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フィロソフィー・ハイウェイ

 死とは確かに「肉体的な死」としての意味合いが当たり前というべきか、それが身近に起こることなのだと感じる。精神はまだ生きようとしても肉体はそれについていけない。物理的だろうが自然的だろうがいずれは死を迎える。肉体とはそもそも現存するのに時間に限りがある。
不老不死を夢見た時代があった。竹取物語でかぐや姫が月へと連れ戻されるときに竹取の翁には不老不死の薬をプレゼントした。しかしかぐや姫がいない世界で生きていくことは翁にとっては「生」ではなく「死」を意味する。肉体が「生」でも精神は「死」を迎えることなのだ。だから遣いに薬を山頂で燃やすように指示した。その山を不死山、富士山と呼ばれるようになった。

 死とは哲学的議論の題材にされる。確かに死とは生きている人間が経験したことのないことである。死から蘇えればその人にヒアリングできるけど、残念ながらいない。死とは何か。別れなのか、それとも腐ることなのか、消えることなのか、一体なんなのか。

 夜の自室で森見登美彦原作のペンギン・ハイウェイを見る。去年公開された映画で、自分も以前住んでた西浦和から自転車で浦和のパルコまで行って見に行った。自分の中でも記憶に残る映画の1つである。
ペンギン・ハイウェイとはペンギンたちが内陸から海へ向かう際に皆が同じ道をたどっていくことから名づけられたことに寄る。
 主人公の「少年」の口癖は「僕は賢いのだ」。その口癖の通り賢い。小4にして色々なことを知っており、趣味はチェスという高尚な男の子だ。その少年は行きつけの歯科医院のお姉さんに恋を寄せている。将来の夢はそのお姉さんと結婚することだと作中で何度か少年は口にする。
 少年が住む町ではいるはずもないペンギンが出現するようになる。そもそもペンギンは南極周辺にしか生息しない。何故自分たちの住む町にペンギンが出現したのか、少年たちの研究が始まった。さらには学校裏の森の奥には液体状の丸い球体が見つかったこと、お姉さんが投げたコーラ缶がペンギンへ変身したことなど奇妙なことに直面し、彼らの研究が佳境に入っていく。しかし研究が進むにつれて、少年は臨まない事実に直面することになる。

 結論(ネタバレ)を少年はお姉さん、「海」、そしてペンギンの関連性に突き止める。お姉さんは人間ではないことに少年は気づく。お姉さんは高台から海が臨める、港町が地元だと前々から述べており、いつか海に行ったことのない少年と一緒に行こうと誘っていた。
ある日その夢を叶える時が来る。電車に乗って浜辺の町に行こうとする。しかし少年たちが住む町から離れるにつれてお姉さんの容態が悪化する。そして少年とお姉さんは途中の駅で下車をする。これは以前少年とその友人が捕まえたペンギンをつれて電車で水族館に行こうとするときにも全く同じ出来事であった。
 つまり「海」とは地場のようなものとすれば説明がつく。お姉さんやペンギンのエネルギー源は「海」であるとするならば、「海」から離れることでエネルギーの供給ができなくなるのだ。現にお姉さんやペンギンはしばらく何も食べなくても何の問題もなかった。

 話の終盤では、「海」は膨張し、町に危険を及ぼすところもまでやってきた。「海」の問題を解決する、つまり「海」が消滅すれば町に平安が訪れる。だが、それはペンギン、そしてお姉さんにとっての「死」を意味する。存在が消滅する。少し話は脱線するが、他の作品では存在が消滅すると同時に周辺の人々の「記憶」も消滅することが多い。それは悲しみという波動を主人公だけに収束することで話にオチをつけやすくするからであろう。

 話の終盤で「海」は消滅する。時差でペンギンが消滅し、最後の1匹が消滅した時にお姉さんは消滅する。これはいわゆる死に当たる。少年とお姉さんとの別れのシーンは病室で死を迎える愛人との別れを連想させる。

「死」としての表現は決して眠るだけではない。別れとは死と同値なのかと言えば、これは偽となる。別れの中に「死」があるというのが適切かもしれない。(これが正しいかはここでは議論しない)

 森見登美彦原作のペンギン・ハイウェイは何故か知らないが賛否両論が多い作品だ。駄作と言う人もいれば秀作だという人もいる。自分は見る人を選ぶ作品、分かる人には分かる作品なんだなと思っている。
この作品の中心とはペンギンでもなければ、お姉さんでも少年でもない。生とは何かということを哲学的観点と科学的観点との両面からアプローチした作品になっていることにこの作品の核がある。京大農学部出身である森見氏らしさが出ている。「夜は短し歩けよ乙女」や「四畳半神話大系」といった京都(とりわけ東山から河原町、三条、出町柳を中心とするエリア)の街並みや京大を舞台にする作品が多い印象がある。その一方で科学を探求する少年やお姉さんが生命としての存在条件など一般的な作家では持ちえない視点で描くことは森見氏のバックグラウンドを生かした大きな特徴であると言える。

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まち巡礼

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