時は金なり
ティム?
最寄り駅のホームから見えるハイツの名前が『TIM』だった。
ハイツやコーポの名前は大家さんが自由につけれるので「〇〇ハイツ」「コーポ〇〇」と好きな言葉を入れられる。
ちなみにハイツは英語で「丘、小高い」と言う意味があるが、日本ではなぜかアパートの名称になっている。コーポは造語らしい。
「コーポ・Le Coin」とかついてるとカッコいい雰囲気はするが、フランス語で曲り角と言う意味なので「曲り角荘」と読んでも昭和なら許される。
「辻ケ荘」もあり。
私がいつもぼんやりと駅のホームで見つめる「TIM・ハイツ」
電車が来るまでの約2〜3分イヤホンをつけて眺める灰色の壁。
ティム?名前かな?飼ってた犬とか。
大家さんの名前がティムは考えづらいが、無くもない。初恋の人の名前?
色々考えていたが、ある日全く関係ない駅で電車をぼんやり待っている時に気がついた。
「あ、T・I・Mか!
Time is money!時は金なり!」
胸のつかえ程でもないが、喉の奥がスッとしたような清々しい気持ちで電車に乗り、地元に帰る。
そしてホームから私は改めてハイツを見た。
TIM・・・ゴルゴ松本と・・・相方誰やっけ?
また私に難題が降り注いだ。
私は色んな国の展示会が好きだ。
エジプト展とミイラ展は日本に来る度行っている。
国や時代による死生観の違いが面白い。
どの国の歴史を見ていても、必ずついて回るのが生贄だ。
古代メキシコでも、頻繁にされていた生贄に関する文献を読んでいると、敵対していた国の王を捧げたりしている。
捧げる相手に匹敵する程の上等な位のあるもの。
美しい娘、国の王、賢人、よく出来る側仕え、神聖で神の使いとされていた動物。
自国の王が亡くなった時は、生きたまま側仕えなどが数人埋められている。
死生観が私達とは違うし、風習や宗教習わしの違いをここで書いてもキリがないので何故かは省くが、私は生きたまま埋められる事への覚悟がすごいな、と感心した。
それが生まれた時から当たり前だから、名誉な事だと思うんじゃない?悪いのは教育よ。
それが命を犠牲にしている。
そうかな?
根本的に違うことじゃない?と思う。
藤子・F・不二雄の短編作品で『ミノタウロスの皿』と言う話がある。
宇宙船の故障である惑星に不時着した地球人の主人公は「ミノワ」と名乗る美しい少女と出会い、恋をする。
地球からの迎えのロケットが来るまで、楽しく過ごしていたある日。
ミノワに自分は「ミノタウロスの皿」と言う大祭の祝祭の大皿にのることを告げられる。
それは、牛と人間の関係が逆転したこの星で、一番名誉のある生贄の話であり、牛が人を家畜として飼育し、美しく育った人を食べる事だった。
必死にミノワを説得する主人公だが、ミノワの心は変わらない。迎えのロケットが来たら地球に連れ帰ろうと手を取って逃げようとする。
そんな主人公にミノワは困惑してしまう。
「どうして逃げるの?なにもわるいことはしていなのに」
「なぜって・・・・。ここにいたら食べられちゃうんだぞ」
「じゃ、地球ではたべられないの?」
「牛が人間を食うなんてベラボーな!!」
怒る主人公に対しミノワは
「まぁもったいない」
とあっけらかんと言う。
「ただ死ぬなんて・・・・。
なんのために生まれてきたのか
わからないじゃないの」
主人公とミノワは相容れないまま、当日を迎える。どんなに主人公が説得してもミノワは「おいしく食べてね?」と皿の上から下りなかった。
そして主人公は1人、迎えのロケットの中で泣きながらステーキを食べるのだ。
この発想は無かった。
私もミノワの言葉にあっけらかんとさせられた。
そうか、地球人の主人公は命のことばかり話していたが、ミノワは魂の話をしている。だから相容れないのかも知れない。
藤子先生の考えと、ミノワのセリフで考えると、生贄になることに覚悟などないのか。
私、ぼんやり生きてるな・・・
だから何かをしなくては!とは思わないが、ただ生まれて死んでいったのではない、生贄になった人達への見方が大きく変わった。
死ぬことは怖いことでも、悪いことでもない。
ただ漠然と避けがたい事で、全て平等に起きること。
生き方より死に方かぁ。
私の頭の中では、魂を込めて「命」の人文字を作るゴルゴ松本がいる。
そして、やっと思い出せた。
相方の名前、レッド吉田や。
何でもない毎日↓
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