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まだ男がスカートを履けなかった時代のことさ。

「まだ、男がスカートを履けなかった時代のことさ」

おじいちゃんの話はいつも長い。
脈絡なくダラダラと続く話を聞いているのは結構楽しかった。
けれど、とっさに私はそのおじいちゃんの話を遮った。
だって、その言葉をスルーできなかったから。
「ちょっと待って、何それ。スカート履けなかったの?」

「そりゃそうだよ」おじいちゃんはさも当然のように言った。
「スカートは女性のものだと思われてたんだから」

それは、昔、そういう時代があったことは私も知ってるけどさ。
私は口をとがらせる。

「じゃあ、女性はズボン履けなかったの?」

「いいや?」おじいちゃんは言う。
「女性はズボン履けたよ」

まるで何もおかしいことなどないかのように、当然のごとく。

「それって、変だよ」
無駄な正義感をつのらせて、私はおじいちゃんに食ってかかる。
「男性差別だよ」

おじいちゃんはそんな私を見て、少し微笑んで、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
私はその微笑みが嫌い。
「まぁ、今の人から見たらそうかもしれないね。でも、ぼくたちの時代では、それが当たり前だったんだよ」

「でも、、、」

言いかけて、やめた。
過去の歴史に憤ることはある。
でも、おじいちゃんはその時代に生きていた。
その時代に私はまだ生まれていなかったけれど、
おじいちゃんにとっては、それは歴史の教科書の出来事ではなく、地続きの事実なのだ。
とてもじゃないけど、敵わない。

「ぼくはスカートを履く人の気が知れなかった。学生の頃は、『キモい』と思っていたよ。
でもねえ、ある時、知ってしまったんだ。
ぼくの友人が女装してることを」

「女装って、スカートを履くこと?」

「うん。スカートだけじゃなくて、化粧もしてたけどね。
街中でばったり会っちゃって、
心の中にこう、ぐわっと違和感が膨れ上がってさ、
友人のことを、もうこれまでと同じようには見られないと思った」

「スカートを履いてただけで?ひどい」

思わず眉根をひそめる。
私はおじいちゃんを理解できない。
スカートなら、私の友達もみんな履いてる。私はひらひらした服はあまり好きじゃないから、めったに履かないけれど。

おじいちゃんは私から視線をずらして、リビングの窓から外を見る。
たぶん、空を見ているのだと思う。
私も、おじいちゃんの見ている景色が見たくて、一緒に空を見る。

「そうだね。ぼくはひどかったんだよ」

その声音にこもった痛みに気がついて、私は少しだけ後ろめたい気持ちになる。
ひどいねと言ったのは、正義感故で、でも、もしかするとおじいちゃんを少し傷つけてしまったのかもしれない。

「次の日、学校でぼくは彼を無視した。
彼もぼくには話しかけてこなかった。
あの日のことをずっと後悔してる。
そうして、ぼくは大切な友人をひとり失ったんだ」

「でも、、、だって、スカート履いてただけなんだよ?」

おじいちゃんは窓から私に視線を戻し、私の目をまっすぐに見る。

「そうだよ」

違和感がぐわっと押し寄せてきたのは、今度は私の番だった。
目の前の大好きなおじいちゃんが少し歪んで見えた。

本当は少しわかってた。
これは、スカート云々の話ではないのだ。
もっと大切な何かを、おじいちゃんは私に伝えたがってる。
でも、どうしても、私の中で「スカートごときで?」という感想が拭えないのだ。

いいじゃん、どんな格好をしたって。
それが個人の自由、当然の権利でしょう。
それで友達をやめるなんて、ひどいことこの上ない。
もし、だれかがそんなことをしたら、その人こそ多くの批判を浴びることになる。
それは差別。自由を阻害してる。古い考え方。

おじいちゃんはその時、説教くさいことは何も言わなかった。
私に理解を強要しなかったし、内心葛藤する私を「若いねえ」と揶揄することも、「これだから若いやつは」と諦めることもしなかった。
ただ、私の内面の葛藤を見透かすように、静かにじっと見つめていただけだ。

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