大分県別府市「楠銀天街」撤去が決定したアーケードを見納める
大分県別府市、JR九州日豊本線別府駅の南東に「楠銀天街」というアーケード商店街がございます。
アーケードが老朽化のため2024年に撤去される……ということでちょっと見に行くことにしました。
2023年12月13日、大阪を出発して4時間弱……別府駅に降り立ちました。
サンタコスの油屋熊八さんを横目に東へ数分歩き……
「ソルパセオ銀座」こと銀座商店街に入りまして南へ歩くこと数分……
楠銀天街が見えて来ました。
楠銀天街に入ってみる
楠銀天街は南北に伸びるアーケードのある商店街です。ここは北端です。パッと見はよくあるアーケード商店街という趣きですね。
余白の美……「楠銀天街」のフォントはなんとなく懐かしい雰囲気がしますね。
右手には「慢性便秘・不眠症・頭痛・肩こり ヘルストロン ハクジュプラザ 別府流川店」……ヘルストロンとは何ぞ?
検索してみましたら公式サイトがありまして
とのことでした。詳しくはお調べ下さい。
ちなみにお店は
お休みされていました。この「再開は11月末~12月ごろ」は今年のことですよね……?
左手にはコンビニエンスストア……なんですが
アーケードを支える柱の錆色っぷり! あぁ、こういうことか……。
さて、商店街に入りましょう。
のっけから足元がなかなか哀しいことになっていました。
もちろん「KUSUNOKI」と書かれていたわけですが、Googleマップのストリートビューを確認しますと2022年12月の時点はこのような状態になっていませんでした。この1年の間に何があったのでしょうね……。
ちなみに店名看板を見ますとヘルストロンの場所はかつて「おかし市場 大阪屋 百菓店 別府店」だったようです。
「楠銀天街 1」とも書かれていますね。1丁目なのか1番街なのか分かりませんが、いくつまで続いているのでしょうね。
ヘルストロンの隣は「海鮮いづつ」です。人気店のようで、平日の13時半頃でしたが何人か店の前で待たれていました。
お向かいの店名看板をチェックしておきましょう。「Coffee ワカキヤ」。
少し進みますと左手は駐車場になっています。お店の建物が解体されて駐車場やマンションになっている姿は古い商店街ではよくあることです。寂しいことではありますが、建物が空き家として放置されず生まれ変われるだけまだマシなのですよね。
右手は……
すはろい……すいろは……いろはす? 水?
調べてみますと「いろはすし」と読むそうです。
お店の名前の前にエアコンの室外機を置く豪快さにちょっと驚きますが、ネットの評判を見ますと美味しいお寿司屋さんのようです。
ところでちょっと分かりにくいのですが、アーケードの天井から枠がぶら下がっています。
Googleの画像検索で調べましたところ10年ほど前は小さな提灯が16個飾られていたようなのですが、2019年頃までに撤去されたようです。
よそ様のサイトから「画像をお借りしました(無断で)」なんてことは出来ませんので、せこせことイメージ図を描いてみました。
分かります……?
やっぱり画像検索して下さい。便利な世の中だよね!
まぁそれはそうと先の駐車場側の店名看板をチェックしておきましょう。
「グラス・陶器 共栄商会」……この
ロゴマークは何なのでしょうね。別府市の市章とか別府商工会議所のロゴマークとかかなぁと思いましたがどうも違うようです。単純にGoogleの画像検索をしましても同じロゴマークはヒットしません。
「一般文具 スチール製品 事務機 林洋行」……人の名前のようですが、「洋行」とは中国語で外国人の店という意味があるようです。明治の頃から貿易会社など外国と商売をする店に「洋行」と付けるようになったのですね。
「子供服専門 アンデルセン」よく見ましたら上から貼ったような雰囲気ですね。前のお店は何だったのでしょう。
よく見ると崩壊が始まっている
少し進みますと右手に……
「わくわく広場」ですが、空き店舗になっているようですね。Googleマップのストリートビューを見ますと2019年11月の時点では「別府八湯温泉案内所」だったようです。
もう少し調べますと、北側のソルパセオ銀座という商店街にありました「三世代交流サロン」が2009年10月にこちらへ移転され「わくわく広場」となったようです。
しかしなんというか店の前の柱……数や間隔のランダム感、斜めっぷりは業者に頼ることなく自主的に設けたということなのでしょうね。
天井と言うのか庇と言うのか他に呼び方があるのかよく分からないのですが、上部をよく見ますとなかなかえげつないことに……。
そして足元には落ちた物がそのまま放置されているという。まぁ片付けるのも誰がやんねん、ゴミ袋に入れるとしてもそのゴミ袋は誰が用意すんねんという話になりますしねぇ……。
そしてこの柱の足元を見ますとやはり後付けのようですね。
南側から見てみますと柱の数がまたまたえらいことになっていました。この柱も安く買える物ではなさそうですが……というか、ここまでなりふり構わず柱を設けなきゃ倒壊するという段階にあるのでしょうね。
しかも驚くことにGoogleマップのストリートビューを見ますと2013年3月の時点ではこの柱が既に設置されていました。今これだけの崩壊で済んでいるのは柱のおかげということか……。
残されたインターホンが寂しい……。
ところで先程から気になっていたのですが
アーケードの天井が大きく開いています。
先の写真のここも開いていましたでしょ。
え、なんかメンテナンスでもやってます? 今はお昼休みですか? という雰囲気ですがこれがアーケードの老朽化ということなのでしょうね。
アーケードはいつ完成したのか
崩壊が始まっているこのアーケードはいつ完成したのでしょう?
「ふるさと別府」という別府市制90周年を記念した写真集によりますと、1948年(昭和23年)にスズラン灯が設置され……スズラン灯というのは
こんな感じの、電球がいくつか連なった照明です。
その後、1953年(昭和28年)にアーケードを設置し名称を「楠銀天街」としたそうです。今が2023年ですから70年前!
しかしもちろん完成してから70年そのまんまとは考えにくいですよね。もうちょっと調べますと別府市議会の定例会会議録に辿り着きました。
この会議録を読む限りでは、1953年に完成してから作り直すということはされていないようです。「最後の大改修」でさえ昭和60年つまり1985年です。38年前……。この崩壊っぷりも仕方ないかと思えますね。
アーケードは誰が管理しているのか
ところで先の
このマークなんですが、商店会のマークなのかなとも思ったのです。
商店街商店街となんとなく口にはしますが、実際はただなんとなく呼ばれているわけではなく「〇〇商店会」「〇〇商店街振興組合」「〇〇商店街協同組合」といった団体が存在しまして、また「商店街振興組合法」という法律もありまして……私も説明が出来るほど詳しくはありませんのであまり言えませんが、まぁとにかく何らかの団体が商店街のアーケードや街灯などを管理しているのです。
ではアーケードを管理されているのは誰なのでしょう? 別府市議会の定例会会議録によりますと
管理されているのは「別府楠銀天街協同組合」でしたが、平成20年つまり2008年に解散されてしまったということです。
現在は任意団体の「くすぎん通り会」が管理されているということですが、任意団体とは何ぞ?
調べてみますと法人格のない団体を任意団体と呼ぶそうです。法人格であったはずの協同組合は何故に解散されたのか……お店の数が減り法人格の要件を満たせなくなったなど何らかの理由があるものと推測しますが、詳しくは分かりません。
では任意団体になるとどうなるのでしょう? 法人としての財産を持てなくなります。法人であれば「別府楠銀天街協同組合」名義の銀行口座を開けますが、任意団体の「くすぎん通り会」名義の銀行口座は開けないということです。
例えばアーケードを改修するとしてもその費用は個人の財産を持ち寄ってということになります。アーケードの所有者もあくまで個人……ということになっているものと思います。
法律などそのあたりのことはまるで詳しくありませんので、ちょっと検索して調べたうえでの推測ですがね。
ところで先の役所から900万円を借りてアーケードを改修したという話には続きがありまして
懐事情はかなり苦しかったようです。そもそも個人ならまだしも何十店舗か集まっていながら900万円を借りなければならず、返済に32年間もかかるというね。全盛期であれば何の苦もなく支払えたのでしょうけども……。
別府市議会の定例会会議録をもうちょっと読みますと
「その当時」とは昭和30年代のことです。良い時代だったのですね……。
商店街にしては珍しいお店も……
楠銀天街の歴史のお話はまた後でするとしまして、散策に戻りましょう。
これは……えらいことになっていますね。気にはなりますが気にしたところでということもありますので、店名看板をチェックしながら歩きます。
「輸入・国産厨房用品 堺刃物・度量衡 ナンカイ」。堺刃物とは刃物の産地で有名な大阪府堺市のことですね。度量衡……「どりょうこう」とは計量に用いる器具のことのようです。
「鞄 ハンドバッグ ヒツジヤ」。「鞄」や「グ」の文字がたまりませんね。
このマークは何でしょうね? 検索しましても分かりませんでした。
「洋品・雑貨 あいうえお」。この文字、配色、たまりませんね。
「楠銀天街 KUSUNOKI GINTENGAI ST.」と書かれた看板も……しかし
補強のガムテープや……切ない。
寂しい気持ちになりつつ歩きますとお店の看板が目に留まりました。
……
そ、ソープや……。いわゆる18禁のエッチなお店ですね。近隣に歓楽街はありますけども、アーケードの下にこういうお店の看板が出ているとはなかなか珍しいように思います。
通りに向けて女性の写真が掲示されていたりして……全盛期では考えられなかったことなのでしょうけども。いや今でもちょっと驚きますけども。
ポケットパークを抜けて
ソープの斜向かいは公園でした。
ここは2011年に整備されたポケットパークと呼ばれる場所で、その前は「別府楠会館」という建物がありました。「楠温泉」という公衆浴場も入居されていましたが、建物の老朽化のため2005年に解体されてしまいました。
公衆トイレもあるのんびりした公園でした。
アーケードを横から見てみます。2011年に整備されただけありましてまだまだ綺麗な状態ですね。
平日の昼間でしかも12月だからか公園に人の姿はありませんでしたが……。
猫がうろうろしていました。
進みます。しかし……この天井が自然に落ちたのであれば、結構な出来事ですよね。
ところで
この部分は何でしょうね?
カメラを寄せてみますと……
電球……ですかねぇ?
アーケードに灯りは必要と思いますが、ちょっと数が少ないですし頼りなさそうな気もします。いや、お店が明るいからアーケードに灯りは必要がなかったのかなぁ。
ちなみになんですが
もう1つありまして
これも電球ですよねぇ? 何故に2種類? どちらもちょっと頼りなさそうではありますね……。
YouTubeを検索しますと夜の楠銀天街を撮影された動画がいくつか公開されているのですが、真っ暗でした。
電気代を誰が負担するのかということもありますが、電球が切れたとき交換する電球そのものは安いとしても、誰がこんな高いところで作業するの? それって人件費はどれだけ必要なの? という話にもなりますからね。
さらにちなみになんですが
ここに穴が開いていますね。
この穴は
店名看板を吊るす穴です。この穴の数だけお店があったということね。
アーケード商店街を歩いていますとどうしても上を見てしまいますね。
柱には……
「銀天街右5」、手書きや……たまりませんねぇ。
このマークは「日本電信電話公社」、NTTの前身ですね。民営化に伴い1985年(昭和60年)4月1日に解散されました。
先の話でアーケードの最後の大改修が昭和60年ということでしたから、解散する直前に貼られたのでしょうかね。
「銀天街右6」もありました。
建物の崩壊が始まる
よく見ますと色々と気になるところが多い写真なのですが……私はまずハシゴが目に留まりました。アーケードにハシゴは付き物ですけども、なんというか、体重制限が必要な雰囲気ですよね……。
気になるところを順番に見て行きましょうね。アーケードを横から……
えーと、えーと、えーと……
この部分はパネルが剥がれ落ちたということですかね……。なかなかえげつないね……。
残ったパネルが落ちて来ませんようにと思いつつアーケードの下に戻ります。店名看板をチェックしましょうね。
スワ……ソにしか見えませんが、「スワンクリーニング」でしょうね。「楠銀天街2」になりましたね。
そして気になっていました
ここ!
……なんというか、色々とすごいなぁ。この状況でも自動販売機が2台稼働しているというのもね。
窓が枠ごと外れています。何がどうなったらこうなるのでしょう……。
左上に「ブラインドカーボ」というものが見えますが、検索してみましたところ窓に貼る目隠し効果もある断熱材のようです。「ブラインドカーボ」と書かれているのは保護シートで、実際に使用するときは剥がすはずなのですが……。
植物が生えているのもなんというか……うーん。
もう1つの窓も枠ごと外れています。これは経年劣化で自然にこうなるものなの? 地震や台風の被害かな?
建物を横から見ましたらそれほど崩壊しているようには思えないのですけどね。
ところであまりの衝撃に現地では見落としていたのですが電柱に
何か貼られていますね。うわー、何でしょう。「安全第一」「銀座二三」「九電」……と書かれているのでしょうか。うわー、気になるなぁ。近隣にお住まいの方からの情報を期待します。
さて、このお店は何だったのでしょう?
「高級紳士服 ギンヨー」でした。
「まちもん」というサイトに2016年の写真が掲載されているのですが、シャッターが上げられショーケースのガラスも割られ、なかなかに酷い状態だったようです。
向かいは「玉野鮮魚店」だったとのこと。Googleマップに営業されているときの写真が投稿されていました。
お店は移転され、建物は2018年8月に解体されたようです。
通りの左右で対照的な建物……。
この記事の最初の方で「建物が空き家として放置されず生まれ変われるだけまだマシ」と書きましたが、まさにこういうことなのですよ。お店は閉店されたとしても、所有者なり跡を継ぐ人なりがいらっしゃるうえに建物を解体するお金があるというのは偉大なことなのですよ……。
さて、進みましょう。
「菊池呉服店」……何やらまた気になるマークですね。
よく見ましたら
先程の「ギンヨー」にも同じマークが描かれていましたね。Googleの画像検索では何もヒットしません。百……百貨店? ギンヨーと菊池呉服店は同じ資本で経営されていたのでしょうかね。
現役のお店と住宅と
「東洋堂中央鍼灸院」「創業百五拾年 東洋漢方中央薬局 別府研究所」こちらは現役のお店ですね。
そのお隣は「Bar Cafe Beach」。さらにお隣は「hair & make honey」。どちらも新しいお店のようですが……
往路は通り過ぎたのですが、復路でよく見ましたら看板が歪んでしまっています。これも地震や台風の影響なのかしら……?
住宅が続きます。
何かないかなぁ……あちこち見ながら歩きます。
先の電球と……
その右はスピーカーでしょうか。今は12月なのですが、全盛期であれば「クリスマスセール」「歳末大売り出し」といったアナウンスが流れていたのでしょうね。
幟の旗竿を挿したり垂れ幕を取り付けたりするところと思います。本当は下向きではないはずですが……。
右がアーケードを支える柱、左が雨どいと思うのですが……正確には「竪樋(たてどい)」と呼ぶそうですが、雨が漏れてしまいそうですね。触ると崩れそう……。この状態で崩れずにいる方が奇跡に近いのかも知れません。
「大切な鉄柱です」。何年か前に信号機の鉄柱が根元から折れて倒れたというニュースが流れましたね。犬のおしっこが原因ではないかという話でしたが……これも切実な問題です。鉄柱が変に倒れますと屋根を道連れにしてしまいそうです。
このステッカーは何ぞ……。
「SUPER STAR LASER」は検索しましたらアディダスのスニーカーがヒットしましたが、このステッカーと関連があるのかは分かりません。
また下の「MIZUNO BASEBALL CARNIVAL」は「'89」! 34年前……生まれてへんわ。いや、嘘です生まれてました。
ベースボールカーニバルというイベントが1989年や1990年に行われていたようですが、詳しくは分かりません。
別の柱にも同じステッカーが貼られていました。その上は何なのでしょうね。「専門店」と書かれていることは分かりますが、それ以上はまるで分かりません。
他にも何やら気になるステッカーが貼られていました。
「別府市民憲章 美しい町をつくりましょう。温泉を大切にしましょう。お客さまをあたたかく迎えましょう。 別府ファッションタウン推進協議会」。
別府市民憲章は1968年(昭和43年)1月1日に制定されました。
ファッションタウンとは何ぞ……。検索してみましたところ「一般財団法人 日本ファッション協会」のサイトがヒットしまして
とのことです。少し調べましたところ別府市では1993年頃にはファッションタウンへの取り組みが開始されていましたようで……まぁこの記事からは脱線してしまいそうですので先に進みましょう。
信号待ちの間に
車道が横切っていました。信号待ちです。
何かないかなぁ……あたりを見回してみますと
すっかり錆色に染まった非常ベルがありました。通電しているのでしょうかね……。
ハシゴもチェックしておきましょう。ここも上るのはちょっと怖いですね。
柱の根元には蛇口が取り付けられていました。蛇口ハンドルは誰が持っているのでしょうね。そして水は出るのでしょうか……。
ポエムというのか誰かの思い出というのか分かりませんが、なかなかグッと来ることが書かれているパネルが掲示されていました。
若い頃……多くの人が行き交っていた賑やかな時代……そして恋……。
今となっては静かな、遥か向こうまで見えてしまう商店街。髪留めを買える店があるのか、あの子が通ることもあるのか……。寂しいものです。
信号がそろそろ青に変わりますよ。
足元には「信号アリ」。誰向けのメッセージなのでしょう……スマホを見ながら歩いている人? 気が付かないか……。
横断歩道を渡ってからも
横断歩道を渡りました。
進む前にちょっと見回してみます。立派な柱……ですが、足元を見ますとなんとなく不安が募りますね。
アーケードを横から見たらどうなっているのでしょう?
古びた感じは否めませんが、立派な姿です。しかし何か気になる……
生えてます? 植物……。ですよねぇ? 植物……。
そしてもう1つ気になるものが……
十字架……ではなくて消火栓? まぁ万が一のとき必要ですよね。
しかし今もここから水は出るのでしょうか……というよりアーケードに上って大丈夫なのでしょうか。
別の場所では消火栓の隣に四角い何かが設置されていました。ここにホースが格納されているんでしょうかね。今も使える状態なのかな……。
見上げると電球……ですよねぇ? 電球の種類がいくつかあるようですね。
恐らく今はもう点かないのでしょうけども、点いていた頃でもどの程度の明るさだったのでしょう。
少し破れてしまっていますが「楠銀天街3丁目」のようですね。「〇番街」という呼び方ではありませんでした。
なかなかに情報量の多い立て看板もありました。
何かの連絡所の看板の上に古そうな写真が貼られ、その上にまた「歩行者用道路」やら「駐車禁止」やら……。
裏側も同様でした。この写真は大分県の風景なのでしょうか……。
24時間全車輛乗入禁止です。
それはそうとアーケードを管理されている「楠銀通り会」の文字が見えますね。任意団体ですのでこの看板も個人の所有物なんだなぁ……と考えてしまいます。
レトロな雰囲気のお店たち
さて、お店を見てみましょう。
のっけから渋いなぁ……。
古い商店街ではよく見掛けますね、「男子専科」。
ところで電話番号が1桁4桁っていつの時代なんでしょうかね……調べても分かりませんでした。現在の電話番号は0977-AB-CDEFという形です。
「男子専科 洋服.洋品.学生服 こもと」。
しかし……
いつ崩れてもおかしくなさそうです。
「日商連 NC みつわ会」、クレジットカードが使えますよということですね。古いお店ではこのような看板をよく見掛けます。クレジットカードが珍しかった、またはステイタスだった時代なんでしょうかねぇ。現代では出入口のあたりにシールが貼ってあるか、もしかするとレジの横に小さく書かれているだけですよね。
お隣は「保険調剤 後藤薬局」です。
……ん?
あれ、このマークは?
先程も見掛けましたね。何でしょう。「専門店」ということ……? しかしそれならもっと他の店にも付いていて良さそうですよね。
さてそのお隣は
鼻血!
レンタルビデオのTSUTAYAではありません。
そのTSUTAYAの創業は1983年3月24日だそうですが、こちらのお店はそれより前から営業されていそうですよね。まぁ今は「売土地」ですが……。
店名看板も時計です。可愛いですね。右手の木? の反り具合がなかなか切なくもありますが。
お隣は「思い出を綴る店 (有) 桜カメラ」。軒先はリサイクルショップという雰囲気ですが……まぁ誰もが当たり前にスマートフォンで写真を撮る時代ですから、カメラだけでの商売は難しいのでしょう。
しかし何が並べられてるんやろ……
うははは。「抽せん箱」に松ぼっくり。何の抽せんなのでしょう。そしてこれは売り物なのか……。
服にコップに……
開封済みのダイソーの下着がまさかの半額です。サイズが合わなかったのでしょうけど……良いなぁ、このゆるい雰囲気。
協同組合はいつ解散したのか
ところで店頭には何枚かのステッカーが貼られています。
現代の子供は見たことがなさそうな形の携帯電話やデジカメの絵もなかなか良いのですが気になりますのは
「ふれ愛の店 ぬくもりと やさしさのある まちづくり 別府市 老人クラブ連合会」いやこのステッカーも良いのですが
これ!
「2011 人情の町くすぎん通り会 組合員の証 ふれあいの町くすぎん通り会」。ほえぇー、このようなステッカーが作られていたのですね。
組合員の数はどのくらいなのでしょう……。調べましたところ「別府商工会議所ニュース」平成22年(2010年)9月15日第369号に桜カメラの高市さんが書かれた記事が掲載されていまして、それによりますと
とのことでした。今はさらに減っているのでしょうね……。
ところで「別府商工会議所ニュース」では「別府楠銀天街(協)」という言い方をされているところが気になります。先の別府市議会の会議録では平成20年5月28日に解散したとありましたが……。
ステッカーに書かれた「2011」が「くすぎん通り会」の設立年で別府楠銀天街協同組合は2010年か2011年に解散したと考えた方がしっくり来ますね。真相は分かりませんが……。
3丁目を進む
考えても分かりませんので進みましょう。綺麗な色のテントだなぁ……。
「LADIES FASHION 松屋」です。
これは……
あら、お美しいわね。
松屋の隣は「婦人洋品 マルヒロ」。同じ系統のお店が隣り合うとは……それでも全盛期は関係なく賑わっていたのでしょうね。
そして
またこのマークだ! 何なのでしょうね?
シャッターには「こまったときは いつでもおいで!」。いつでも……。
向かいは「ビューティールーム 本郷」。
こちらは現役のお店です。
そのそばにありました非常ベルは……非常ベルだったのですよね?
「ざぼん 製造直売 七福堂」。ざぼんという柑橘類の果物を使用した「ざぼん漬」というお菓子がこのあたりでは有名なようですね。
またしてもポエムパネルが掲示されていました。
楠銀天街を含めて別府市の何ヵ所かでこのようなパネルを見掛けましたが、いつ誰が始めた企画なのかは調べても分かりませんでした。
下部に「69」と書かれていますので、少なくとも69枚のパネルがこの町のどこかに掲示されているのでしょうか……。
解体された建物たち
ところで先のビューティールームを通り過ぎてからしばらくはお店の建物がなかったのです。駐車場だったり住宅だったり……しかしGoogleマップのストリートビューを見ますとビューティールームの隣は「中浜地蔵尊」でした。「中浜地蔵尊」の前には「一村一品生活館」という文字が透けて見えますが……。意外な転身です。
「一村一品」とは何ぞと思いまして調べましたところ、大分県の各市町村が1つの特産品を育てることで地域の活性化を図ろうという運動だそうです。
「中浜地蔵尊」の隣は「楠銀天街通り会事務所」、道を挟んで「くすぎん会」「おもちゃのふじの」「LADY'S FASHION ???(恐らく3文字。詳細不明)」「男子専科 シルキー」「コスメチック あかかべ」……と2020年頃までは建物が並んでいたようなのですが、軒並み解体されてしまっています。あぁ、もうちょっと早く訪れていれば……!
柱を見る人
ところで先に崩れそうな雨どい(竪樋)という話をいたしましたが……
崩れた雨どいがありました。
誰か握り潰したのかな……。というか雨どいってこうなるのですね。最後の大改修から40年近くが経過しているとはいえ……こうなるの? いや、現になっているんですが……。
商店街散策を長く続けているとどうしても柱を見てしまうのですよね。柱には何かがある、こともあるのです。
ほらね。何なのかは全く分かりませんが……。ただでさえ謎の板に蛇腹のホースがさらに謎を増しています。
幟の旗竿を挿したり垂れ幕を取り付けたりするところ。
造花を挿すところ。本当はこのような下向きではないのですが……。40年近い年月が下を向かせたのでしょうか。
雨どいの竪樋らしき何かと、根本が怖い柱。体重のある人が押せば崩壊しそうな気がしてしまいます。
これは……近年に設置された街灯なのでしょうね。夜になったら点くのかなぁ。せめてこれは点いて欲しい……。
「重要電話線あり この付近を掘るときは必ず事前にご連絡ください」。このパネルは街のいたるところで見掛けました。今の子供は「え、電話って線で繋がっているんですか?」と言ったりするのでしょうかね。
「楠銀天街」の下に何かが貼られていますね。「テレ」「ツーショ」……もうお分かりですね。
建物は消えても残るものがある
さて歩みを進めることにしましょう。
左手の何もないところに数年前までは建物が並んでいたのですよね。
「和装履物 市原 支店」。本店はどこに……。
Googleマップのストリートビューを見ますと2013年3月の時点で建物には「くすぎんくらぶ」の看板が掲げられていました。写真の愛好会だったようですね。
右手に椅子が並んでいます。疲れたら休憩して下さいということですよね。寂れた商店街にどこから持って来たのか分からない椅子が置かれているのはよくある光景です。
少し進みますと……
こ、これは
床が残っています!
建物がなくなっても床は残る……たまりません。グッと来ます。
Googleマップのストリートビューを見ますと先の店名がよく分からない「LADY'S FASHION ???」があった場所のようです。
お隣も床が残っています。こちらは恐らく「男子専科 シルキー」だった場所です。
さらにそのお隣も少し残っていました。「コスメチック あかかべ」の場所と思います。
4丁目を歩く
4丁目はリフォーム屋さんらしき事務所と2023年にオープンされた「こうの針灸院」があるだけで他は駐車場……なかなかに寂しい通りです。
そうしますと
アーケードを眺めるしかありません。
何かが垂れ下がっていたり……
謎のケーブルが垂れ下がっていたり……何のケーブルなのでしょう。切断してもどこにも何の影響も与えなさそう……と思ってしまいます。
高いところにコンセントが設置されていたり……。これも何に使われていたのでしょうね。今でも使えるのかな。スマホ、充電させて貰えますか?
「緊急通報システム 別府市」……ステッカーだけ残っていますが、元々はどのような装置があったのでしょう? というか、緊急通報システムとは家の中で倒れたときに通報してくれるシステムというイメージですけども。
「駐車禁止 楠銀通り会 2017.11」です。楠銀通り会は任意団体ですので、誰かが私財を投じて作られたのだなぁと考えてしまいます。
「お願い 犬・猫に小便や糞をさせないで」は「千代町自治会」です。
機能しているのか、かろうじてというレベルなのかよく分からない管があったり……
何かが詰まっていたり……。
柱の造花を挿すところがわりと綺麗に残っていたり。
幟の旗竿を挿すところにロープやら何やらが絡まっていたり……。
アーケードを横から見てみます。右手が歩いて来ました4丁目です。
しかし建物のないアーケードを見る機会ってなかなかないのですけど、こうして見ますと本当にこの柱で支えられるん? と不安になってしまうほど細い柱で支えられているのですね。
そしてかつては側面に白いパネルがずらっと並んで綺麗なアーケードだったのでしょうけどね……。
ちなみに2丁目と3丁目のあたりは
このような状態でした。こちらは綺麗に残っていましたね。
略式代執行
5丁目に入りました。まずは店名看板をチェックしましょう。
「花 たさか」。
こちらの建物は綺麗に改装され「渡邉富商店」というカフェが営業されています。
「高級京呉服、十日町紬 帯ときものは皆様の店 京都屋」。
またこのマークだ! これまで「高級紳士服 ギンヨー」「菊池呉服店」の店名看板にも描かれていましたね。ちょっとお高いめの服屋さんの組合みたいなのかなぁ。
「味のフルーツ くりもと」。可愛いフォントです。
「紳士.婦人服 マルト」。こちらには「百」マークはなし……。
さて、写真を隅々まで見られる注意深い方ならお気付きと思いますが
「くりもと」「マルト」の建物はありません。
Googleマップのストリートビューを見ますと2020年11月の時点で「くりもと(栗本果物店)」は営業されていました。
更地になってしまった左側ですが、「マルト」の向こうは「生花 たさか」「田坂神佛具店」「ヘルストロン 大分ユニオン 別府出張所」、そして名前は分からないのですがもう1軒のお店が続いていました。
さてこのあたりの建物はいつ頃に解体されてしまったのでしょう? 調べてみますとこれまた最近で、2022年末から翌年2月頃にかけてだったのです。
大分合同新聞によりますと
また、読売新聞によりますと
さらに
ともあります。
当時のニュースを読み解きますと……2016年の熊本地震で「マルト衣料」の外壁が崩れたため別府市が所有者を調べたところ、所有者も相続人も亡くなっていることが判明しました。隣の「生花 たさか」「田坂神佛具店」「ヘルストロン」などの建物を解体したとき「マルト衣料」の建物が一部壊れてしまい、以前から危険視されていたため別府市が解体することになりました。なお、「くりもと」はそれに合わせて所有者が解体されます。
ということのようです。
この解体は「空き家対策特別措置法に基づく略式代執行」ということなのですが、略式代執行とは何ぞ? 調べて見ましたら、「行政代執行」と「略式代執行」があり、建物の所有者が特定出来ていれば前者、そうでなければ後者になるようです。費用は前者であれば所有者から徴収、後者は行政が負担しますが、後から所有者が判明すれば徴収するということです。
あぁ、もっと早くに楠銀天街を訪れていればなぁ……。
続・柱を見る人
建物がありませんので柱を見ましょう。
かろうじて落ちずにいるという感じ……。
「豊かな街づくりに 健康宣言」……何でしょう。調べましても近年の流行りである「健康経営」「SDGs」といったことしかヒットしません。しかしどう見ても今世紀が始まった頃か前世紀に貼られた雰囲気ですよね。
おぉ! 情報量の多い柱に出会うと胸が高鳴ってしまいますね。
先に見ました別府市民憲章は楕円形でしたが、これは長方形ですね。
「別府湧く湧くクーポン券取扱店」「地域振興券 べっぷ」……平成11年ということは1999年です。むむむ、何かを思い出しそうだ。地域振興券……子供や老人に2万円……あぁ、あったねぇ……。君はもう四半世紀近くここに貼られているんやね。
そしてこの箱は何なのでしょう。スイッチらしき何かは残されていますが、本当は中身がもっと詰まっていたのではないの? こんな剥き出しでええの?
他の柱にも謎の箱が……。何なのでしょうねぇ。
非常ベルも設置されていました。火災現場で燃え残ったかのような雰囲気ですが……。これも通電しているのでしょうかね。
5丁目を歩く
さて、お店も見て歩きましょう。
「婦人服.子供服 ふたばや」。またもや
別府マークだ! 何なのでしょう……。
「ふたばや」の文字の跡が見えますね。
先の略式代執行に関するニュースを見ていますと、2022年末頃は緑色の文字が掲げられていました。
「ふたばや」のお隣は……
営業はされていなさそうな雰囲気ですね。
「唐木家具製造卸 工芸品輸入卸 葵工芸」でしょうか。
唐木家具とは何ぞやと思いましたらインドやタイなど東南アジアから輸入された木材を使用した家具のことだそうです。
まぁ店名看板は
「ふじや鮮魚」なのですが……。
ちなみに「葵工芸」は検索しても情報がヒットしないのですが、「ふじや鮮魚」はエキテン等のサイトに情報が載っていました。
なお、シャッターには「貸家」の案内が貼り出されていました。
「葵工芸」の隣は……
柱があって……
「スリランカの紅茶 ぞうのなみだ」。私は紅茶を飲みませんのでピンと来ないのですが、スリランカという国は紅茶の産地として有名らしく、「セイロンティー」と呼ばれているようです。
「ぞうのなみだ」がオープンされたのは2009年9月19日なのですが
翌年の夏頃に
閉店されてしまいました。異変とは……。建物の古さに因する何かなのだろうなぁと推測しますが、事実は分かりません。
看板の一部が剥がれてしまっています。
元は「浜田青果店」だったようです。
「ぞうのなみだ」のお隣は
「酒処 亀山社中」なのですが、検索しましても詳しくは分かりませんでした。
ちなみに
この部分はGoogleマップのストリートビューを見ますと「合同会社 安部建設工業」の看板が掲げられていました。
ところで何か違和感が……
これは……
そ、ソファと……その左は何やろ?
冷蔵庫や……どう見ても冷蔵庫や……。さすがに開ける勇気はありませんでしたが、いや、どうしてここに。
あ、冷蔵庫でお酒を冷やしてこのソファで優雅に外飲みするの? それがグランピングというの? いやいや普通に不法投棄なのでは……謎です。
その上は「たばこ・菓子 そのだ」でした。
アーケードの南端
アーケードの南端に着きました。
アーケードの外から見てみます。
かつては白いパネルで守られていましたが、2020年頃に外れてしまったようです。
ここのハシゴもすっかり錆色です。
右に見えます緑色の看板は「トータルサポート 株式会社協栄産業」です。
あまりにも馴染み過ぎていてしばらく気が付かなかったのですが、アーケードにネットが設置されていますね。何かが落下するのを防ぐためなのでしょうね。
やはりどうしても、このネットの代金や高いところに設置する手間賃について考えてしまいます。
楠銀天街の歩んだ道
散策はここまでなのですが、楠銀天街の歴史をちょっと辿ってみましょう。
楠銀天街は寂れてしまった……ということは栄えていた時代もあったということです。何故に栄えていたのでしょう?
別府市のサイトに掲載されています「文化的景観 別府の湯けむり景観保存計画 第8章 温泉観光の過去と現在」によりますと、1871年(明治4年)に別府港(楠港)が整備されました。
ざっくりした地図を作りますと
こんな感じです。当時はJRどころか鉄道も開通していませんでしたが、場所をイメージしやすいように載せています。
船で別府を訪れることが主流だった時代は、楠銀天街は別府の玄関と言える場所にあったわけです。
しかし太平洋戦争が始まってしまいました。
別府市の市街地は戦災を免れましたが、敗戦により観光どころではなくなってしまいました。また、別府市にも進駐軍のキャンプが建設されてしまいました。
別府の観光を再建しようということで新たに「別府国際観光港」を整備しようという話が持ち上がりました。
新たな港は別府港の北、大正時代の頃に開発され始めた観光地「地獄」の近くに整備され
このような状態になってしまいました。
別府国際観光港の開港は1960年(昭和35年)、その7年後の1967年(昭和42年)に関西汽船が別府港から別府国際観光港へ移転されたことで、旅客船は別府港に着かなくなりました。楠銀天街は別府の玄関ではなくなってしまったのです。また、鉄道の駅も地獄寄りであるため、観光客が楠銀天街まで足を運ぶことが少なくなってしまいました。
それでも「別府市中心市街地活性化基本計画」によりますと
地元の方たちで賑わっていたようです。
市役所はかつて別府市千代町1番8号という楠銀天街のすぐそばに位置していましたが、1985年(昭和60年)に別府市上野口町1番15号へ移転されています。楠銀天街はJRより海側で、現在の市役所は山側です。全く離れた場所です。
追い打ちをかけるように1992年(平成4年)2月29日、楠銀天街の南端のあたりで火災が発生し、楠銀天街の商店や、隣接する「松原市場」に燃え広がってしまいました。
別府市議会の「平成30年第4回定例会会議録(第6号)」によりますと
とあります。「松原住宅」とは楠銀天街のアーケードの南端のすぐ南に建っている住宅です。ここに松原市場があったのでしょう。
「大分合同新聞創刊120周年記念事業 明日を守る 防災立県めざして 第30回 別府市を検証」に燃える松原市場の写真が掲載されています。
さて、楠銀天街のアーケードは全長350mということなのですが、「今日新聞」によりますと
また「OBSオンライン」にも
完成当時は428mだったようです。短くなった約78mのアーケードはどこへ行ってしまったのでしょう?
それが先の1992年の火災に繋がるものと思います。現在のアーケードの南端は永石通りに面しています。そこから1本南の松原通りまでの距離をGoogleマップで調べますと約78mでした。
また、別府市議会でも
とあります。松原公園は松原通りのすぐ南です。火災によりアーケードが撤去されてしまったのですね。
2008年(平成20年)7月にまとめられた「別府市中心市街地活性化基本計画」によりますと、恐らく1丁目2丁目だけでも55店舗のうち26店舗が営業されていたようです。
別府楠銀天街協同組合に加入されているお店が2010年(平成22年)頃には約15店舗という話も先にありましたが、アーケードの下で営業されているお店が漏れなく組合に加入されているわけでもありませんので、店舗の数につきましては何とも分かりません。
しかし2004年(平成16年)の別府市議会では既に
とまで言われています。
また、2010年(平成22年)の別府市議会では
とあり、この頃にはアーケードの老朽化が問題視されていたことが分かります。
2014年(平成26年)には寂しいエピソードも語られています。
時代が令和になりますと楠銀天街の話題はますます増え、2022年(令和4年)8月には別府市の「南部ひとまもり・まちまもり協議会」と市が連携し「楠銀天街検討委員会」が立ち上がります。
検討を重ねられた結果、アーケードの撤去を決めたものの費用の捻出は難しく、別府市に支援を求めていました。
別府市議会2023年(令和5年)第3回定例会で別府市及び国の補助金で撤去することが採決されたようで、12月には楠銀天街アーケード撤去外委託業務に係る入札が行われました。別府市の公式サイトによりますと株式会社後藤工務店が税抜き90,000,000円で落札されたということです。2024年(令和6年)12月10日までの撤去完了を予定しています。
おしまい
この記事を書いている時点では、アーケードの撤去工事は開始されていません。また、私は大阪府に住んでいまして、別府市を訪れる機会もそうそうありませんので撤去工事の様子を見ることもないでしょう。
2023年12月13日に初めて別府市を訪れた私ですが楠銀天街には惹かれるものがありました。何十時間もかけてこのような記事を書くことになるとは……。
最後までお読み下さいましてありがとうございました。
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おまけ
楠銀天街の東にあります「中浜筋」を歩いていましたところ
……あ、あのマークは!
「別府百貨カード」やったんや! 町のポイントカードかクレジットカードかといったところですかねぇ。よし、検索してみよう。
もうちょっと調べましたところ
終わり。
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