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会議のあり方から「仕事とは」を考える

 会議のあり方で職場の能率が上がるというのを、今年度になって実感している。

 昨年度の会議は、苛立ちを感じるほどに間延びした、ただの報告会のようなものだった。

 会議を牽引するはずのチーフが、検討の場としての会議を機能させようという気概がなく、個人の仕事の余裕のなさを理由に先延ばしが常態化し、

当然、上司に注意され、レジュメを会議の前日に出すよう指示されても、頑なに「無理です、余裕ありません」と切り返す、ある意味強者であった。

 そのチーフは人間性に問題があったというわけではなく、昨年度の上半期最後に起こった事案から大きなストレスを受け、精神的に参っていたようで、今年度は本人の希望で異動となった。

 人間だから、そういうこともあるのはわかるし、自分だって追い詰められればそうならないとも限らないので、そのチーフを責めるつもりはない。

 ただ、客観的な話、確実に昨年度の下半期はチーム全体の仕事の能率が下がっていた。これは否定しようのない事実だ。

 そして今年度。4月から新しく編成されたチームと、新しいチーフ。会議は予定している時間内に極力終わるよう組み立てられ、そのために前日には資料に目を通しておけるようにしてくれている。そして、議題が明確で、前回の会議の振り返りや確認も適切で無駄がない。

 ここまで会議の様相が変わったのは、チーフの能力の高さが大きな要因ではあるけれど、それに引っ張られるように、メンバーがちゃんと資料に目を通し各々の見解をちゃんと用意して会議に臨む姿勢が醸成されてきたからでもある。

 みんな本当は能力の高い人たちなのだ。それをこれまでは個人プレーに生かしてきたのだろうけれど、ようやくチームで職場全体の一歯車として機能し始めたことに、下っ端ながら感慨深いものがある。

 これが社会なのだなぁと、社会人5年目にして組織の変化やあり方などを目の当たりにして日々学びを得ているのである。

仕事の質を高めるには、無目的な動きは極力減らすべきだ。

 たぶん、仕事に限らずだろう。遊びも仕事もめいいっぱいする人は準備や段取りに無駄がない。時間は限られているのだから、時間のポテンシャルを最大限に生かす工夫を常に意識することで、人生の豊かさを自分で能動的に構築していけるのではないだろうか。未熟者でもいい。これからそこに近づいていく気持ちは持っておきたい。


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