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自分を大切にするというのは本当にむずかしい―心療内科に通院して1ヶ月

わたしの身体に起きたバグ

火曜日・水曜日・木曜日で体調を崩していた。もう本当に冗談じゃないってくらい、じっと寝ているのもつらいってくらい身体が不具合を起こしていた。もうよくわからないバグって表現が結構近いなと思う。

何が起こっていたかというと、吐き気・胸の痛み・動悸・腹痛・お腹を下す・身体の痛みなどなど…体験したことない症状がオンパレードで押し寄せてきていた。

思い当たる原因というのはあって、今週から服薬の量を増やしたことである。こっそりと公開しているけど、わたしは、躁うつ病、もしくは双極性障害とかそういう病名で1ヶ月前くらいから療養している。

通院して1ヶ月経ってなにも変わっていないことに気づく

初めて受診した日からちょうど1ヶ月くらいたって、その結果として、あまりよくならなかった。よくならなかったどころか、もしかしたら症状としては悪化しているのかもしれない。

「薬は効いている感じはありますか?」と聞かれてよく考えてみて、冷静に考えてみると、自らを客観視したりすることでときどき自省できるようにはなったけど、服薬そのものはもしかしたら今は効いていないのかもしれませんね、ということになり、すこしだけ薬の量を増やしてもらった。

MAXで6のところを3みたいな感じで、決して多い量ではないのだけれども、薬の量を増やすときは、錠剤の大きさが大きくなるのではなくて、小さい錠剤がひとつ追加されるので、いまは精神安定剤を4錠と、粉末状の漢方を1袋、睡眠導入剤を1錠、晩に飲んでいるので、まぁまぁ多くて病的な感じがするなぁ…と思った。

で、こういう薬を増やしたり、新しいものを飲んだりすると副作用が出やすいらしくそれに当たったんじゃないかなぁというのがわたしの仮説。

あとは、実は日々睡眠時間が少なくなっているとか、ご飯が粗末になって少なくなっているとか、単純に疲れているとか、そういう精神的な疲労とか、身体的な疲労とかが重なって、身体的な拒否反応が強くでたのでしょう。

毎週末に通院しているので、このような旨を医師に相談する予定でいるけれど、きっと「そうでしょうね」と言って、別の薬に変えるのだろうなと思った。

あなたが、実は何年も前から自覚症状をお持ちだったように、これは時間のかかる病だし、今日や明日ですべてキレイに解決するものではないから、もし今、10個困っていることがあるんだったら、1つずつ、一緒に減らしていける努力を、一緒なパートナーになってやっていければ、いいなと思っています

先週の通院では医師からこのような言葉を書けられて、わたしは、また静かにポロンと一筋の涙を流した。

ああ、これはいよいよ長くかかる大変な問題なんだなと、受け止めざるをえなくなって、それ以外にも、先週末ごろからボタンとボタンの掛け違い、コップとコップが思った以上の音をたててぶつかるようなコミュニケーションのすれ違いみたいなのが続いていて、心のささくれが多くなっていたので、「躁」と呼ばれる状態から、一気に「うつ」に転向した(結構びっくりされるかもしれないのですが、みなさんに姿をお見せするようになったこの2ヶ月くらいってTHE 躁状態って感じでした)。

決して実行にうつすようなことはないのだけれども、自分を責めるような感情から、常に背中には「〇〇〇〇」という四文字がべったりと貼り付いて離れなかった。

火曜日はなんとか勤務したものの、水曜日・木曜日だけは、もうどうしようもなく、仕事を休んで、とにかく眠るしかなかった。正確には、不快感や吐き気や腹痛から満足に眠ることもできないので、布団の上でぼんやりしながら、スマートフォンを触って、SNSを眺めてたり、stand.fmで人の声を聴いたり、友だちにメッセージを送ったりして、すこし疲れると、うつぶせになり、目をつむり、身体が上げる悲鳴に耳を傾けた。

経験したことがないような悲鳴を上げる身体は、まるで泣きじゃくる子どものようだったり、あるいは激怒する恋人のようだし、あるいは、突き放す親のようで、ああ、ごめんなさい、ごめんなさいと思いながら、いつのまにか、しかし確かな痛みを感じながら、眠りについた。

自分を大切にするというのは、本当にむずかしい

脱いだ服をハンガーにかける、寝る前に布団をなおす、ゴミはゴミ箱に入れる、食べたあとにテーブルを片付ける、使ったものをもとの場所に戻す…そういうひとつひとつの行いが、きっと自分を大切にするということに繋がると思うのだけど、27年生きてきて、未だにわりとひとつも上手にできない。

気づけば自分の身の回りは、1ヶ月前のあの頃のようにめちゃくちゃになっていた。

わたしが今、少しずつ読んでいる『愛すること、生きること』という本にはこのように書かれている。

ほとんどの子どもは人生のかなり早い時期、早ければ五歳の子どもが仲間とゲームをするとき、自分があとで楽しめるように相手に順番をゆずることがある。六歳にもなれば、子どもはまずケーキのスポンジの部分から食べて、クリームをあとまわしにする。グラマー・スクールでは、この、楽しみをあとまわしにする能力が、とくに宿題をやることで日々訓練される。一二歳ですでに、両親にせかされなくとも、テレビを見る前に宿題を自主的にすませる子どもがいる。一五、六歳にもなれば、そのような能力は当然のものともみなされる。
しかし、一五、六歳になってもこの基準に達しない子どもがかなりいることも、明らかになっている。

P.18-19,『愛すること、生きること 全訳「愛と心理療法」』M・スコット・ペック著,氏原寛+矢野隆子訳,創元社

わたしもまさにこれで、やるべきことをあとまわしにしてしまう。これというのは、自己愛や自分を尊いと思う感情の欠如であり、その原因は幼少期のしつけや親からの愛情の問題に起因するというのがこの本の続きです。詳しくは読んでみてください。

ちなみにこの本は『20センチュリーウーマン』という映画の中で、ジュリーという女の子が、バイブルにしていた本でした。わたしにとってもそういう本になりそうだなぁと思いながら、すこしずつ、読んでいます。

ともかく、自分を大切にするというのは、自分を愛おしく思ったり、尊いと思う感情がうまく育っていないと、できないことだなぁと、思ったりしながら、少しずつ育てていきたいなと思いました。

当面のところは、広げた人間関係やコミュニティやコミュニケーションの窓口もひたすらクローズさせたり距離を置いたりして、処理する情報量も減らして、自分のために時間を使おうかな、という所存です。

こういうことを公言すると、遠慮して声をかけられなくなりそうなんだけど、声はかけてほしいなぁと思います。元気だったらなるべく行きたい。




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