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息ができない街

 久しぶりの西新宿の夜は特に変わらない様相が広がる。昼のオフィス街から一転して夜は違う街になる。都庁の展望台は土日になれば行列ができるのにコロナのせいで静けさが広がる。寒い初春の夜、西新宿は暖かさを運ぼうしているが寒さが暖まることはないのだろうか。

 色々と西新宿にはお世話になった。予備校時代は西新宿まで通って、バイトの研修で西新宿の本社に2度行った。思い入れのある街だ。Noteでも何回か書いた記憶があるような、ないような。でも自分にとっては1つの分水嶺になる場所であることは間違いないようだ。

 新海作品で一躍新宿という街はさらにブラッシュアップされた。新海氏が諏訪出身なら上京して初めて見る「東京」とは新宿なのだろう。だからあそこまで新宿に思い入れがあるのだろう。故郷に対比される「東京」とは人によって違うが、新海氏にとっての「東京」は作品からひしひしと伝わってくる。

 西新宿は生がない街だ。生きた心地がしない、人工の街だ。息ができない街だ。そもそも淀橋浄水場跡地にできた、人工都市だ。1970年代から立て続けに高層ビルが建てられた。高層ビルは前衛的な、今でも古びないデザインをしているが、ビルの足もとを見ればいかにも昭和感が漂う、懐かしさを感じる場所になっている。

 昔の人がイメージした、未来の街、西新宿。ドラえもんの漫画でも25年後の「トーキョー」の街が描かれていた。おそらく1975年ごろに書かれたから2000年ごろを想像して書かれたのだろう。そこにはまさしく西新宿に似た雰囲気で街が書かれていた。時は高度経済成長期とバブル景気との間。不景気が過ぎてちょっと経ったあとなのであろう。昔の人は未来への希望を膨らませて、こういう街を作ったのだろう。

 あれから45年もたった、2020年の今。人々は何に希望と寄せるのだろうか。あの無機質な街は人が息する場所を奪ってしまった。郊外に住み、西新宿のオフィスに通う。何とも単純化されたように自分の目には映ってしまう。どう映るかは人の勝手だが、少なくとも自分の目にはそう映ってしまうのだ。

 確かに夢への分水嶺だと自分は西新宿だと思っている。予備校に通い、「大学」への夢を抱かせてくれた。バイト先の本社研修で「学び」への夢を抱かせてくれた。夢とは無と有の中間のような、例えれば雲みたいなものなのだろう。

 無機質な街で自分の人生にピリオドを打った人も少なくはない。昔高層ビルが建ち始めのころ、京王プラザホテルと高島平の団地は自殺の名所になっていた。別に霊が見えるわけではないのだが、何か憑依される感覚を味わう。そこは息ができない場所なのか。自分にとって息ができる場所ではない。だけど、何か前に進むために「感じる」ための場所が自分にとっての西新宿だと自分は思っている。🐓

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