見出し画像

三次(みよし)暮らしの良さ①

高校卒業後、地元京都を離れて大学入学と新卒で移住し、就職先で出会った旦那さんとの結婚を機に三次へ移住しました。
自分で選んだ移住先では無いものの、地域の方と関わることで得られたものがたくさんありました。
それぞれ暮らしたからこそ思える、三次の良さをまとめてみます。

以前投稿した分は長すぎて自分でも読みにくいため投稿し直します!
「私が感じる三次(みよし)暮らしの良さ」二部作の前半、
これまでの居住地と経験から感じたことまとめです。

都会度と人の関係性

①京都市

京都の住宅街、マンションで生まれ育った私はご近所さんでも
親も含めた人間関係の親密度によって距離感が変わる関係性が当たり前で、
それに対してあまり違和感も覚えず大きくなりました。
移動手段は車が無くてもバスや電車で市内はどこでも行けて、小学生から塾通いの友達はさも当然に乗りこなしていました。

②帯広市

大学進学で北海道に渡り住んだ帯広は車社会の手ごろな田舎感。
免許は取得済みで進学したものの最初は自転車のみ。移動には時間がかかるし生活に必要なものを揃えるには先輩に車を出してもらったりともどかしくなりました。
バイトのためにと車を買ってもらってからは少し走れば田園風景、農業の現場仕事も身近なところから片道1時間などピンキリの選び放題。
車さえあればどこでも行けて欲しいものは手に入り何不自由無い生活。
雪や凍結の心配は多々あったけれどそれも醍醐味として捉えられるほど、
私にとってはとても住みやすい土地でどのご飯屋さんもおいしく、
十勝の田園風景だけでなくお家も個々が個性的で絵になるのが素敵でした。

都会の違和感と田舎への憧れ

京都へ故郷としての思い入れはあるものの戻るという選択肢は早々に無くなりました。
むしろ帰省の度に電車から見える都会の夜の灯り一つ一つにそれぞれの暮らしがあると考えるとその膨大な数と、乗換や移動ですれ違う人の多さにめまいを覚えるようになりました。
駅や電車で同じ時間、同じ空間にこれだけたくさんの人が居るにも関わらず、周りは”他人”ばかり。目を合わせたり話すこともほとんどないのに、皆が耳をふさいでスマホばかり見ている光景は異常。
この違和感は都会に住めばずっと付きまとうような気がして漠然と田舎への憧れが増していきました。

③福山市

新卒での就職先は広島県福山市。職場は山の上で社員寮は周りに田んぼもある田舎感。住むところとしてはちょうど良い感じでした。
こちらも車社会で北海道から共に渡った愛車と街中に繰り出せば2号線は桁違いの交通量。毎日通勤ラッシュで渋滞するというから大変な話です。
福山の駅前は若干さびれつつあり、これだけ人が居るのにどうしてそうなるのか。時代の流れと片付けるには乱暴な気がしています。
そんな田舎から都会まで揃った福山での暮らしにはあまり未練もなく早々に見切りを付けました。

④三次市

職場の先輩として出会った旦那さんが家を継ぐので帰るんだ、と。
初めて三次に来たのが5年前の夏でした。
山道をくねくねと走り開けたところは、山に囲まれ青空の下で段になった水田と
道に沿って走る川のある中山間、田舎を代表できるような風景。
ご実家は川から坂を少し上ったところで、南に開けて集落が見渡せる。
こんなところで子育てをしながら家族とマイペースに好きな仕事ができるなら本望だ、と。
三次市街や病院までも遠すぎずの距離で田舎暮らしの不便さに抵抗は無く、同居も含めて腹をくくり移住を決意しました。

嫁として集落に馴染む

家業のお手伝いは一人作業が多く、外に出たり近所の方でも関わる機会が少ない日々。
周りの方は私のことを嫁として知ってはいても私は知らない方々。
ある日、集落の加工所に誘われて最初は知らないことばかりで地域の奥様方に教えてもらいながら作業し、合間のお茶で自分のことをお話しして。
新しいことや周りの方、地域のことなど発見や驚きもありつつ、
交流によって若者として意見を言えるようになったり作業内容も変わっていくことで自分が地域に馴染んでいく実感がありました。
次第に嫁としてではなく私自身として頼ってもらえるようになると、ちゃんと個人として地域に根付いたようで「ここで生きている」と思えるようになりました。

三良ファーム
橋本 葵

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?