにそれを飲み込んだ。目のつり上がった、わりと爬虫類系の美人顔の冴子さんがそういう行為をすると、本当にそれっぽく見える。

彼女は満足そうな表情を浮かべた後、もう一度下をべーっと出して言った。


「あのねえ、あんまり和也くんが馬鹿な事言うから、一回頭に糖分送り込んで、頭の働きを良くしてから説明してあげようと思って蜂蜜舐めたんだけど、うん、そうね、甘かったわ。あ、蜂蜜とあたしの考えとのダブルミーニングよ」

「ダブルミーニングのネタばらしって、つまんないよ。これからギャグやりますよって、前振りしてからやる一発屋芸人みたいで」

「うるさいわね。それより、3歳の話しよ。いやいや、3歳っていうか、見た目の話。女って、化けるでしょう?」

器物も100年が経過すると付喪神に化けますけどと言ってやろうかと思ったが、話が長くなりそうなのでぐっと飲み込んだ。冴子さんは蜂蜜を飲み干して甘みを得たが、僕はどうでもいい混ぜっ返しを飲み込んだわけだ。なんか損した気分。

「化粧だけじゃないの。その日の気分とか、体調とか、そうそう、そうよ。その時の状況で歳なんて簡単に変わってしまうのよ」


「いや、でも基本的におばあさんはおばあさんだし、冴子さんどちらかというと年齢不詳な顔じゃない」

「だ、か、らよ。歳がわからないから、その日その日でスパイスを変えて、和也くんと居るときに歳の差気にしないでいられるように、あるいはこいつー可愛いな年上のくせにとか思わせるためにスパイスの調合微妙に変えているんじゃない」

「あ、そうなの?っていうか、年上だってこと気にしてたんだ?初対面であんた年下よね?あたし、年下好きだし、たぶんあんた好きだから付き合いなさいよって言ってきたくせに?」


正確に言うなら、初対面だと思っているのは冴子さんだけで、大学のOB会でちらっと顔を見て、綺麗な人がいるなと思ったことがあったことは秘密。言ったら絶対調子に乗るし。


「い、今さらそんなこと言うことないでしょ。しょうがないじゃない、歳の差って詰まらないから」

「歳の差気にしてるほうが僕の中ではつまんないけどね。っていう意味のダブルミーニング?」

「ネタばらしされるの嫌いなんでしょ?それにつまらないことをつまらないって言うのはつまんないわよ」

「意味がわからないよ。でも、冴子さんそういうの気にしないタイプだと思ってたから意外」


爬虫類顔の美人で、サバサバして見える。それはたぶん、得なことだと思う。冴子さんと付き合ってというか同棲してまだ3ヶ月、付き合ってからも半年しかたってないけれど、少なくとも僕が抱いてきた冴子さん(もちろんこれだってダブルミーニングどころかそれ以上に幾重にも意味を重ねているけれど)はそのイメージだったんだけど、違ったんだな。面白い。


「悪いの?悪い?悪いか?悪いかも」

「どれだよ。自問自答口に出してどうするのさ。でも、そのへんも面白くていいよ」

「普通、そういう時って可愛いって言うもんじゃない?」

「だって、別に言わなくても冴子さん可愛いし、あ可愛くはないか」

「ないのかよ!」

「そうだね、どっちかっていうと綺麗だとか格好いいとかそっちかな。でも」

「でも?」

でも、こういう自分の知らなかった彼女の劣等感だとか、隠し事が見えて焦ってごまかしているみたいな彼女は可愛いなと思ったけど、いちいち言葉にするのも面倒だし無粋だから、僕は自分がしたいことをした。

「きゃっ」

一回、かがんでからのフェイントを入れた後のハグ。彼女の細い体に僕の腕をそれこそ爬虫類、できればアナコンダレベルに締め付けて強く抱きしめる。爬虫類顔の女子に爬虫類っぽいことをする。悪くない。


「何するのよ。ごまかす気でしょ」

「するのはハグ、のちこれから多分キス。で、ごまかすよ。だって、ごまかすほうがスパイスになるでしょ。冴子さん、スパイスって辛いものだけじゃないんだよ。香辛料って書くけど、香りも大事。嘘の香りはすぐにばれるとしても、秘めた香りって、ああこれ◯◯のハーブだねってわからなくても、料理美味しくするでしょ」

「何言ってるのか、あんまりわからないわ」

わからなくていいから、感じればいいのにと、亡くなって数十年経っても未だに世界中で愛されている映画スターみたいなことを考えながら僕は彼女と唇を重ねる。


「苦い」

「こっちは甘い。やっぱりもう少し糖度抑えた蜂蜜買ってこないとダメだね」

「なんで和也くんの舌こんなに苦いの?」

「ああ、多分嘘をつくからじゃない。嘘をついたり、言いたいことを我慢すると舌って苦くなるらしいよ」

ええ、まったくの大嘘ですけどね。ああ、それで苦いのか。なんて。

「あ、この味。和也君、私の買ってたアイスクリーム食べたでしょ」

正解。ハーゲンダッツのストロベリー味に、シナモンパウダーを振りかけて食べた。彼女が帰ってくる30分くらいまえに。


「ストロベリーなら、ストロベリーだけ食べればいいのに」

「混ざったのが好きなの。それにそれこそ、生活にはスパイスが必要なんだよ」

「また始まった。その屁理屈わけわからない」

「わかんないから屁理屈なんだし、わからないから、わかりたいんだよ」

僕は彼女をもっとつよく抱き寄せ、部屋の電気を消した。


混ざり合わないものがあって、混ざり合うものがあって、分かるものがあって、分かり合えなくて分かち合えないものがあるから、きっとそれをなんとかしたくて、くっつけたり、離したり、壊したりするんだなと思う。で、そんなかでいい組み合わせとか、危険なものとか見つけていくんだろう。

「なにするの?」

「官能的なこと。スパイスまぜあわせるみたいな」

「馬鹿じゃないの?」

そういって、ふっと笑う彼女の顔は紛れもなく可愛かった。言わなかったけどね。

「馬鹿でいいじゃん。馬鹿になろうよ。それもまたスパイスでしょ?」

「何のスパイスよ。あ、私たちのって意味じゃなくて、種類で例えるとって話」


それはたぶん、年齢も性別も考え方も違う僕達が作る新しいスパイス。名前はまだない。それを愛だとかなんだとか誰にも言わせないし、そもそも見せるつもりもない。ふたりのスパイス。

僕はいじわるい顔を精一杯作って言う。

「秘密。これもまたスパイス。ほら、歳の差なんかスパイスにしなくっても、こんなにスパイスたくさんあるじゃん。だからさ」

「もう」

冴子さんの髪を何度も撫でながら僕は、彼女も笑った。電気の消えた部屋で、蜂蜜とシナモンの香りが混ざっていた。



ここからは、本当に秘密。それもまた、誰かにとって、僕らにとってのスパイス。

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