コロナ禍でも幸せを感じていたわたしの価値観

コロナ禍で、息子と過ごす時間が増えて
幸せを感じることが多かった2020年。
でも、この年は多くの人々にとって、
我慢や悲しみに満ちた年として記憶されるだろう。

わたしは世間と軸がずれていて
そしてもとの世間には二度と戻れないような、
そんな気分になっていた。

もしくは、もともと少しずれていたわたしの軸に
世間の方が少し寄ってきた。
けれど、また元通りになるのならば
それはわたしとは相容れない。
せっかく寄ってきてくれたんだから、そのままでいてくれたらいいのに。

なんて、自分が世界の中心にいるかのように
そしてまるで、わたしの方が時代を先取りしていたかのように。

でも、そんなに賢いわけはなく
わたしはわたしなりに時代に影響されて
今の価値観や考えを形作っている。

だから、幸せを感じつつも
しっかりと悲しみや我慢は体に蓄積されていっている。
諦めや、励ましの言葉が尻ぬぐいをしてくれていたから、気づきにくかったけど。
確かに、じわじわと、寂しさは侵食しているし
未来や希望を描いたときに、コロナ禍では成しえない。

影響が少ないところにいて
さほど日常が変わらなかったから、
能天気だっただけ。
これから一生このままでも困らないよ、なんてことは
ありえない。自分の周りしか見えてなかっただけなんだ。
その程度の想像力だったし、キャパシティだった。

アフターコロナがどうなるかなんて
その程度のわたしには分からないけれど
新しい人や土地に出会う喜びだけは
忘れないで、いつかまたそんな日常に
もっと幸せを感じたいと思った。

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