チェルノブイリ日記 61 ~ 楽しいプリピャチ遊園地
プリピャチには遊園地があった
前回のあらすじ。
スーパーマーケットを出てあの観覧車へ向かっています。
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あの観覧車が見えて来ました。
インターネットでチェルノブイリについて調べたことがおありの方なら漏れなくご存知であろうあの観覧車です。
インターネットで散々見ましたから新鮮さはないのですが、どうしたって興奮してしまいます。実物をこの目で見たくて日本からここまでやって来たわけですからね。
ふと足元に目を向けますと……く、靴や。どよーん。
先程までいましたスーパーマーケットならまだしも、どうしてここに靴? しかもスーツを着た人が履くような靴に見えますね。
わりと綺麗なのもまた謎です。ここ何日かのうちに置いて行かれた靴のような……誰が? どうして?
ゴーカート
それはそうと観覧車ばかりが目立っていますがここは遊園地なのです。観覧車以外のアトラクションもございます。
ゴーカート場……ですよねぇ?
書いていてちょっと不安になりますが確かにゴーカート場です。森の中っぽ過ぎて違和感しかございませんけども。
ゴーカートから触覚のようなものが生えていますけどこれは何なのでしょうね……。
この遊園地は1986年5月1日の開業が予定されていました。しかし残念ながらその5日前にチェルノブイリ原発事故が起こり、プリピャチの人々は街から避難することになってしまいました。遊園地が開業することはなかったのです。
しかし……
このあたりって屋根があるべき部分と思うのですが、骨組みしかありませんね。開業5日前で未完成ということはちょっと考えられませんよね……ん?
骨組みに引っ掛かっている布のような何かが屋根だったのかな? あれから四半世紀以上ですものね、雨風に晒されてボロボロにもなりますよね……。
ハンドルが転がっていました。わざわざ外したのね……。
そしてわざわざ立てたのね。誰がどうして。
謎の労力の痕跡があちこちに。チェルノブイリ名物と言っても過言ではありません。
向こうに小屋が見えました。恐らくは遊園地の係員が待機する小屋だったのでしょうけど……まさか開業することもなく森に埋もれることになるとは、想像もしなかったでしょうね。
プリピャチの子供たちは避難した街でゴーカートに乗ることが出来たのでしょうか……。
ブランコ
続きまして……Wikipediaによりますと「ボート型ブランコ」「ロシア式ブランコ」「ロシアンスイング(Русские качели)」などと呼ばれています、まぁとにかくブランコです。
と言いましても今のこの有り様ではブランコに見えないかも知れませんが……そこは想像力で補って下さいまし。
なんということでしょう、座るところはボート型です。我々の子供の頃のブランコなんてただの板切れでしたよね。
人が向かい合って乗ることも想定されていたのでしょうけど……絶対にこれ前のめりになって頭をぶつけますよね。ほら、子供ってアホみたいに勢いを付けて遊ぶじゃないですか。
ボートと共に転がっているのは落下防止用の柵なんですかねぇ。いやそんな安全配慮という概念があったとは思えませんけども。だってこれまで見て来たハシゴを思い出してごらんなさい……まぁ大人と子供とでは扱いが違うのかも知れません。
先のゴーカートと違って動力が必要な遊具ではないでしょうから、こちらはもしかしますと5月1日の開業を待たずに遊んだ子供もいるのかもですね。
綺麗に並べられていたであろう足場の板はかろうじて数本が残るのみです。この日記は2013年の話ですので、今はもう何も残っていないかもね。
骨組みの上部は花を模しているのでしょうか。すっかり錆色に染まっています。そして本物の植物に呑まれようともしています。
この小さな傘はなんでしょう……。茎の部分には箱が備え付けられています。うーん……?
Googleマップのストリートビューを見ますとこの後どこかのスカタンが屋根の部分に落書きをしたようです。酷いものです。落書きして楽しかったですか? 満足しましたか?
チェルノブイリ名物、中途半端な破壊……。
ストリートビューをもうちょっと見ますとどうもこのブランコは1基しかないようです。
プリピャチ市の人口は5万人近くいたという話ですから小さな子供も何百人か何千人かいたのだろうと思いますが……足りませんよね、ブランコ。
次回予告
観覧車はもうすぐよ。
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