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【一票じゃ変わらない】けど、もっとGiveしていたら次の首相は菅さんではなかったかもしれない話

菅氏が官房長官になり、令和おじさんになり、を見ていると複雑な思いが胸を去来する。
そしてとうとう、総理に手がかかろうとしている。

選挙の日に一票を投じた程度じゃ政治は変わりゃしない。
だけど、あなたが選挙応援をきちんとしに行ったら、もしくはもっとGiver(贈与できる人)を心がけていれば、未来が変わるかもしれないよ、という話。

そして、2009年夏の、自分の懺悔の話。


総理確率67%の2ショット!?

自分はめったに政治家とは2ショットで写真を撮らない。
でも今までの一生で、3人だけ2ショットを撮った相手がいる。

1人目が、鳩山由紀夫氏 2009年8月
2人目が、野田佳彦氏 2011年8月
3人目が、Kくん(何度か)

日付で分かる人は鋭いが鳩山氏も野田氏も、まだ総理大臣ではない時。
しかも2人とも自分が2ショットを撮ってわずか1ヶ月後経たないうちに、総理大臣になった。
自分でも驚いた。

さて、Kくんとは?
Kくん家とは父の代から家族ぐるみのつきあい。2県隣に住んでるのに一緒に旅行に行くくらいの。
で、Kくんは同い年。そして大学も一緒になった。
そんなKくんは、経産省に入省後、思うところあり2008年に民主党から出馬(鳩山氏と撮ったのはその時)。


Kくんの選挙と菅氏

そんなKくん、選挙区に住むことになって、お互いの最寄り駅が隣同士に。人生で一番住んでいる場所が近くなった。2児が風邪をひきまくった冬は難しかったが、春になるにつれて週末には時々Kくんの選挙活動にいくようになった。「もうすぐ選挙らしい」という噂がずっと続いていた。ただ、その途中で今度はうちが夫婦2人とも厚木に転勤になり、徐々に厚木に引っ越すことになることが見えており、こちらも気が気ではなかった。

そんな、Kくんの初選挙での対立候補が菅氏だった。
そして・・・その選挙の告示日が、なんと我が家が厚木に引っ越した翌日だった。
せっかく自転車で行けるほど近い選挙事務所だったのに、電車を乗り継いで片道1時間半かかる場所になってしまった。

有休をとってもっと手伝いに行こうと考えていたが、こちらも引っ越しもあり、行けたのは平日3日、それと、義実家との旅行をドタキャンさせていただいての週末。正直不完全燃焼だった。


誕生日、500票の明暗

迎えた投票日は誕生日前日。自分の誕生日は、選挙区事務所で迎えた。
民主党が大勝利を遂げ、神奈川県を民主党が席巻する中、Kくんともう1名だけが選挙区で敗戦した。
その差、わずか500票だった。そりゃあ日が変わるまで当確が出ないわけだ。
#ちなみにもう1名負けた相手は小泉進次郎氏の選挙区

しかし500票でも負けは負け。選挙区を勝った候補と、比例復活した候補では、その後の発言力が全く違ったという。
ということは、だ。もし、逆にあの時Kくんが勝っていたら、菅氏の党内での力は、今ほどではなく、おそらく官房長官にもなっていなかったであろう。当然、令和おじさんにも、今回の総裁候補にも。

もっとGiveしてればよかった

しかし正直、500票だったら、あと3日余分に行けたら、もしくは、(なり手のいない)電話担当ではなく、もっと朗々と声を響かせるポジションにもう少し手を挙げていれば。ひっくり返せていた数だと思う。というのも、筆者は、顏はあまり褒められないが、なぜか声は褒められることが多い。初対面の人にもいきなり。

いや、むしろ公示日よりも前に、もっともっと応援に行っておけばよかったのだ。もしくは、それまでに、「あなたが応援するならその人に入れるわ」と言われるほどのGiver(贈与者)になっていれば良かったのだ。

というわけで、菅さんだけは他の政治家よりも見ていてとても複雑な思いが去来する。
自分の”不行為”で当選させた面もある方なので、できればよい政治をしてほしいものだと思う。


1票はひっくり返らないが、Giverになれば変わる

でも、本当に言いたいのは、菅氏のことではない。
繰り返すが、1票じゃひっくり返らないけど、選挙応援に行けば、大きくひっくり返る可能性がある。
そして選挙応援よりも何かもっと普段から「Giveする仕事」をし続けていたら、もっと大きくひっくり返せる数は増える。たとえTVに出るような有名人じゃなくても、500票くらいが動く身になら、普段からGiverになることを心がけていればなれるんじゃないだろうか。

議会制民主主義の賞味期限については思うこともある。だが、すぐ近くの国に比べたら、まだ民主主義がさせてもらえることがすくなくない国に居る。私の上記失敗談から、感じるものがあれば幸いである。

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