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落ち込みすぎて苦しい時の、たまには正当化

 昨晩寝る前、ある仕事をミスしていた事に気づいて、一気に血の気が引き吐き気がし出して体が重くなるのを感じながらもなんとかストレッチをして眠りについた。

 今朝起きても、なんとも言えない体の重さ。体を引きずるように出勤した。心の状態がこんなにも体調に影響するって本当に心と体は一体だと思う。

 昔、周囲の大人たちは、根性!気合い!と気持ちで勉強や部活でなんとか私たち子供を成長させようとしていたけれど、過剰なプレッシャーで簡単に体は動かなくなるし、それでも動こうとすれば、頭痛にはじまって消化器系も循環器系も不調をきたすものだと、大人になって実感した。

 若い時って、それが心の状態からの影響だとは気づいていなかったから、繋げて考えることはしていなかった。しかし、きっとプレッシャーに弱かった私のことだから色々な症状を持っていたと思う。頭痛持ちだった記憶もある。あれはそういうことだったか。

 とにかく、通勤のバスの中で自分なりに立て直せるよう、このミスの二つの側面に注目して思考の整理をした。

 1つは、ミスによって影響を受ける可能性のある組織に対しては、意識しないうちに行なっていた対応以上に挽回できることはないので、指摘されて評価が下がったとしても、今さらどうすることもできないので、指摘されれば真摯に謝罪するしかないということ。

 もう1つは、今回のミスで自分の今後のために何を学ぶのかということ。自分の経験値の低さが今回のミスにつながったとも言えるので、今回明らかになった自分のミスの傾向を忘れないようにして、同じことを繰り返さないようにしなければならない。

 でも、気が重いのは変わらなかった。だって、評価が下がる恐れがあり、それが仕事をしにくくさせるのではないかという恐れだった。

 人の評価など気にするな。と自分に言い聞かせるが、やはり人に評価されると嬉しいし、ここのところ褒められることも多かったから、自分にガッカリして浮上できなかったのだ。

 職場の自分のデスクに到着。カバンをロッカーに入れる動作も、ジャケットを羽織る動作も、地面と私の体の間に磁力が働いているのではないかと思われるほどに重く重く感じていた。

 しばらくして到着した同僚に「実はミスをして…」と打ち明けると、ミスの内容を全て聞いた同僚が、「それは必要なミスだった」と言い私を驚かせた。

 いわゆる見逃し三振と同じで、「必要な動きを適切なタイミングで行わなければならなかったのにできなかった、それによって非難される」という種類のミスで私は死にそうになっていたのだけれど、

同僚の視点からすると、その場面では見逃し三振するべきだったのだという。そうすることで、経過のデータが得られ、その後の対応については何も問題はないと言うのだった。目から鱗であった。

 もちろん、私を慰めてくれたのだと言うことはわかっている。全て真に受けているわけではなく、私の反省すべき点は理解している。しかし、自分を正当化できる解釈もあるのだと言うことを知ったのだった。

 この同僚が与えてくれた正当化手法は、乱発させてはいけないことは重々わかっているし、そんなことをすれば、人からの信用より自分が自分を信用できなくなる。

 けれど、自分を庇ってくれる別の視点があると言うのはなんと心強いものだろうと思った。たとえそれがたった一人でも。

 そして、今朝は早々に回復したのでした。単純だなぁと思う。でも、単純で良かったとも思う。

 こうやって心の右往左往を繰り返して生きてる。落ち込むことがあるのは仕方ない。これが生きるってことだし。でも、できれば自分で自分を浮上させるスピードをもっと上げたい。そのきっかけの一つに正当化手法も持っていてもいいよね。

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