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解決できる可能性が少しでもあるなら

 仕事でミスをした時、これから起こる色々を思って奈落の底に落とされたような気持ちになる。

そういう時に一番心配しているのは、自分のキャリアのこと。まだまだこれから積み重ねていかなきゃいけない時に、評価に傷がついたとしたら、この仕事を続けていくためにはどんな困難さが待っているだろうと想像し心がずんと重くなる。

ミスをしていなくても、この仕事が自分に合ってるのか分からず投げ出したくなる時もあるのに、今後キャリアを積むには明らかな困難さがあると知ったら、たちまち仕事を続けるために必要なちょっとしたエネルギーでさえも失うだろう。

ミスをしたと気づいた時の私の気持ちは、遊園地の急降下する乗り物で何十メートルも落とされた時のよう。

そして、一旦落ちるとこまで落ちてから、ようやく解決策を考え始める。

すると、意外にうまくいくかもしれないと、楽観的な私がムクムクと出てきて、見つけた解決策にしがみつくように「大丈夫」を裏付けする様々な要素を探し始め、ジェットコースターは重い車体を鉤型の歯車が一つずつつ梯子を引っ掛け、空へ向かって持ち上げていく。

 仕事って、なんてハラハラさせるんだ。大人の遊園地だな。ミスをしない人はいない。みんなこんな気分を味わうのだろうか。私だけ?


 しかしながら、こうもミスを繰り返していると、正常性バイヤスが働いてきたのか、急降下する前に、「ミスした方が経験値上がるんじゃない?」って震える声で自分に言い聞かせるようになってきた。

 世の中には解決しない問題もあるかもしれないけれど、これは少なくとも解決の可能性があるじゃないか。ちょっとでも解決の可能性があるということは、それだけで私は恵まれている。マイナスばかりに目が行くのは、私の視野が偏狭なせいだ。それじゃあ、人生せっかく生きてるのに楽しくないじゃない。楽しくいこうよ。

と、自分で自分を慰めて励まして浮上させるようになってきた。

しかし、あまりにも辛い時は、無理やり納得させることはせずに、時間が解決してくれるのを待つために、一旦直視しないことを選ぶこともある。

大事なのは柔軟に自分を扱うこと。無理な時は待つ。立ち上がれることを信じて。

明日は新しい一日。ぼちぼち生きます。
お疲れ様でした。

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